「想像の余地」という魅力 | ドラクエ好きに悪い人はいない

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ドラクエから人生を哲学するブログ
ネタバレには全く配慮していませんのでご注意ください!

前回のゾーマの話を書く為にゾーマのセリフをググってたら、

あのドラクエ3の上の世界が閉じてしまうラストは

「堀井雄二がこれ以上セリフを考えるのが面倒臭かったから」という

エピソードが・・・!

 

『堀井雄二氏が語った「ドラクエ3」感動のエンディングに衝撃事実!』

http://irorio.jp/natsukirio/20150114/195303/ 

 

>堀井氏は「ドラクエ3で、印象的なエンディングが出来たのは、

>膨大な作業に追われて早く楽になりたかったからです!エヘヘ」とお茶目に発表。

 

 

しかし全然オッケー!というか、

これこそがドラクエの良さというか

 

私がなぜドラクエが好きか、といったら

制作者が意図するしないに関係なく、

プレーヤーそれぞれに委ねられた

「想像の余地がある」という点に尽きます。

 

 

FFもいくつかやったことはあるのですが

例えばFF7だと、私完全にエアリス派なんですけど

何最後の方ティファといい感じになっとんねんと、

それ私の意志じゃねーよと、

与えられたストーリーを映画の様に楽しむしか出来ないんですよね。

 

その点ドラクエは主人公は一切喋らず名前もないので、

自己投影することも全く違う世界のキャラクターを当てはめることも

プレイヤーの自由で。

(私は自分の名前を付けて自己投影する派ですが)

 

最低限のシナリオと、

最低限のキャラクター設定の

バランスが絶妙で、妄想が膨らむ。

友達と話したりインターネットで検索したりしていると

自分との物語の解釈の違いに驚き、またそれが楽しい。

 

 

ドラクエは、その時代が持つ最大限の技術(スペック)に、

ユーザーの想像力を組み合わせて、

素晴らしい演出を生んでいた様に思います。

 

1だったらファミコンのハード的な字数制限によって、

あの呪文の独特な語感が生まれているし。

(登録出来る文字に限界があったのでセリフの中に出てくるカタカナを使った)

 

2だったら苦しいロンダルキアの洞窟を抜けた瞬間、

ただマップのドットが白くなっただけなのに

本当に目の前に突然雪原が広がったかの様に脳内補完されて

「ああ、遠くまで来たんだ」と感慨深かったし

 

エンディングのムーンブルクの王女のセリフをまだ覚えているけど

*「なーに? てれるなんて

  あなたらしく ないわよ」のたった一言だけで、

クリアしたかいあるってくらい感動できたし

 

 

与えられる情報が少ないから、

勝手に自分の方で想像して盛り上がれる。

 

 

それが今は、情報は全て手に入れられる時代というか。

 

 

GW、久々に東南アジア旅行したんですが(5日間だけだけど)

私のバックパック旅行のやり方って

10年くらい前の大学時代の感覚で止まってて。

 

昔だったら地図必須、地球の歩き方無いと地球歩けないってくらい

目指すポイントにどう行けばいいのかのヒントも少なかったけど。

今じゃgoogleマップもダウンロードしておけば

オフラインで使えるし(しかも無料)、

タクシーはUberで安くどこにでも呼べるし、

私はそういうこと全然知らなくて

どんどん時代に取り残されていってるなあ…って気がしたのですが

 

 

ゲームも同じで。

昔みたいに全画面でやまびこの笛吹きまくって

苦労して紋章探さなくても、

うちのお姉ちゃんみたいにマニアックに

全ダンジョンをブロック数まで正確に再現した手作り地図作らなくても、

ネット叩けばすぐに攻略法も地図も出てくるし

 

グラフィックもCGどころかVRの技術もどんどん進んで、

「いかにリアルに作るか」が追求されていくけれど。

 

 

ただやっぱりその分

苦労して辿りついたからこその感動とか、

少ない情報から想像する楽しみとか、

 

そういう喜びは少なくなっていってる気がします。

 

 

私はとにかくまあ懐古厨で、

31歳にして既にもう現代技術についていけてない

負け惜しみでもあるのですが

PS2くらいからもう全く分からず未だにファミコンが好きだし、

カラオケもいきものがかりくらいからもう全く分からず

小室ファミリーばっか歌うし

 

 

もちろん現代技術を否定する気はなくて

そっちはそっちで発展していって貰えればと思うのだけれど。

 

ただ、本当は全てを詳細に本物の様に描く技術があったとしても

そうでない部分も世の中に残しておいて欲しいというか、

少なくとも、それがドラクエの魅力ではないのではないかと。

 

 

ウォークマンは録音機能を削って、

iPadはキーボードを削って、

どっちも当時当たり前だった技術をあえて失くして

ユーザーに新しい使い方を委ねることで、

ヒットした商品だけれど。

 

そういう引き算の発想というか、

ユーザーが自由に遊び方を考えられる部分、

「想像の余地」をあえて残すことで、

生まれる面白さってある気がしています。

 

 

ドラクエ1も2も

昔は少ない技術を最大限に工夫して組み合わせて、

足りない部分はユーザーの想像力で補わせていたけれど。

 

現在は、多数の技術からどれを選び取って

且つどこに想像の余地を残していくのかを、

単に昔の技術に回帰するんじゃなく、戦略的に考えていく様な工夫の仕方が

企画とかモノづくりの場面で必要になってくる時もあるのでは無いでしょうか。

 

 

 

ちなみにですけど「想像の余地」って、

恋愛でも大事ですよね。

自分の全てをさらけ出し過ぎず

「え、この人どんな人なんだろう…」って興味持たせたりとか、

「え、今の発言ってどういう意味…?自分に気あるの?ないの??」って

色々想像させたりとか。

モテるコツってほんとそこだと思ってます。

 

理屈では分かってるんですがコミュ障の私は

全然言えないか、全部言い過ぎるかの二択しか無い為、

モテるかモテないかで言ったら大分アレです。