熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます

日本には、数多くの「戦争遺産」が遺されているにもかかわらず、現在までに文化財として保護の対象になっているものは、数少ない、老朽化により破壊、崩壊が進んでいる。
戦争は悲惨で愚かなものです、そのことを伝えるものとして、関係者の証言や映像、絵画資料、書簡等様々な手法がありますが、雄弁にかつ如実にかつインパクトをもって伝えるものとして「戦争遺産」があります。
人類の犯した過去の過ちを示すモニュメントとして「負の遺産」は、大切です、
しかし忘れたい過去として、保存より一部を除いて消滅の危機にあるのが現状です、
子供の頃には、何処にでも有った戦争遺産が今では殆ど見かけることがありません。
自分の通った小学校には、戦災をのがれたので、校舎の正面玄関には、天皇の肖像画を
祀る、御真影堂(ごしんえいどう)が有った、
さすがに、戦後なので、肖像画は無かったが、校長先生が「戦前は校舎に入る時は
必ず帽子を取りお辞儀をした」と、言っていました、
そんな校舎も今では、建て替えられて痕跡すらありません。
 
数年前に、桶川に行く機会があり、偶然見かけた「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡」の
看板をみて入ってみて「ビックリ」
入り口の外の旧弾薬庫のコンクリートの遺物があります、
敷地内に入ると兵舎、訓練学校、格納庫や車庫が敷地内にあるのです、
昔の儘の校舎
日本で現存する唯一の飛行学校の建物で、80年にも及ぶ歴史があるそうです。木造なので老朽化が著しいですが、
この地で若者が兵隊としての訓練を受けて学んで戦地に赴きました。戦争の悲惨さを後世に伝えていってほしい戦争遺産です。
少年飛行兵(少飛)、学徒出陣の特別操縦見習士官(特操)など、昭和20年2月の閉校までに20期余り、推定1,500~1,600名の飛行兵を養成し、戦地に送り出しました。
昭和18年9月に卒業した少飛第12期生は45名中18名が、昭和19年3月卒業の特操第1期生は80余名中20名近くが戦死しています。
この地の立つと飛行学校生の声が聞こえる様です、
この校庭も沢山の方々が走られたに違いない、どんな人でもこの地に来れば襟を正さざるを
えません。
今は亡き人の御霊に報いているのか猛省してしまいます。
 
日本の為に先の大戦で亡くなられた多くの御霊(みたま)のご加護があったことを忘れてはなりません。
そして戦争中其の儘の遺跡非常に大切です。
 
現在この桶川飛行学校跡は昨年より保存工事のために幕が張られて入る事が出来ません
保存工事が終わり一般公開が始まるのを、楽しみにしています。
前回見学した時は、殆ど見学者は、見掛けることはありませんでしたが、
これから脚光を浴びる事間違い有りません。