頂門の一針4029号ん2016・6・17(金) [頂門の一針] - メルマ! | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 日本は今や文化大国であり、文化文明の輸出国であるのです。

 明治維新の前後から始まった西洋文明を理解する為に、漢字という文字を使用して翻訳語を創造した。表意文字の特長を活かし、二文字或いは三文字の熟語で表現して量産した。今や何が翻訳後なのかさえ、現代の我々は知りもしない。

 漢字を使用した翻訳語は目にした一瞬で、その意味を理解するまでになっているのが現在。

 この記事は意味も概念も理解出来ない形での日本語の輸入、使用の実態を伝えている。日本の先人たちの産みの苦しみには頭が下がるだけではなく、幾ら感謝してもし足りない気持ちで一杯だ。


 戦後はカタカナ語の氾濫で如何なものかとの思いが有るけど・・・。貴方はどう考えますか?



頂門の一針メルマより
http://melma.com/sp/backnumber_108241_6381491/
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私の「身辺雑記」(354)
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平井修一

■6月14日(火)、朝6:00は室温23.5度、昨日は終日雨だったが今朝は一転、快晴の夏日、旧暦でいう「五月晴れ」、ハーフ散歩。

梅雨子来る 毎日濡れて 稲育つ(修一)

日本の言葉がドイツで増殖中だという。日地谷=キルシュネライト・イルメラ  HIJIYA-KIRSCHNEREIT Irmela氏の論考「ボンサイという名の少年

ドイツで増殖する日本の言葉」(nippon.com 6/13)にはびっくりした。

氏の経歴:ベルリン自由大学フリードリヒ・シュレーゲル文学研究大学院長。文芸書の翻訳および日本文学、日本文化に関する著作を多数手がける。日本研究の成果が評価されて、1992年にドイツの学術界で最も権威あるゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞を受賞。東京のドイツ日本研究所所長およびヨーロッパ日本研究協会会長を歴任。

<近代のほとんどの時期において、日本と西洋の間の「言葉の貿易収支」 は極めて不均衡だった。新しい語彙とともに西洋の知識を取り入れることは日本の近代化の一部であり、19世紀後半以降、西洋の言語に由来するお びただしい数の外来語が日本語の中で重要な位置を占めてきた。その数の多さと広がりに比べたら、西洋に入ってきた日本語の数などたかが知れて いる。

それでも西洋にはない事物だという異国情緒から、キモノ、ゲイシャ、サムライ、ショーグンといった言葉は、日本の文物に関する西洋人による記述を通じて、明治維新のはるか以前からヨーロッパで知られていた。

また多くの国々が日本の文化を「輸入」してもきた。例えば俳句は、ロシア語、タガログ語、チェコ語など、さまざまな言語に取り入れられ、詩歌の一形式として受け入れられている。

最近で言うならタマゴッチやウォークマンなどが挙げられよう。

この10年ほどはグローバル化の加速を背景に、さまざまなルートや方法で日本語が大量に「輸出」されている。その増加ぶりは顕著だ。日常的に使う言葉の中にひっそりと溶け込んでいるせいで、この変化に気付く人はそれほど多くないかもしれない。

しかし日本語がどんな分野で使われているのかを検証することは価値があるし、なかなか面白い結果が得られるはずだ。ドイツ語の例を見てみよう。

*スシの普及による影響

ドイツにおいて日本語が最も多く使われている分野といえば、なんといっても料理だろう。理由はいろいろあるが、1990年代後半にドイツをはじめ世界各国に「すし」が普及したことがその1つに挙げられる。

ドイツ人はそれまで知らなかったさまざまな食材を知り、それらの名称が日本語のまま取り入れられた。サシミ、ワサビ、シソ、ワカメなどの言葉は、世代を問わず誰もが知っている。ブリ、ハマチ、ガリ、軍艦巻きなどを示すマキも同様だ。ユズ、ポンズ、ダシといった言葉も、その味とともに知られているし、ウマミの概念もまたしかり。

