宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<サムソン、ファーウェイが次世代5Gスマホ、秋から発売へ (2 | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。

    一体全体、誰が5Gスマホを買うのでしょう⁉️    僕の持つSONYでさえ、8万ですよ。オヨヨヨ。何年払いにしなけりゃいけないのか不明┐('~`;)┌   値ごろ感を幾らにすりゃ良いんだよ⁉️


宮崎正広メルマ

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」

平成31年(2019年)2月25日(月曜日)

          通巻第6002号    

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 勇み足、早とちり、フライング。バルセロナで携帯電話世界フェア

  サムソン、ファーウェイが次世代5Gスマホ、秋から発売へ

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 2月24日、スペイン。25日から開催されるバルセロナ世界スマホ展示会に先だって、ファーウェイは次世代5Gスマホの見本を公開した。折りたたみ式で、拡げるとタブレットとなり、高速の作業が可能となる。有機EL使用の新型スマホーは今秋に発売され、予価は29万円とした。


 すでにサムソンも同型を発表し、価格は22万円。アップル、ノキア、エリクソンは出遅れ、日本はまだ影も形もない。

5G開発競争で、アップルの優位が崩れたのだろうか?


 フィンランドのノキア幹部が同展示会で語っているように「西側の基準は安全であり(拙速ではない)、慎重に5G製品を開発する」。

つまり市場にいつ投入するか不明とした。強引で拙速による市場先取り作戦に欧米メーカーは業を煮やす。


 しかしファーウェイのスマホは、すでに世界に二億台、勢いを止めることができない。

 対照的にアップルは昨年第四四半期に「中国のおける販売は10%減った」とした。さらに2019年一月は前月比で20%の落ち込み、これは米国トランプ大統領のファーウェイ排撃に対抗して中国国内で不買運動が起きているからだ。


 トランプのファーウェイ締め出しに、まだ疑義を呈しているのが英国とドイツで、政府系の調達は自粛するが、ほかの分野では規制しないというのが英独の姿勢。おなじファイブアイズ(Five Eyes)でも、勇猛に排撃を決めた豪、NZと温度差がある。


 イタリアはどうか。「同盟」と「五つ星運動」の連立政権で副首相兼内相のマティオ

・サルビーニは「ファーウェイを排撃するべきだ」としているが、連立内部には左翼分子や親中派議員が混ざっており、閣内の意見もまだ統一をみていない。

 またベルルスコーニ元首相らは、柔軟な姿勢を見せている。


 こうした西側の政治事情を横目にして、劣勢挽回を図るファーウェイは、たとえフライングになろうとも先に5Gスマホ市場に唾をつけたことになる。新製品29万円(!)。いずれ過渡期のシロモノとなるのだが、手を出しますか?


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読者の声 ☆どくしゃのこえ ★READERS‘ OPINIONS

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(読者の声1)三島文学のよき理解者ドナルド・キーン先生が亡くなりました。96歳、この享年は、木内信胤、中河與一先生等と同じでした。

随分とテレビは好意的に扱っています。とくに晩年は新潟に転居され、日本人に帰化されたほどでした。宮崎正弘先生もおつきあいがあったと思われますのでご感想を聞かせていただけると幸いです。

   (HD生、新潟県燕市)


(宮崎正弘のコメント)お目にかかったことは数回しかなく、ですからコメントする立場にはありません。

作品のなかでは徳岡孝夫氏との『悼友紀行』を印象深く覚えています。三島さんゆかりの地を二人で旅行して、おりおりに対談された記録です。

 キーンさんの発言では「日本のオリジナリティのないムラカミハルキには興味がない」とした評価には賛同します。

小生がキーンさんを担当した作品では、村松剛先生と日本文化論の対談を二度ほどやっていただきました。45年ほど前の雑誌『浪漫』に掲載されたのですが、単行本未収録です。

三島憂国忌のおりは控え室には来られましたが、何回かお願いしても演壇には立たれませんでした。

 小生が思いますに、三島さんの思い入れが強かったわりに、キーン氏は、一方で安部公房、大江健三郎を称える人、つまり「文壇政治」と心得た人だった。サイデンステッカー先生がいつぞや呟いておられましたが、キーンさんが展開していることは『政治ですよ』という一言で、殆どが了解できます。

それはともかく日本文学を世界に広めていただいた功績は大きく、日本は大いに顕彰するべき人です。合掌。


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(読者の声2)私は1984年から13年間、ヴェネズエラの大学で教鞭を執っていました。

