ゾーマとその後の世界について | ドラクエ好きに悪い人はいない

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ドラクエから人生を哲学するブログ
ネタバレには全く配慮していませんのでご注意ください!

ドラクエの良さは

自分が主人公になれることだと思っているので、

私は主人公には絶対自分の名前を付けるのですが

(例え性別が違っても)

 

普通に主人公に感情移入してしまうので、

その時の自分の精神状態が反映されてしまったりします。

 

 

私が人生で一番精神的に辛かったのって、

大学2~3年の時なんですが。

 

小さい学部で、みんな仲が良かったのだけれど、

元々ネクラなこともあり私は全然その輪に乗っかれなくて

 

テニサーとか入ってる人が怖くって、

一時期友達になれそうかどうかを

「ドラクエを語れるかどうか」で測っていた

クソしょうもない基準を持っていたこともあり

 

さらに追い討ちをかける様に、

1年の後半から国際開発を学ぶ結構厳しいゼミみたいなのに入ってて

唯一の居場所がそこだったんですが、

テストの時間を間違えて受けられなかった愚かな私は

「あなたはこのゼミから抜けてください~」と先生から言われ。

 

今まで週7過ごして来た場所がいきなりなくなって、

誰と一緒に居たらいいのかも分かんなかったし

今まで目の前の膨大な課題に忙殺されてたのが

急に何にもやることが無くなってしまって、

何を頑張ったらいいのかも分からない状態で。

 

アラビア語をサボり

学内でラバーズヒルと呼ばれる丘で1人で本を読んでたり

(※しかもそんな自分をどこかちょっと格好いいと思ってたり)

お昼食べる人が1人も居なくて、

同じくコミュ障の友達から

「最上階のさらに上の踊り場、誰も来なくてお勧めだよ!」って教えてもらって

そこで1人でパン食べてたりとか、

 

"19歳女子大生”という世間が羨むステータスを

それはそれはドブに捨てて生きておりました。

 

 

そんな頃、毎日暇だったので

ドラクエ3(FC版)やってて

 

私のプレイは慎重派なので

十分過ぎるくらいレベル上げて、

キングヒドラ・バラモスブロス・バラモスゾンビも難なく倒して

ゾーマの玉座の前に着いた時、

 

ゾーマがドラクエ歴代ボス史上、

最高に格好良いセリフを吐くんです。

 

 

 

*「○○(私の名前)よ!
  なにゆえ もがき いきるのか?」
  

 「ほろびこそ わがよろこび。
  しにゆくものこそ うつくしい。
  さあ わがうでのなかで いきたえるがよい!」

 

 

自分の名前で呼びかけられたことで、

 

当時の私は、ゾーマのこのセリフに

すごく動揺してしまって。

 

 

なぜもがくのか、と言われても

 

だって私(主人公)は、

「勇者オルテガの息子だから」ってだけで

別に自分からそうしたいと思った訳でも無く、

周囲に言われるがままに

ルイーダの酒場で適当な仲間宛てがわれて、

村出て行って。

 

それからは何も考えなくても、人に与えられた

「魔王を倒す」というゴールを目指していれば良くて、

そのゴールを目指すための途中にあるサブゴール

(町とかダンジョンとかアイテムとか、次に何を目指せばいいか)も

周りに聞けば教えて貰えて。

 

 

そりゃそれまでの道のりは

血流したり特訓したり寒かったり色々大変だろうけれど、

 

少なくともそれさえしてれば、

「なにゆえもがき いきるのか?」という

精神的な迷いからは解放される。

 

ある意味、楽なんだ……ってことに気づいてしまった。

 

 

でもって、現実の私も一緒だったんです。

 

厳しいゼミに居た時は、

睡眠時間も少なくて大変だったけれど、

1回入ってしまえば

毎週毎週与えられた課題をやってさえいれば

毎日「私頑張ってる!」って思いながら

時間を過ごすことが出来た。

 

そこに主体性なんて何も無かったし

何か感覚がマヒしてた。

 

 

別にそのゼミから外れることになったって、

実はそれって大したことじゃなくて。

本当にその分野がやりたいことだったなら、

自分で勉強するなり留学するなり

別ルートでその方向を目指す道はいくらでもあったんだけど

 

私は、最初にそのゼミを選んだのは自分からであったけど

やってみて、それがやりたいことじゃないっていうのは

薄々感づいてて。

だけどその輪から抜けるのも怖いから、

途中で「頑張ってる」ことを辞めてしまうのも怖いから、

半年間なんとなくそれを続けてた。

 

だから、そのゼミを抜けることになった時

自分からその道を目指そうとする気は全く起きなくて、

急に毎日が真っ白になって、次に自分が何をやればいいのかが

全く分からなくなった。

 

 

そんな時、ゾーマにあのセリフを言われ、

ああ、私はこの人に勝てない、って思ってしまった。

レベルだけはアホみたいに上げていたので

戦闘は簡単に勝てたけれど、本質的には勝てない。

 

ただ言われるがまま冒険して

「なにゆえもがきいきるのか」という問いに

全然答えられない私に対して、

 