京都や東京で修業を積んだドイツ人の著名な料理人たちは、ベントー(弁当)のコンセプトを使ったコース料理や、マッチャ、アズキ、ゴマ、ワサビ風味のデザートなど、日本テイストを取り入れたオリジナルメニューを競って考案している。

そうした高級料理は一般の消費者には値が張りすぎるし、あまり魅力的ではないだろうが、そこで用いられる食材はほとんどが雑誌やメディアで取り上げられている。

地元のスーパーに行けばテイクアウトのすしがウメ、カブキ、ブンラク(文楽)といった名前で売られ、今はやりのデリバリーのメニューにも日本語の名前が登場する。日本原産のシイタケ、エノキ、ミズナ(水菜)もすっかり定着した。つまりモノと言葉が一緒に入ってきたというわけだ。

同じパターンはスポーツ、ガーデニング、ゲーム、漫画などの分野でも見られる。ジュードーカ(柔道家)などの名称や、相撲の決まり手の1つであるウワテナゲ(上手投げ)に加え、モミジ、コイ(鯉)と言った言葉も、今ではドイツ人の語彙になっている。

子どもたちは漫画やお気に入りのキャラクターから日本語を学び、中には日本人(のように見える人)を見かけたらコンニチハやダイスキと呼びかけてみる子もいるだろう。

製品名やブランド名、店名、さらには社名にも日本風の名前が付けられている。例えば飲食店ならアキコ(Akiko)、リョーリ(Ryorii)、ココロ(Cocolo)、クチ(Kuchi)、モシモシ(Moshimoshi)、ミヤビ(Miyabi)といった具合。アルファベット表記が正しくないものもあるが、そのまま引用した。おそらく、わざと違うスペルにして人目を引こうというマーケティング戦略なのだろう。

ステキ(Suteki)という名の盆栽センター、オレンジ色の人工毛を使ったメーク用ブラシのカブキ(Kabukki)、ボンサイ(Bonsaii)という商品名のシュレッダー、ハイカー用のダウンの寝袋ブランドでヒバチ(Hibachi)というのもある。

製品そのものと日本語の本来の意味は必ずしも関係はなく、音の響きの良さや発音のしやすさから選ばれており、その結果、日本語名の増殖に拍車がかかっている。言葉の出所は漫画やゲームなどだ。今や日本語や日本語風の言葉は、外国語としてではなく、ドイツ語の中に自然に溶け込みつつ ある。

面白いのは、日本語の名称や表現が、現代のグローバル化した消費社会の中で、単にそのまま使われているだけでないということだ。中には新しい言語環境の中で独自の進化を遂げた例もある。外国語が持つ新鮮さを生かして、言葉や表現がまったく新しい文脈で、しかも独創的な使い方で、日本語が使われるようになっているのだ。

*日本語の新しい用法

ここまで取り上げたのは、いずれも日常生活のさまざまな場面で使われる言葉だったが、ドイツやその他のヨーロッパの国々では、それ以外の名詞も使われている。ツナミ、ハラキリ、ヒキコモリ(引きこもり)、カローシ(過労死)などがそうだ。

これらの言葉は本来かなりネガティブな意味を持つが、ドイツではさまざまな用途に使用されている。例えばベルリンにはカローシ(Caroshi)という名前のバーがある。非常に逆説的なネーミングで、人目を引くことこの上ない。

バーだけにとどまらず、同じベルリンにはカローシ(Karoshi)というメ ディア関連の代理店もある。おそらく皮肉の意味合いを込めた社名なのだろう。

こうした名詞の中でも最もよく知られているのは、間違いなくハラキリだろう。それだけで1つの記事を書けるくらい、ドイツでは長い歴史を持っている。1919年にはフリッツ・ラング監督がオペラ『蝶々夫人』からの翻案となる無声ドイツ映画『ハラキリ』を製作したが、これは19世紀以降のヨーロッパにおけるハラキリの歴史の一段階にすぎない。

現代のドイツにおいてハラキリは、世代を問わず「明らかな自殺行為」の意味で使われる。マスメディアや大人たちの会話の中では、政治的ハラキリや経済的ハラキリ、さらには社会的ハラキリなどが会話にでてくるし、子どもたちは学校でスポーツなどの話題の時にこの言葉を使う。