 当時のヴェネズエラの大学の教授の給料は世界で1,2の高さで、日本の大学教授、アメリカの教授の、実感として数倍以上貰っていました。日本に一時帰国したとき、日本の物価が総て安く、驚異的に感じました。

トリニダードから来ていた私の女中は、休みにマイアミに旅行に行き、女中の給料で、アメリカの物価が安く、爆買いをしていました。アメリカ人に、ヴェネズエラ人ではなく「2つおくれ(Da me dos)」と呼ばれたりしていました。

私の学生のお金持ちのお父さんはマイアミで週末に買い物をしてきて、「何を買ったの?」と尋ねると、アメリカの「ショッピングセンターを一つ買った。」と言っていました。

私も、フロリダに、ヨットの係留出来る桟橋付きの別荘を持っていました。チャベスなどの出てくるずっと前に日本に帰国しました。チャベス大統領は、国名まで変えました。それまでは正式名はヴェネズエラ共和国ですが、そこに、建国の父である、「シモン・ボリバール」の名を入れ、国名を「ヴェネズエラ・ボリバル共和国」にしました。


シモンという名には、ヴェネズエラ人が好きなようです。私の大学はヴェネズエラの国立大学でエリート育成のために新しく出来た大学で、創立25周年で私は5人目の名誉教授・名誉博士になりました。日本の大学と違い、定年で辞めた教授はただの退官教授で名誉教授にはなれません。私の前は、イスラエルのノーベル平和賞を貰ったシモン・ペレス。その前は作詩家のシモン・ディアスでした。「シモンの付いていない名誉教授はめずらしい〜」と言われました。

 資源のある国の宿命は、「国民が怠け者、投資家はイージーマネーに走る投資しかしない投資家」になって、国内に産業は育たないと言うことだと思います。

    (K.I生)


(宮崎正弘のコメント)シモンは、日本では仏教系の語感がありますね。友人に「之聞」がいます。英語圏はサイモンと発音するようです。「祭文」と聞こえ、こうなると神道ですか。余計なことを書きましたが、御高文、むかしのヴェネズエラ事情がよく分かりました。有り難う御座います。


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(読者の声3)貴誌通巻第6000号<六千号記念号>(読者の声1)で鈴木寿秀氏が、「諸説の中の一つとして、日本人のルーツが今から二万年前に、陸続きであったサハリン経由で北海道に渡ってきたと言われています。

シベリアのバイカル湖周辺で暮らしている『ブリヤート人』は、我々日本人に顔が非常に似ており、ただ似ているだけでなく遺伝子も共通しているようです」と書かれました。

素晴らしいご指摘です。

日本の国柄か日本人の心性のためか、こういった場合、日本人のルーツはプリヤート人であるという見解が出て来ます。神話や民話でも南太平洋の島々に日本の神話や民話と似たものがあればすぐにそれらが日本の神話や民話の元になったのだということを言い出す人がでてきます。

偶然に似ただけなのか、逆に日本から南洋の島々へ古代に雄飛した人がいた可能性を考えようともしません。縄文時代に北海道に住んでいた日本人が、縄文時代後期の気候変動で北海道に住めなくなり、本州北部と沿海州に渡り済んだという可能性を唱える人はほとんどいません。

私は、(1)偶然の一致、(2)北海道から渡った、(3)沿海州から来た、の三択の内最後の可能性は非常に小さいと思います。何故なら沿海州で発見された最古の土器より北海道で発見された最古の土器の方が古いからです。こういった冷徹かつ論理的な考察が何事にも必要です。

逆に冷徹かつ論理的な考察と真逆の考察があります。日本書紀の記述から朝鮮半島から日本へ仏教や漢字や漢籍が伝わったと断定することです。

日本書紀にあるのは、朝鮮半島から仏像や仏典や漢籍が献上されたという記述です。それよりはるか前から華南から日本に仏教も漢籍も伝わってきていました。

証拠があります。漢和辞典をめくってみると圧倒的多数の漢字が現代でも華南から伝わった呉音で読まれています。大宝律令以来法律用語や官庁用語は北朝系の漢音で読まれたにもかかわらずです。

