この続き→★
※2022年12月の画像データ混じってます
ミシャグジの洗礼を受けながら
着いた!
前に巫女さんと漢とで来た時と
なんか違うやん…
今日は神事しにきてるしな…
観光神社てゆうてゴメン
若狭姫さん
「フェーズが変わったんちゃいます?」
と巫女さん
しかし前回と違い
人払いが入ってるかのように
静かだわ
若狭國一宮
若狭彦神社 下社
明治4年以前は
若狭姫神社
遠敷(おにゅう)神社
と呼ばれてました
今でもここ下社は
若狭姫神社と呼ばれています
ご祭神は
豊玉姫命
宝珠と波が
海神・綿津見~わたつみ~の娘
龍宮の姫巫女らしい
この宝珠は
彦火火出見尊(山幸彦)が
龍宮で手に入れたという
潮を自在に操る
潮盈珠・潮乾珠に因むそうです
稲荷の宝珠かと思たわ
小浜市白石の鵜ノ瀬
遠敷川の清流が突き当たって
淵をなしている巨巌の上に
若狭彦神・若狭姫神が降臨された
と伝えられています
永久鎮座の地をもとめ
現在の地へ坐したそうです
しかし
私の知る豊玉姫は
九州の豊王国の姫巫女です
東出雲王族の口伝では
豊玉姫は
九州物部の崇神(イニエ)と
磯城・大和王国に東征の為に同盟し
婚姻を結びました
しかし
崇神(イニエ)は
日向(宮崎)を出ることなく亡くなります
妻の豊玉姫は崇神(イニエ)没後に
物部宇佐連合国の女王となり
子の豊彦と豊姫(豊鍬入姫)と共に
東征します
このあたりで出雲の王国は
物部に滅ばされていくのですが
出雲の国譲りのお話しは
このことのようです
途中
安芸の宮島で豊玉姫は亡くなり
後に宇佐神宮のある
亀山に埋葬されます
なので宇佐神宮の比売神は
宗像三女神でなくて豊玉姫
その後は
子の豊彦と豊姫(豊鍬入姫)が
東征し大和を掌握するのです
さて
若狭彦神社 上社のご祭神は
彦火火出見尊
(ひこほほでみのみこと)
東出雲王族の口伝では
この方は
饒速日
(火明・徐福・素戔嗚)
と
宗像の市杵島姫命との子で
物部始祖です
上社・下社とも
記紀などに基づきますので
豊玉姫の相方は
彦火火出見尊=山幸彦
とされています
この彦火火出見尊の父親が
天孫降臨の瓊瓊杵尊(ににぎ)なのですが
その妻は皆さんご存知
富士山の美しき女神
木花咲耶姫
しかしながら木花咲耶姫は
山神の大山祇の娘ではありますが
神吾田津姫(かむあたつひめ)といい
薩摩の吾田(あた)の海人の女神なのです
実は
豊玉姫の現実の夫崇神(イニエ)は
この吾田(あた)の海人の女神
木花咲耶姫とも婚姻していまして
子が11代の垂仁(イクメ)となります
木花咲耶姫は
子を産んですぐに死去したので
月を信奉し祀る豊玉姫を
東征の切り札として
同盟の婚姻をしたのです
古代は政よりも巫女による祭が
人心を掌握したからです
神話と口伝を照らし合わせると
崇神(イニエ)は山幸彦(彦火火出見尊)で
豊玉姫との子の豊彦は
鸕鶿草葺不合尊
(うがやふきあえず・神武の父)
てことなのでしょうか
物部東征の名残が
こうして若狭の地にも残っているのですね
東征した物部の残党が若狭へ残り
自分たちの祖神を
この地に祀ったのでしょうか
私はこのように
出雲王家の口伝をベースにしていますが
解釈の一つとして採用しています
竹内文書や秀真伝などの
偽書とされてるものと同じで
本当のところは
わからないからです
歴男オジサマたちが
古代史なんちゃらとかで
あれは間違いだとかおかしいだとか
ご自分の真実を披露されてますが
歴史なんて
ある意味ファンタジー
先の戦争のことだって
植民地化された東アジアの国々の解放する
と日本は謳い戦争をしたのだけど
違うな
戦争を仕向けられたのだけど
これも私の信じたい解釈であり真実です
保守とリベラルの間で
未だに喧々囂々やりあってるのだから
83年前のことでも
私たちには
本当のところはわからないのです
わからないと言えば
最近知って衝撃受けたことが…
ゲノム解析の進化で
いろんなことが分かってきて
日本の中世
平安時代ね
人種というか
縄文キツメの人がいてたりして
色々入り混じっていたって
☟
今みたく日本人が
平均的じゃなかったってことです
都市部と村ではかなり顔つきや姿形が
違っていたみたいですね
言語も違っていた?