あまりに気楽に、しかも頻繁に使われるので、すでにハラキリの持つドラマチックなニュアンスはほとんど失われている。例えば新聞記者は、チャンピオンズリーグで勝つことだけしか考えていないサッカーチームをハラキリと呼んだりするのだ。

一方、ツナミが普及したのは比較的最近のことだ。21世紀になって深刻な津波被害がたびたび報道されたことによって世界中で使われるようになった。ハラキリ同様に元の意味を離れ、今では「圧倒的な体験や出来事」を表す時に使われる。

とりわけジャーナリストのお気に入りで、自国のサッカー選手が海外で成功を収めてドイツに凱旋帰国すれば「歓喜のツナミ」、インターネット上にさまざまな意見があふれると「意見のツナミ」、といった具合だ。

ドイツ人の語彙に新しく加わった言葉の中で最も便利な表現の1つがボンサイ(盆栽)だ。思ったよりちっぽけだったとか、適切と思われる規模より小さい、という場合に比喩的に使われる。

ドイツのヤングアダルト小説『ボンサイ(Bonsai)』(1997年)に加え、英語、デンマーク語、スペイン語からドイツ語に翻訳された同名の3作品におけるボンサイは、まさにその意味だ。

政治の世界では、ボンサイナショナリズム、ボンサイ野党、ボンサイデモ、ボンサイニュース(ツイッターを指す)などと、ボンサイが当たり前のように使われる。ドイツ軍はボンサイ軍とやゆされ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者サイモン・ラトルは2014年のニューイヤーズ・イブ・コンサートで指揮した小品をボンサイ傑作と呼んだ。

さらに2006年にギムナジウム(大学進学を前提としたドイツの中等教育機関)での教育期間を9年間から8年間に短縮するという議論が起きた時、教員組合の委員長は新制度をボンサイ・ギムナジウムと表現した。小さく愛らしいボンサイは、散文、小説、ゾウ、店などを形容する際にも使われる。

*反転する言葉の流れ

これらの例からは、日本の言葉がドイツで確実に受け入れられつつあることが分かる。以前は名前すら存在しなかった食品その他の事物を表す言葉としてのみならず、新鮮で異国情緒にあふれるしゃれた外来語として。

興味深いのは、どの分野で日本語が多く使われ、いつドイツに入ってきたかだ。外来語としてそのまま使われている日本の言葉を集めた辞書(2008年刊行)に掲載されたのは500語ほどだが、この記事で取り上げた言葉は最近使われるようになったものがほとんどなので、この辞書には載っていない。

例えば和食や日本料理に関する言葉の流入は比較的最近のことだが、これには日本政府主導の食品輸出キャンペーンの影響もあるだろう。逆にスポーツに関する表現はかなり古くからある。ただしスモウやケンドーの認知度が上がったのはマスメディアの影響だ。

日本語の単語や名称が受け入れられるようになってきたことで、日本語が「外来語としての英語」に対してちょっとした“戦い”を挑んでいるという点も、注目に値する。ドイツで外来語と言えば英語が圧倒的に多く、この状況は当面変わることはないだろう。日本と同じように、ドイツにおいても英語は権威ある言語だと思われているため、多くの英単語がそのままドイツ語の代わりに使われている。

ところが「津波」については、急速に世界中に広まったツナミ(tsunami)という日本語が、既存のドイツ語にあっさり取って代わった。

この新しい傾向は、日本の「たこつぼ」に由来する医学用語、「たこつぼ型心筋症」についても当てはまる。たこつぼ型心筋症は心疾患の1つで、左心室の形がたこつぼに似た形になる病気である。ドイツでは従来、英語の「ブロークンハート(broken heart)症候群」という分かりやすい名称が使われてきた。

そもそもドイツ人にとって、たこつぼという言葉は理解しづらい。たこつぼを使った漁法はドイツにないし、バルト海や北海の漁場にタコは生息していないからだ。だから普通のドイツ人は、たこつぼと言われてもまったくピンとこない。にもかかわらず最近は、ブロークンハート症候群よりも、たこつぼ型心筋症の方がよく使われる。