ちなみに「憲法の発議(はつぎ)」「憲法の発議(ほつぎ)」と読むべきだという人がいますが、これは漢音の「はつぎ」の方が適切です。

また聖徳太子の三経義疏の説も南朝系の学説が基になっています。玄界灘の荒波を越えて朝鮮半島から中華の文物が日本に伝わるより、漁民の往来があった華南から九州へと伝わったと考える方がはるかに納得いきます。

さらに和服のことを呉服ともいいます。では何故、日本書紀ではあのような記述となったのでしょうか。それは、新羅への外交的配慮と朝鮮半島から日本に帰化した人たちへの配慮であったと私は考えています。

正直に当時の朝鮮半島は文化程度が低かったと書くことが憚れたのでしょう。今年(平成31年)の大学センター試験の日本史の問題で長々と如何に古代に朝鮮半島の文化程度が高かったかを書いてそれを前提として設問がありましたが、これは驚くべきことです。 

世界史でも朝鮮半島史でもなく日本史の問題です。どうも狂人が問題を作っているようです。

3世紀初めに沿海州南部から朝鮮半島へ牧畜民が侵入してくる前、に朝鮮半島には漢帝国から移住してきた漢族、漢に濊(わい)と呼ばれた現地人と倭人(日本人)が共生・共存して住んでいました。漢帝国の崩壊とともに漢族は引き揚げていき、3世紀になって百済、新羅、高句麗が朝鮮半島中部・北部にできました。南部はおそらく倭人が多数を占めていたことでしょう。

高麗王朝の王の命令で編纂された百済、新羅、高句麗三国の歴史書「三国史記」があります。この本の中に祖期の新羅の国王は有力な二つの家系からほぼ交代で即位していたことが書かれており、その内の一つの家系は「倭人」と書かれています。

そして何代か経った時にある倭人の新羅国王がこれからは現地民が国王になるべきだと考え現地人の孤児を自分の養子として、後に「金」という姓を与え、その後その子孫の金姓の人が新羅の国王となっていったと書れれているそうです。

このことから二つの謎が解けます。

ひとつは、7世紀に20万人ともいわれる多数の人が日本に帰化したにもかかわらず、現代日本人の遺伝子が韓国人と大きく異なるということで、もう一つは大和朝廷と百済や新羅との間の交流で通訳への言及がないことです。

歴史学者の中には当時の日本の宮廷人たちは朝鮮語を話すことができたという説を唱える人がいます。実際には新羅や百済の官僚となっていた倭人が日本との外交をおこなっていたのでしょう。そして、7世紀に朝鮮半島が倭人にとって住みにくい環境になったので、日本へ帰化したのでしょう。

だからこそ大きな摩擦もなく日本に溶け込めたのです。

ここで一つ嘆かわしいことがあります。現在の韓国では上記の記述を含む歴史学会の定説に反する部分が削除された三国史記しか手に入らないそうです。

王の経歴もあまりに近親結婚が多いので削除されているそうです。新しく出版された三国史記だけでなく古書店や図書館にある削除がない三国史記は回収され廃棄されているとのことです。怖しいことです。

平成17年(西暦2005年)大韓帝国皇帝が日本に韓国を併合してくれるよう要請することの可否を下問して行われた閣議の議事録を韓国で韓国人の学者が発見しました。

私はごく短い要約しか読んでいませんが、あれもいつの間にかなかったことになっているようです。

我々は事実を冷徹に論理的に考究して議論しましょう。

   (當田晋也)


(宮崎正弘のコメント)ご参考までに国立博物館の「縄文」の展示説明は「12000年〜13000年前」です。新発見の16000年説をまだ採用しておりません。

またちなみに同館一階奧に「アイヌ、琉球」の展示室があり、「阿依奴」の表記。北海道への渡来は12世紀から13世紀と、こちらは百年ほど早いことになっています。


  

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(読者の声4)先生のご著書、ニーチェ論(『青空の下で読む ニーチェ』(勉誠出版)をようやく拝読しました。実に人生論、哲学論として痛快です。日本におけるニヒリストたちに関する適確な指摘は分かりやすく、理解しやすく、これでよく見えてきました。日本人の精神論でもありますね。

  (AO生、静岡市)


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    アイヌは沿海州から渡ってきた同祖の人々と位置付けるのが妥当なんだろうな。小学生の時、白老の部落に(毎年バス旅行が我が小学校では有った)行ったけど、何もピンと来なかったのが不思議な感覚だったのは別系統の縄文だったのだな。父から黒曜石の矢尻を貰ったとき、アイヌと結び付かなかったのも何となく納得した。