非常に多様であったようです
都の連中が未開の地方に向けて
征伐しに行くってあるでしょ
「征伐ってね…鬼や獣やないねんから」
と思ってたけど
中央からみたら
得体の知れない
言葉の通じない
鬼や獣レベルに見えたのでしょう
実際に
蝦夷とか土蜘蛛とか名付けてたりしてるし
性悪やと思ってたけど
そう見えたのかもね
これ、本当に目から鱗で
今の常識で歴史を語るのは
色んな意味で
ナンセンスなんだと思いました
あちこちに話がとんで
本当にすみません
話を戻しますね
若狭姫である豊玉姫は
鸕鶿草葺不合尊(神武の父)を産んだのですが
夫の彦火火出見尊(山幸彦)に
「立ち合い出産させへんで~」
と告げたのにもかかわらず
好奇心に負けた夫に
出産シーンを盗み見られて
なんと
八尋和邇(やひろわに)
ワニだったことがバレてしまい
夫は逃げだすのです
龍宮の姫巫女なので
豊玉姫の正体はワニ
はまったくもって違和感はないけどな
和珥氏(和邇氏)とは龍蛇、鰐信仰を持つ
海人族の安曇氏と同族で
祖神が
綿津見豊玉彦命
(わたつみとよたまひこ)
豊玉姫はその娘です
覚えてます?
前の記事での
出雲のサイノカミ三神の記述
☟
また出たで
龍蛇
www
そして
ワニ
さて
前説はこれくらいで
スミマセン
長い上にワケワカメで
神社ツアー記事は私のアウトプット
アクセス少なくても
審神者の伊勢の巫女さんに
読んでもらえればいいわ
と書いてますので
どうか
許してください
若狭姫神社
さて
神門を入る前に
左手の奥が気になってしかたないので
すたすた歩いていくと
かつての池?
なのか
真ん中に磐座がありました
巫女さんも最初に気になったて
初見でね
前回は気が付きませんでしたの
ゴメン
またやけど私には見えんねん
天にそびえる陰陽石に
そもそも
若狭姫さんのいてはる
ご本殿に向いてるしな
この遠敷明神の霊水とされる
桂の井のそばにも
陰陽石あったしね
隋神門
拝殿
この千年杉で祈ると
不老長寿が叶うらしいよ
知らんけど
鯖街道の燈籠
こちらの能舞台では
何を舞ったのか
私はやることやらなくちゃ
ハズいので人目を避けて
ご本殿に近いこちらで
お話をさせていただき
龍脈の連結をいたしました
龍神が左右に流れるように翔んだ
そんなヴィジョンが見えたのです
前回の龍の連結は
本当に連結するような
ガチャンガチャンという音が
聴こえたのですが
日本海篇は違うようです
今回は音ではなくて
ビジュアルでみせてくださるようですね
その左横には
中宮社
妹であり
豊玉姫の子の鸕鶿草葺不合尊
の妻となった玉依姫のお社
甥っ子と結婚したのよ
そのスクエアの角度に
大山咋の日枝社
日枝の総社の日吉大社では
大山咋と鴨(活)玉依姫が
婚姻関係ではありますが
玉依姫
この名は神と通婚する
巫女的神性を持つとされています
ここでは
「うちも来て」
と
連結するん?
ご本殿の右には
玉守社
豊玉姫の宝珠
潮盈珠・潮乾珠の神さんです
海人族であった安曇氏の祖神
わたつみの娘
龍宮の姫巫女
豊玉姫
もともとこちらは遠敷神社ともいい
遠敷明神を祀ってました
”奈良東大寺二月堂の修二会で
神名帳を読んで全国の神を招いたが
遠敷明神は漁で忙しかったため
遅刻してしまった
そのお詫びとして
遠敷明神は二月堂の本尊である
十一面観音にお供えの閼伽水を送る
と約束したという”
遠敷(おにゅう)とは小丹生のこと
丹生とは辰砂
遠敷明神とは
丹生明神のことなのか
若狭彦・姫が降り立った
鵜ノ瀬の白石はレイライン上に
空海が祀ったとされる丹生の聖地
があったりします
丹生都比売神社のことです
ああ、あの姫さんがちらつくな…
日枝の大山咋も「来て」ゆうてはったし
白山宮にてことかな?
あそこ怖いねん…
うん、あの姫さんがちらつく
みなまで言うまい
隋神門の手前に
弁天船の模型がありました
これ見て巫女さんが
「東北へ行くということでしょうね」て
そか、やっぱ
白山で終わりじゃないのか
そういえばさっき車の中で
「東北に連れてって~」
て福の神氏にゆうてたもんな私
www
ライフワークなのですか?
誰に聞いてんねん
www
次は
若狭彦神社上社を目指します
続きます
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