このことは、日本の医学研究が国際的に高い評価を得ているという事実のみならず、21世紀になってようやく、「西洋から世界へ」という、これまでは当然と思われてきた知識の流れの方向が変わり始めたことを示しているのかもしれない。

この流れの変化は捉えにくく、多くの人は気づいてさえいないかもしれない。2016年に著名な社会科学者が『The Darkness at the Foot of the Lighthouse(灯台下暗し)』と題した書籍を出版したが、ほとんどの読者は、序文を読まなければタイトルが日本のことわざに由来するとは気づかなかったはずだ。

最後にもう1つだけ、別の例を挙げておこう。ドイツのある大手新聞社が「翻訳不可能な外国の言葉」を意味する表現を読者から募ったところ、1人の読者がツンドク(積ん読)を提案し、本を買って読まずに山積みにしてあるという意味だと説明した。以来、ツンドクは典型的な「現代病」を意味する言葉として、印刷媒体やインターネットなどでしばしば使われるようになった。ようやくドイツ人も、この「病」を表すにふさわしい表現を手にしたのだ!

写真:オーストリアのスキーリゾート、マイヤーホーフェンにある、世界一勾配がきついと言われるコース「ハラキリ」↓>(以上)
http://www.nippon.com/ja/column/g00364/

ドイツ人は自分勝手の嫌な奴、と思っていたが、新しいもの好きで、好奇心旺盛、どんどん吸収するのは知的レベルが高いからだろう。ただ、洗脳されやすいのが玉にキズ、ボンサイだ。

【今朝の産経から】1面「舛添知事 辞職不可避」、舛添は政治的・経済的・社会的にハラキリしたな。これからの転落人生、見ものだ。平沢勝栄曰く「舛添じゃなくて巻き添えだ」、座布団5枚。

6面「中国外相の横暴 カナダ紙が一斉批判」、パシリ王毅の暴言、傲慢無礼、ハラキリでカナダ人は中共の本質を見たろう、また小トルドー政権のボンサイ振りも痛感したに違いない。批判のツナミ、大いに結構だ。


■6月15日(水)、朝6:00は室温22度、肌寒い、昨日と打って変わってどんよりした曇、ハーフ散歩。

そういえばバルチック艦隊を消滅させた天才、秋山真之を東郷元帥は「智謀如涌」(ちぼうわくがごとし)と評したが、第一次大戦がはじまると真之はこう分析している。

「ドイツは誇大妄想ともいうべき極端な自我主義に染まっていて、孤立している。ドイツは必ず敗れ、連合国側が勝つ。アメリカはいずれ連合国側に参戦する。だから、地中海に艦隊を派遣して、勝利に寄与しておけば、戦後の外交上有利である」(船団護衛で活躍、犠牲も出たが感謝された)

今(も?)ドイツはEUの嫌われ者だが、EUが分裂するとドイツは再び真之の言葉どおりになるかもしれない。誇大妄想唯我独尊自我主義ドイツは懲りない、折れない、油断ならない。 

ところで65歳を過ぎたらやたらと足腰がふらつき、このところは劣化が激しく転倒しかねないので、劣化を少しでも抑えるために昨日から腰筋の筋トレを始めた。結構良さそうだ。

中共の劣化、衰退、後退は止まらないだろうな。

姫田小夏氏の論考「AIIBは成功するのか? 中国でも疑いの声 ADBと初の協調融資へ、それでも立ちはだかるアジアのリスク」(JBプレス6/14)から。AIIBはインチキ投資銀行のこと。

<*中国が世界で港の建設に続々と出資

新興国にとってインフラ建設は最重要課題だが、膨大な建設費がかかる。港湾行政に詳しい専門家は「新興国は自国だけでは予算を確保できないため、日本も多くの円借款などを提供しています」と語る。

新興国では、インフラ建設に必要な技術も人材も不足している。「日本はアジア、アフリカに技術者を派遣したり、国内に毎年多くの研修生の受け 入れるなどサポートしています」(同)。

