【マスコミでは言えないこと】いまも続く「言論弾圧」を「即位礼」報道に確認する | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 日本はやはり天皇が統治されてきた
大八洲なのですね。雨が止み虹が出て冠雪した富士のお山が顔を見せるなんて八百万の神々が見守られておるのですね。

【マスコミでは言えないこと】 http://melma.com/backnumber_110955_6871998/
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 昨年の12月23日、現在の上皇陛下が「天皇陛下」としての、最後の「天皇誕生日」として、それを言祝ぐ、「一般参賀」に参加しました。

 この日の天気予報は、終日「雨」でしたが、陛下がおでましになる直前に、雨が止み、お出ましの瞬間には、雲の合間から日射しが降りてきました。

 その瞬間、知らぬ者同士ながら、みんなで「すごいね。やっぱり」と、主語を語ることを忘れながら、口々にその「感動」を共有したものです。

 そして、今上陛下の「即位礼 正殿の儀」においても、予想された夕方までの雨が、儀式の始まる13時になるころには上がり、そして「虹」まで見えたと言います。

 やはり、天照大神を皇祖神にもつ、我が陛下です。

 もちろん、気象現象につき「偶然だ!」とのご意見もあることでしょうが、昨年の私の例もあるように、皇室の重要行事で天気が回復することはたびたびありますし、こうした「天候の変化」すら、楽しむのが我々日本人であり、日本の文化です。

 みなが喜んでいることに、水を差すのは「野暮」っていうものか、日本を貶めることを目的とする「オッス、工作員」ぐらいです。

 そんな野暮天か工作員かはわかりませんが、即位礼正殿の儀を控えた、令和元年10月22日のテレビ朝日・モーニングショーは酷かった。

 昨年に沖縄で行われた沖縄全戦没者追悼式で、「平和の歌・生きる」を朗読した、当時、中学3年生の女子生徒の朗読シーンを、2分30秒にも渡って、この「モーニングショー」は伝えました。

 その詩の一節を引用するこんな感じ。

《海は戦艦で埋め尽くされた。火炎照射器から吹き出す炎。
 幼子の泣き声。燃え尽くされた民家。火薬の匂い
 着弾に揺れる大地、血に染まった海。
 魑魅魍魎の如く姿を変えた人々。
 阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶》

 紹介したVTRには、平和を呼びかけるカ所もありましたが、沖縄の犠牲を強調しているところが多く、即位礼のお祝いムードへの、嫌がらせのように私には見えました。

 現在、高校生の彼女が、唯一の高校生として即位礼の招待された理由ではありますが、他局や他番組では、コメンテーターがちらっと触れるか、スピーチ映像にナレーションで簡単な来歴を語るに留めます。

 そりゃそうです。

 この少女の発言は「追悼式」のもので、いわば、戦争によって旅立ったみなさんにむけて読んだ「弔辞」です。

 それを「祝い」の文脈で紹介したら、うっかりものの中には、この少女を批判する輩まで現れかねないのです。むろん、少女が悪いのではなく、テレビ朝日が悪いのです。

 このVTRを受けて、玉川徹テレビ朝日社員は詭弁を弄します。

 まるで上皇陛下、今上陛下が、この高校生を招待した理由は、つまりは「反戦」であり、「軍備の放棄」だと、天皇陛下が主張していると受けとれる「解説」をしたのです。

 それが証拠に、VTRに使われいない箇所の「ポエム」まで紹介しています。それは「戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など本当ではない」というところです。

