知道中国 宮崎正弘の国際ニュース・早読み [宮崎正弘の国際ニュース・早読み] - メルマ! | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。


 支那はもう打つ手無しってところでしょうか?必死に何かを模索しているのは、傍で眺めている僕にもそれは判るのですが、何しろ資本主義じゃないという事が、自身で判っていないから、資本主義の手法が何にも効果を齎さない事に歯痒さを感じているのでしょうね。馬鹿とも阿呆とも言えそうです。

 口裂け女から口先ナンタラが派生したのかな? 支那には口先国家の称号を呈したいと思いますが・・・。


宮崎正弘メルマより
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6344891/
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成28年(2016)3月22日(火曜日)
           通算第4855号 
                                    

 中国人民銀行がFEDに緊急な助言を求めていた
  「1987年のブラックマンディに如何に対処したか」
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 2916年1月27日だった。中国の中央銀行「中国人民銀行」がFED(米連邦準備制度)に緊急のeメールを発信し、「貴行はいかにして1987年のブラックマンディの株価暴落に対処したか、助言をいただきたい。それも可能な限り早急に」と助言を要請していたことが分かった」(サウスチャイナモーニングポスト、3月21日)。

 中国の株式暴落から半年の時間が流れていた。
 要請は北京から中国人民銀行NY支店長を通じ、しかるべきFED高官に伝えられ、「中国株式が8・5%の急落をしているが、貴行の速やかなる助言をわれわれは大いに評価したい」と書いてあったという。

中国中銀とFEDのあいだにはホットラインは存在しないうえ、中国はこれまで国際的な場での助言も協議もしたことがなく、この異例の助言要請は、オフィシャルのルートで行われていないため、両行の関係者はコメントを控えている。

1987年のブラックマンディではNYダウが20%前後の暴落となり、世界経済に悪影響を及ぼした。
中国の株価急落以後、やはり世界の株式市場に悪影響が拡がり、FEDはこの点を重視し、「中国の株式暴落は米国経済にも相当な悪影響を及ぼす恐れがある」として数時間以内に、緊急のサマリーを送った。

FEDは259ワードからなる「要約」に添付して、FEDの対処記録のコピィを送付し、ともかく暴落直後に市場に資金供給を絶やさず、銀行、証券の機能を維持させるためには通貨供給を約束する措置をとった。

この経過は当時のFED議長だったアラン・グリーンスパンの回想録に出てくる。
 2015年7月27日の上海株式暴落直後、中国はともかく必要な資金を供給し、急場を凌いだが、下落傾向に歯止めはかからなかった。


 ▼いくら助言しても、情報に透明性のない中国の市場なのだ

 中国人民銀行は急遽、金利を下げ、8月12日には人民元を2%切り下げるなど緊急な措置を講じ、同時につぎの対策の検討にはいった。
しかし大きな障害にぶつかる。

 要するに中国人民銀行には政策決定の権限が制限されており、重要な政策変更などの決定と承認は共産党中央委員会常務委員会の「裁可」を待たなければならないというシステム上の欠陥である。

 またFEDにも議会の追求が予測されるため「公開された範囲内の情報」しか中国人民銀行に情報を提供できない。
したがってFEDは「市場には情報の透明性がもっとも重要である」として、助言に付け足したという。
 
 そう、透明性。それが中国には決定的に欠けている。したがって現在の小康状態の後、ふたたび大暴落がやってくるだろう。

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(休刊のお知らせ)小誌、海外取材のため3月24日から4月3日まで休刊です 
                                    
 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声
                                    
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(読者の声1)外務省のホームページで国別の関係を紹介するページがありますが、韓国に関しては「最も重要な隣国」から「戦略的利益を共有する最も重要な隣国」に変更されました。
早い話、北朝鮮問題がなければどうでもいい国に格下げ、というのがネットの声。北朝鮮に対する防波堤、単なる盾でしかない韓国が反日を続けることにうんざり。在韓米軍が撤退したら南北で勝手に戦争しろ、というのが日本人大多数の本音でしょう。
 外務省のホームページで要人往来を見ると2000年以降、日本から韓国へほぼ毎年のように総理大臣が訪問。韓国からは金大中と盧武鉉が二回訪日、2008年からの李明博は7回も訪日しています。
当時のNHKのニュースのトップが韓国のガールズ・グループの来日だった時には驚き呆れるばかりでした。それが朴槿恵大統領になり交流断絶。昨年11月に安倍総理が4年ぶりの訪韓でした。
 電通を使っての韓流ゴリ押しからフジテレビへのデモにつながり、「いやなら見るな」のフジテレビの視聴率は激減しました。世界中で反日活動を熱心にすすめる韓国系団体、安倍政権をヒットラーになぞらえるデモを繰り返しています。ナチス政権はポーランド系ユダヤ人青年によるドイツ大使館員暗殺テロをきっかけに「水晶の夜」でユダヤ人弾圧を強化しました。
ネット時代になり戦後の第三国人の悪行は広く知られることになりました。
在日及び本国韓国人が「アベ死ね」だとか靖国神社での爆弾騒ぎを繰り返すならば、日本版「水晶の夜」が来ないとも限らない。日韓関係は「ポイント・オブ・ノー・リターン」を越えたのかもしれません。
  (PB生、千葉)