日本はODAを通じて、これまで多くの国にインフラ建設の支援をしてきた。しかし近年は、各国の港湾建設において中国のプレゼンスが高まっている。

中国は現在、アジアを中心に港の建設に乗り出している。パキスタンのグワダル港、アフリカのジブチ港、イエメンのアデン港、バングラデシュのチッタゴン港、スリランカのコロンボ港、モルジブ港、ミャンマーのチャウピュー港、ギリシャのピレウス港など、中国の出資によって建設される港は枚挙にいとまがない。

中でも注目を集めるのがパキスタン南西部のグワダル港である。2013年、中国は同港の港湾管理権を取得し、2015年には同港の経済特区について43年の運営権を取得した。

グワダル港は西はアラビア海、東はインド洋を結ぶ海上の要衝である。中国はここを「中パ経済回廊」の起点に位置づけ、内陸部の新疆のカシュガルからグワダルまでの約3000キロの陸路開通にも乗り出している。グワダル港の開発を急ぐ背景には、米国の中東における主導的地位を覆し、エネルギーや軍事面での安全保障を強化しようという狙いがある。

*国内でも「AIIBの枠組みは前途多難」の声

中国政府は「一帯一路」によって「互聯互通」が実現するという。互聯互通とは、アジア諸国が互いに「連結」することである。

だが、中国では「本当に連結できるのか?」という懐疑的な声もある。

「上海経済評論」(東方早報、2015年9月発行)は、AIIBという枠組みの 構築は前途多難であり楽観できないとする論評を掲載した。その理由の1つに次のような指摘がある。

「アジアの政治制度や経済体制、発展水準や文化教育、宗教はみな違う。国によっては政治的に不安定で、部族間の分裂や内乱が発生しているところもある。アジアの多くの国家では賄賂が横行し、法律は十分に機能しない。領土問題を抱える国もある」

その論評は、インフラ建設の資金を必要としている国ほど問題を抱えていることを指摘している。

パキスタンのグワダル港にしても、建設地のバローチスタン州は政情が不安定な地域である。ここで生活するのは遊牧民のイラン系バローチ族で、 国の6割の人口を占めるパンジャブ族とは反目する関係にある。パキスタン政府とも対立し、テロリストも潜伏すると言われている。

米シンクタンクによれば、バローチ族は、中国やシンガポールなど外部の勢力が入ってくることを警戒し、国際的な港湾や輸送センターが建設されることに抵抗しているという。

港の開発とともに闇の土地取引は盛んになり、土地を追われるバローチ族も後を絶たない。グワダル港が晴れて輸送上のハブとなったとしても、恨みを買った部族に襲われる可能性は否定できない。

いかにAIIBが「互恵互利」を掲げたとしても、中国だけが参加国の利権を貪るという構図では、地元の反発は避けられない。また、経済効果を“エサ”にして参加国を増やしても、参加国同士の利害は対立し、連携は深められないだろう。

AIIBの設立当初、中国は豊富な資金力で押し切れると思ったのかもしれない。しかし“アジア連結”のリスクを低く見積もり過ぎていたのではないだろうか>(以上)

昔から「先立つものは金、金がなければ何も始まらない」が、2015年から顕著になった経済低迷で中共の金庫は今や空っぽではないか。米WSJ6/14は世界経済のリスク要因の一つとして「中国の債務崩壊の可能性」を挙げているが、つまり借金を返せない、債務不履行の懸念がある、AIIBどころじゃないだろう。中共自体がオシマイになりつつある。

小生が先か、中共が先か、それが問題だが、ン?「中国人民銀行総裁が行方不明に、原因は人民元に重大な危機か、個人的事情か」(新唐人6/14)・・・完全に末期症状だ。

末期症状の舛添は今日の午前に都議会議長に、21日付の辞職願を提出した(時事)。何もなさずの不通クネの茶坊主、往生際の悪いゲス舛添、不信 任決議案が可決されるとヤバイから、せめて退職金を貰っておこうという魂胆だろう。「死んでもお金を離しませんでした」、異次元の汚さ、多分東大出の発達障害だろう。泥棒に追い銭・・・都民は許すな。