 つまり、政治的発言が困難である天皇陛下を利用し、さらにはいたいけな「少女」を盾にした、政治宣伝は、控えめに言っても

「ゲスの極み」

 です。

 仮に武装解除したなら、一瞬で沖縄は中国に占領されることでしょ
う。

 一方、即位礼の報道において、私の見る限り「上皇陛下」を「上皇陛下」と正しく呼んだのは、玉川徹さんぐらいでした。

 それぐらい皇室を巡る報道は、呆れるほど間違った言葉が使われ、皇室を軽んじ、貶めるかのようです。

 その、最たるものはTBSです。
 皇后陛下が赤坂御所から、宮城(きゅうじょう)に向かう現地リポートで、

 TBS社員の日比 麻音子(ひび まおこ)さんは

「雅子さまがご出勤される」

 と絶叫します。皇后陛下です。興奮して口がすべったのか、あるいはタダの無知かと思っていたら、どうやらTBSは確信犯のようです。

 なぜなら、番組テロップに「出勤」とあったからです。

 TBSは皇后陛下のお役目が「労働」だと、国民を騙したいようです。その内、陛下の時給とか計算しはじめるかもしれません。

 しかし、これが「パヨク」の馬脚です。

 仮に陛下や宮様のおふるまいを「労働」だと定義しているのなら、「皇后陛下を雅子様」と呼ぶことの整合性がとれなくなるからです。

 あの、池袋の連続殺傷事件と呼んでも過言ではない、交通事故の加害者が「容疑者」と報道されない理由は、元高級官僚であることから「上級国民」だとネット民は怒りの声を上げていました。

 マスコミとしては、身柄を拘束されていないので「元所長」としたと説明し、それはその人物の来歴と、現在の立場を表すものと、マスコミは考えているからです。

 陛下や殿下という「敬称」も、また「称号」も宮様のお立場を表すものです。具体的には

「愛子様」ではなく「敬宮愛子内親王殿下」

 でなければ、正しくそのお立場を伝えることができません。 親しみを込めるにしても「敬宮様」としなければ、「事実を正しく伝える報道」とは言えないのです。

 畏れ多くも、皇室とパンピーを、一般庶民を同列に語る不敬をするならば、TBSのバラエティ番組「消えた天才」におけるヤラセ映像が発覚し、釈明に追われるTBSの佐々木 卓(ささき たかし)社長を、テレビ朝日なら「スーパーJチャンネル」のヤラセを謝罪するニュース原稿でテレビ朝日の亀山 慶二(かめやま けいじ)社長を、それぞれ、

「佐々木さん」
「亀山さん」

 と紹介しては、誰が何のために謝罪しているかわからなくなるか
らです。

 つまり、陛下や殿下という敬称を正しく伝えないことは、それだけで「フェイクニュース」といっても過言ではないのです。

 しかし、「産経新聞」も同じくなのですから呆れます。

 ニュース報道には内規のような「取り決め」があり、それに従っているという言い訳は通用しません。なぜなら、それは「マスコミ村」のロジックであって、ただしい情報を知りたい、日本国民の利益を損ねているだけなのですから。

 日本人にただしい情報を伝えない「報道しない自由」など認めることはできません。

 一方、なぜ、「上皇ご夫妻」に「雅子様」、そして「愛子様」がまかり通っているのか。

 親しみと馴れ馴れしさの分別がつかない、タダのアレの可能性も否定しきれませんが、ネットをググってみると昭和29年12月にNHKが刊行した『皇室関係放送用語集』を見つけました。

そこには

《行幸先が2カ所以上にわたるものを「巡幸」という場合もあるが、放送では、すべて「御旅行」とする》

 など、戦前使われていた皇室がらみの「正しい表現」が規制されていることがわかります。

 なぜこうなったか。

 それは江藤淳さんの「閉ざされた言語空間」に詳しいのですが、「GHQ」による洗脳工作で、天皇陛下、また皇室を貶める、軽い存在に見せることで、日本の国体を、国柄を破壊する目的で行われ
ました。

 そして、いまもまだ「言論統制」の下に、日本のマスコミはあります。

 ただし、先ほどの『皇室関係放送用語集』には、歴史的なご皇族や、お隠れになった陛下に対して、「殿下」と使わないとありますが、つまりは「それ以外」には使うことが記されています。

 ところが、徐々にながら、確実に、皇室の表現が軽くされ、それに「産経新聞」でさえ同調している。これが、我が日本国の「マスコミ」の現在地です。

 GHQによる占領が終わって70年の月日が過ぎたことに、いまだに気づかない大手マスコミが、時代に取り残されるのは、実に自然の摂理に適ったもので、諸行無常すら美学と感じる、日本社会から、

「ばいばい」

 とマスコミが退場を余儀なくされるのは、日が昇り、日が沈むのと同じぐらい、当たり前なのだと噛みしめる、今日この頃でございます。
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 目に見えない言論弾圧は日々繰り返されているのです。