私は昔から内向的過ぎる人間だった。高校生の時、一番自己表現しなくて簡単そうな書道を選択に選んだ。
週一回の授業で、授業の間に「一回は書いたものを持ってくるように」と言われたかどうか忘れたが、毎時間毎時間下を向いてひたすら書いていた。
たまに前を見て「みんな持っていってるな」と気付きつつ、何も言われないのをこれ幸いと、一人練習・・・
かなり若い先生で、前の教卓でずっといて、赤の墨汁で訂正していた。持ってこない者のことは気にせずそのままにしておく適当な先生だった。幸か不幸か。
結局、最後の授業で一枚提出するまで、一度も自ら前に出ることはなかった。
何が嫌かと言うと、まずみんなの前に出て注目されること。(誰も注目してないが💦) 自意識過剰だった。そして、普段関わりの全く無い男の先生の側に寄ってダメ出しをされる怖さ。
今考えると何てことはない理由だが💧
それほど気がやわで、暗い顔をしたなんともペシミスト(悲観主義者?)な恥ずかしいがりやの私の若き日。目立ちたいのに
目立ちたくないふりに徹した。
正に内向的を絵に描いたようなタイプ。
思春期に先生に対する尋常ではない反発を態度で示せないから、ノートに書きまくった。周りの子には差し障りのない範囲で軽く。
ほんとに声で表現できない人間だった。
今なら多分きっと何か名前のつけられる
症状だろうが、昔のことだから、ひたす
ら自分の本音は隠しまくり周りとは付き合った。息苦しい日々😢確かに病んでいた。
そして半世紀。喋らなくてはならない仕事に就いて、何回も辞めようと思いつつ
なぜか続けて・・・どうなったか?
根本的には変わってない。先日行ったある会で、ついこの間お子さんに逝かれたお母さんが、💧をボロボロ流しながら、
それでも闘病中の話を必死でされているのを聞いて、すごいと思った。
私と言えば、未だちょっとしんどい思い出すら喋れば泣けてくるから、最大限オブラートに包んで、いつの間にかきれいごとばかり言ってしまう自分に気づいた。感情を素直に出せない。
心で突き詰め100%納得しないと言葉で発することができない。ああでもないこうでもないと、いつまでも練り返す。過剰に内向的な資質がうらめしい。
息子が逝ってしまったことを納得するために日記を見直しているが、たびたび自分たちがしたことの間違いに心を痛め、自らを傷つける。
こんなことしてて良いのだろうか?止めた方が良いのではと、日記を手にとれない長い期間がある。
可愛いわが子の可愛い素敵なエピソードもたくさんあるのに、しんどいエピソードは心の底から苦しくさせる威力が何十倍もある。
こんな風に葛藤しながら、日々過ごすのが償いの一つかもしれない。せめて息子の前で正直に声に出して謝ろう❗
「今さら」ってことはない。全てを反省して成長した母さんを見てくれるはずと
信じて。
長く苦しい道を母さんはよたよた歩いて行くから、見ていてや。来世のためにも。お前の受けた苦しさに比べたら何てことないよ。母さんは負けないからね。