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(読者の声2)貴誌通算第4854号(読者の声1)で三猫匹氏が神武紀元に関して書かれました。このことで思い出したのですが、神武紀元に基づくと初期の天皇の寿命が非常に長くなるので、日本書紀の記述は間違いであるとの主張を初めて行ったのは、那珂通世(なかみちよ)帝国大学講師で、明治30年に「上世年紀考」で発表しこの説は当時一世を風靡しました。
ただし明治30年に京都帝国大学が設立され、帝国大学は東京帝国大学と改称されたので、那珂通世氏は当時東京帝国大学講師であったのかもしれません。
その少し後、那珂通世氏は大学をやめて文筆業に携わりました。当時この那珂説は学会で高く評価され、反論をするのを憚れるような状態でした。反論すれば、「あなたは初期の天皇は軒並み200歳以上まで生きたというのか」と言われかねないからです。
現在では、日本書紀の内容に異論を唱えたので、大学を去らざるを得なかったという人もいますがこれは全くの臆断です。
十分に学問的研究をしたわけでもない説が、学会であまりに肯定的に受け入れられ、今更本当のことは言えず、黙って去っていったのだと私は推測しています。
後年、那珂通世氏がある漢籍を現代語訳したものを読みましたが、こんな訳をする人が東京帝国大学で講師をしていたのかと愕然としました。
私は、那珂通世氏はたまたま思い付きで書いた本が思いもかけず学会の流れを変えるほどの高い評価をされたが、自分の学者としての実力に自身では気づいていてそのまま学会に留まることが怖くなったのだと思っています。
この那珂説に敢然と反論を著したのが、森清人(もりきよんど)氏の「建国の正史」で錦正社から平成2年復刊されています。
 森氏が問題しているのは、那珂通世氏が引用し那珂説の典拠としている海外の文献を精読すると、那珂説と矛盾する部分があるにも関わらず、それらを無視して、自説に都合の良いところだけに言及しているという点です。
つまり那珂氏の「上世年紀考」は学術書として欠陥本だということです。勿論、森氏は「欠陥本」というような表現をしていませんが、分かり易くストレートにいえばそういうことです。
私は森清人先生の結論に同意していませんが、那珂説に対する反論の部分は妥当であると考えます。
一端ある本や説が権威を持つと、それへの反論ができにくくなるということがあります。
典型的な例があります。
山鹿素行の中朝事実は、素行の弟子であった津軽候が山鹿素行から受け取り、おそらく津軽藩の学者に附けさせた訓点を附した木版本を200部ほど印刷しました。
 これがいわゆる津軽本で、江戸時代に筆写されて流布しました。吉田松陰も弟子の久保氏が江戸で筆写したものを読んでいます。当時流布したのは、津軽本の訓点を外した白文です。
この津軽本の白文に乃木将軍からの依頼で東京商業学校(現在の一橋大学)教授の有馬祐政氏が読み下したものが大正二年に出版されました。皇典講究所(後の国学院大)の共同設立者の井上頼圀氏が校閲、さらに井上哲次郎東京帝国大学教授や松浦素行会長も出版に関わったものです。
これが当時絶対的な権威となり、その後昭和初期に多数出版された中朝事実の註解本や現代語訳は私が知る限りこの本の読み下しをもとにしています。
後に平戸山鹿家で山鹿素行の自筆本が見つかりそこには素行自身が附した訓点があります。
写真印刷したものが昭和13年に出版されたにも関わらず、その後も有馬本の読み下しを基にした註解本や現代語訳が出版されました。
驚くべきことに、平成27年に出版されたものですら、有馬本の読み下しに準拠した岩波書店版山鹿素行全集の註に依拠しています。高麗王朝の時代十一世紀に建てられた塔の四隅にあった獅子像が日本統治時代に元あったところからなくなり、韓国では日本人が盗んで日本に持ち去ったと広く信じられてきました。
先週、ソウル国立博物館がソウル国立博物館の倉庫にあることを三年前に発見したと発表しました。何故3年間発表しなかったのか、おそらく、いったんうそをつくと、うそをついたと認めることは非常に困難なのでしょう。
韓国でのことはともかく、日本でも中朝事実を山鹿素行が自身で附けた訓点をもとに読み下される日が早く来ることを熱望します。
国立国会図書館のデジタルライブラリーからインターネット経由で無料で読むことができます。
  (當田晋也)