【今朝の産経から】6面「まひする中国リスク」、シャドーバンクの120兆円の債務が焦げ付くぞ、油断するなということ。

15面「第3回 国基研日本研究賞に3氏」は読みでがあった。櫻井よしこ氏の国基研はいい活動をしている。

24 25面「明美ちゃん基金設立50年」は泣かせた。産経はいい仕事をしている。


■6月16日(木)、朝6:00は室温23度、曇、涼しい、ハーフ散歩。

わが街の駅前商戦にイオン系ミニスーパー「まいばすけっと」が参戦してから3週間。昨日の散歩の帰り(午前11時)に寄ったらレジは8人待ちの大賑わい。既存のコンビニはなんと1、2人しか並んでいない(調理と無縁の若い独身男だけみたい)。コンビニは売上が30%は減ったのではないか。

クリアアサヒは「まいばすけっと」は税込み106円、コンビニは145円、長女が「安い!」と感激していた(スーパーLは98円だが、ちと遠い)。高くて、かつ生鮮食品の品揃えが貧弱な駅前コンビニの春の時代は終わった。

ちょうど30年前、1986年にわが街最初のコンビニを誘致した小生としては複雑な思いだが、30年もたてば初期のビジネスモデルは市場と齟齬を来してくる。経済の右肩上がりを前提にした「ダイエーの勝ちパターン」は消費が低迷すると途端にこけた。コンビニは(大型のGMSも)モデルチェンジの時期を迎えている。

支那はトウ小平が改革開放を号令し(1978年)、外資導入、市場経済の経済自由化に着手、1980年代から助走し、ホップ、ステップ、2001年にWTO加盟を果たすと一気にジャンプの高度経済成長、GDP世界2位になった。

イケイケドンドン、人件費の安さを武器に瞬く間に「世界の工場」に。

2008年のリーマンショックも60兆円の覚醒剤(インフラ投資)で乗り越え、世界経済の牽引車になった。2014年、ここまでは良かった。中共中央の頭どおりに体は動いた。ところが2015年からはツケが回ってきた。

習近平は2013年に権力を固めたが、もともとが文革のために中学校も出ていない、正確には小卒である。父親は毛沢東の敵、劉少奇の右腕であり、父も習自身も迫害され、姉は自殺までしている。

それでありながら習近平の脳ミソは毛沢東とマルクス、レーニンしかない。それ以外の本、言論がないのだから、仕方がないといえば仕方がないのだが、計画経済、統制経済を志向し、資本主義市場経済、改革開放を嫌悪する小卒脳がトップに就いたのだから人民はたまらない。

贅沢は敵だ、汚職は絶対許さない、黙って俺について来い、逆らう奴は刑務所だ、と習大大(おじさん)ならぬ習小小は暴れ始めたのだ。贅沢、汚職、蓄財蓄妾は、支那4000年の歴史の中で練り上げられた支那人のDNAである。これを否定されたら人民のやる気は失せる。経済は急速に失速した。習は「角を矯めて牛を殺した」のだ。

習の指示には誰も従わない、従ったふりをする面従腹背。今や中共は司令塔がない。世界経済の牽引車どころか「世界経済の危険因子」になってしまった。どこかで爆発しかねない、と皆ひやひやしている。迷惑かけずに逝ってくれ、と。

習近平は国際的にもすっかり孤立した。三流国しか友がいない、外遊の行き先がない。エリザベス女王は昨年訪英した習近平一行を「彼らはとても無礼でした」と評した。これでは誰も習を招かない。

先日訪中した誇大妄想唯我独尊自我主義メルケルも「支那はハラキリ、ボンサイ、匙投げた」と痛感したろう。まともな国が付き合う相手ではない。ただの14億の消費市場だと思っていた方がいい。

中共中央から軍も離れた。軍は勝手に暴れまくるだろう。末期症状だ。

【今朝の産経から】6面「中国軍 印北東部に侵入」、日本近海での日米印の共同訓練に反発したものだろう。“勝手にシンドバッド”中共軍による日本周辺、領海での遊弋、威嚇、挑発は頻発するはずだ。