ゾーマは「破壊」という、

シンプルで、ゆるぎない、絶対的な欲望がある。

 

 

当時の私は、この後の勇者は

絶対にニートになるだろうなって思った。

 

表の世界への道が完全に閉じられて、

今までしょっちゅうルーラで実家帰って

タダで泊まって優しくしてくれてた母親とも

もう二度と会えなくて

 

元々の知り合いもいない全く知らない世界で

魔王がいなくなってしまった今、

毎日何をしたらいいのかも分からないし

 

エンディングでも

「そのあとゆうしゃのすがたをみたものは 

 だれもいない」って出たから、

 

一緒に冒険してたメンバーあたりと

これもまた人から与えられた使命のためだけに、

次の世代の子供だけ作って、

ぐだぐだになって死んでいったのだろうと思った。

 

 

 

ただ、当時はそう思っていたのだけれど

学生時代も終わり、就職したり転職したり、

当時から10数年後の今になって思うのは

 

 

ゾーマを倒した後でも

腐らず、ちゃんと、自分の道を歩んでいけるかは

勇者の心のあり方次第だよな、と。

 


そりゃ自分の好きなこと・やりたいことが明確で

気がついたらそればっかりやってしまう…みたいに

自分の道が決まっていることが理想だけど、

 

そんな天才型なんてごくごくごく一部の話で。

 

そもそも天才と呼ばれる人たちだって

最初は小さい頃に親から習わされたスポーツを

そのまま続けて…って人も多い。

 

だけどそういう人は、そのスポーツ以外でも

最初が何だったとしたって、

どの分野でもちゃんと成功してける人なんじゃないかと。

 

 

何をやったらいいのか分からないうちは

人から言われたことでも何でもいいから、

とにかくやってみるしかなくて

 

そうすれば基準値が出来るというか

やってみた結果、それが自分に合ってて

そのまま続けることでプロフェッショナルになるのかもしれないし

やってみた結果、それが合わなくて

自分が進むべきはこの道じゃない…って分かるのかもしれないし。

 

そしてそういう基準値は、

早めに作っておいた方が良いのだと思ってます。

 

もし今、次に何をすればいいかが迷っている人が居たら

とにかく興味ないことでも何でもいいから

何かやってみて欲しい、と伝えたい。

 

 

今にして振り返れば、

私が参加した厳しいゼミも

結局はその分野に進まなかったけれど、

やってみたからこそ「違う方向に行こう」と思えたのであって。

ゼミから追放されて引きこもった後に、

そことは真逆の方針の他大サークルに参加したりした。

 

そのサークルの方が私には合ってて

そこで本音で話せる仲のいい友達も作ることが出来て。

そうすると精神的な余裕が出来るのか、

疎遠になってた厳しいゼミの方の友達もまた仲良くなりだして。

 

 

正直、そのサークルだって

「本当にそれがやりたいことだったのか」はかなり疑わしくて、

厳しいゼミが駄目だったことを

何とか自分の中で意味付けしたくて

「こっちの方が良かったんだ」ということにしたいだけなのかもしれない。

 

 

だけど嘘でもいいから、後付けでもいいから

「この出来事があるから今があるんだ」とか、

「だから私は次にこれをしたいんだ」とか、

自分の中でストーリーを作っておくことは

就職でも、転職でも、その先でも

すごく大事なことなのではなんじゃないかな、と思うのです。

 

それがないと、ただただ目の前から不満ばかりを見つけて

ユートピアを探すだけの旅になってしまうし、

目の前の物が急に無くなると、空っぽになってしまう。

 

 

転職する時に、前職の人が贈ってくれた

スティーブ・ジョブズの下記のスピーチだったのですが

 

『将来を予期して、点と点をつなげることはできません。

あなたたちにできるのは、

過去を振り返ってつなげることだけなんです。

だから、わたしたちは点と点がいつか

何らかのかたちでつながると信じなければなりません。

自分の運命、人生、カルマ、何でもいいから、

とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、

自信を持って思うままに生きることができます。

たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。』

 

今でもこの言葉は私の人生の指針になってて、

私も人の節目に良くこの言葉を贈ってます。

 

 

今なら、ドラクエ3をやっても

ゾーマの言葉を聞いても、

勇者のその後は

違う未来が想像できる気がします。

 

 

勇者もゾーマ倒した後は

めちゃくちゃ辛いとは思うけれど、

 

例えゾーマを倒した時以上に

もう世界に名を轟かせることは無かったとしたって、

 

今度はちゃんと自分でゴールを見つけて、

じゃあその為に次に自分は何をすべきかを

周りの人に聞かなくたって

自分で探していける様になるんじゃないかと。

 

それは、例え名声にならなかったとしても

世界平和のために冒険している頃よりも

意味のある、素敵なことなんじゃないでしょうか。

 

 

ていう、この一連の流れを

まさにリクナビNEXTの企画で映像化されていたことがあって。

 

リクルート系のCMは前向き過ぎて苦手なものが多いんですけど

これは「あーーー、そうそう!」と思ったというか、

個人的に好きなプロモーションです。

 

『勇者でした~魔王を倒し終わったら~』

http://next.rikunabi.com/hero/

 

 


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