7面、石平氏の論考「毛沢東外交の亡霊」、曰く「人や国が窮地に追い込まれたとき、先祖返り的な退行に走ることは往々にしてある」。中共軍は何を焦っているのだろう。

「環太平洋合同演習RIMPAC2016」が今月30日より始まり、27カ国の兵士2万5000人が参加する。中共軍も2回連続で招待を受け参加する。米上院のマケイン軍事委員長(共和党)らは「中共の南シナ海などでの挑発的な行動が目に余る」として招待を撤回するよう求める書簡をカーター国防長官に送った。

北村淳氏の論考「大迷惑な中国海軍、またもリムパックに堂々参加 前回はスパイ艦で情報収集、それでも招待する米国」(JBプレス6/9)から。

<中国海軍だが、RIMPAC2014には4隻の艦船(駆逐艦、フリゲート、補給艦、病院船)を公式に参加させた。ところが、それらの演習参加メンバーに加えて、中国海軍情報収集艦「北極星」が合同演習中にホノルル沖を遊弋し、しばしば演習に参加していたアメリカ海軍空母にぴったり寄り添って電子情報の収集に勤しんでいた。

中国海軍にとってRIMPACは、アメリカ海軍並びに海上自衛隊をはじめとするアメリカ同盟軍の艦艇や各種航空機の電子情報を“まとめて”収集するための何よりの機会であった。

北極星は、RIMPAC2014参加艦艇の行動を妨害したわけでも、ハワイ諸島沿岸12海里内のアメリカ領海内で情報収集活動を実施したわけでもない。したがって、このスパイ艦による電子情報収集活動は国際法的に問題が生ずるわけではなかった。

しかしながら、多国籍海軍演習への参加国が、演習参加艦船以外の軍艦を、それも電子情報収集艦を派遣して、演習に参加している“仲間”の軍事情報を掠め取ろうとする行動は、まさに海軍間の信義に背く前代未聞の出来事であった。

次期アメリカ大統領はいざ知らず、多くのアメリカ海軍関係者たちが異を唱えた「中国海軍の参加」すら拒絶できないのがアメリカの対中姿勢の現状なのだ>(以上)

情けなや 呆れもするは 愚のオバマ 厚顔無恥の 中共海軍(修一)

それにしても中共と親和性のある国の参加はゼロだ。まさに四面楚歌。孤立していることがまったく理解できていないというのも、一種の能力か。 (2016/6/16)

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 シナ関連にはコメント無しにします。

 言葉を輸入し如何ように使用するかは、その民族その国家の勝手だから、好きにしたら良い。然し、四百年に渡って日本と通航のあったオランダは日本と日本人のの本質を理解しなかった。出来なかったというべきかも知れないが。表意文字の漢字を蔑ろにしたからだろうか?

 何故小中九年間も日本語を学ぶのか? 漸く判りかけてきたのが還暦過ぎとは。多分、子音の多い言語より母音を主体にする日本語の話語は簡単かもしれない。日本文の読み書きは「漢字、平仮名、片仮名」の三つの文字を駆使する。他言語には有り得ないほど複雑だ。「丁寧語、尊敬語、謙譲語」を知り使えなければ、会話では許せる範囲でも文章は上から目線に成らざるを得ないのだ。

 Twitter上で僕がフォローしている台湾人はそれを理解していない。理解できないのかも知れない。こんな事を指摘するのは僕だけではないかと思われるのが、少々悲しいが。台湾で日本語を教えている日本人よ、それを教えろよ(-_-#)


 漢字の持っている概念を理解しない限り、日本文を読んでも日本人の真意は理解出来ないだろう。日本の文化の深淵にも触れられることは無いと断言出来る。まぁ朝鮮人の悪しき振る舞いとの違いさえ理解出来ないだろう。日本はアジアでは無い。日本人は極東人とでも言うべきでは無いだろうか?



 日本人の手に日本を取り戻そう!!