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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
                  
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樋泉克夫のコラム
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知道中国 1385回】   
  「佛具散亂蛛網充滿寺僧洋烟に沈醉して佛道影なし」(原田3)
  原田藤一郎『亜細亜大陸旅行日誌?清韓露三國評論』(嵩山堂 明治二十七年)

    ▽
 雨でもないのに蝙蝠傘を広げた「日本服の儘」の原田は、たしかに中国人、それも内陸の中国人の目には奇異に映ったに違いない。
かくて「群集尾行し」、「予の四方は見物人常に絶ゆる時なし」。時に「群集は尚ほ去らす或は石を投し或は罵詈を極」め、時に「『ヤンクイコー』『ヤンクイコー』の罵詈聲中に包まれ歩行せり」。若者が先行して家々に「ヤンクイ」がやってきたことを告げ廻るや、「畑中にある者迄如何なる珍事あるならんと双方眼の届く限り疾走予の傍らに來る」ほど。旅館で一休みしていると、「衣を執て價を聞き或は帽を見洋傘を摘み甲去れば乙來る若者行けば老人入り其無禮不敬の有様迚も人間とは思はれず」。

周知のように「ヤンクイ」は洋鬼と綴り、東洋鬼(トンヤンクイ)の簡略化。中国の東方海洋上に位置することから時に台湾やフィリピンを含むこともあるが、たとえば日本から持ち込まれた人力車を東洋車と呼ぶように、東洋は一般に日本を指す。鬼は悪霊・化け物・悪神などを意味し、ヤンクイ、トンヤンクイは日本人に対する恐怖と侮蔑の感情が綯い交ぜになった表現といえるだろう。
ところで「ヤンクイコー」の「コー」は漢字では如何に綴るのだろうか。
 
 一方、「清語」つまり中国語がサッパリ判らない原田にしてみれば、彼らが何を話しているのか。疑心暗鬼は募るばかり。はじめのうち「短刀を抜き捨てんと思ひしも否待て暫時彼未だ危害を加えへず而して自から危害に陷る之丈夫の所為ならずと漸く無念を忍ふ」こととなる。かくして「嗚呼予は清語を解せざるが爲無駄に清人を恨みたり今后又是等の事多からんに無暗に怒るは間違の種なり今より清人如何に罵詈するも」、それらは「皆な好意の言と聞き猥りに憤るを止む可し」と決意し、やがて「筆戰」に転じた。さて、「是等乞?に類するもの我が筆意を解するや」。

案ずるより産むが易し、である。
原田が「我日本雖少以禮建國中国者孔孟之裔無禮何到此我爲中國甚悲之矣」と記すと、なかの一人が「去了」と一言。すると原田を十重二十重に取り囲んでいた彼らは「疾風落葉を散らすか如く」に立ち去った。

とはいえ悪戦苦闘の旅は続く。
船中で一緒になった僧侶は常にアヘンを吸っているうえに「手鼻をかみ何處となく塗り付けるの惡習あり又夜中茶碗の中に膽を吐き翌日は之を洗ひもせす直ぐに茶を呑む有様は唯見るさへも胸惡しく」なる。

「如何に清國なれは迚寺廟とあらは我國の如く清淨閑靜俗界以外に居住するならんと態々迂路を取り尋ね來」たところ、「佛具佛具散亂蛛網充滿寺僧洋烟に沈醉して佛道影なし嗚呼清國は人事已に去ると共に佛道又天外に去る殘るものは夫れ豚群耳否畜生耳」とは。

「旅店の寐室に入れはコワ抑も如何に土間に草を敷き其上に一枚のアンペラを敷けり恰も牛馬の居所と一般なり」。時には「予が今金殿玉樓として本夕一夜を明さんとする其寐室炭團製造に供する踏み臼の傍なり然れば前夜來の旅店に勝り一層の不潔を極む」のであった。

とはいえ、まんざら捨てものでもないらしい。
「洋鬼」だからと宿泊を断る店主の声を無視して空いた部屋に連れて行ってくれる酔客もいれば、取り囲んだ人々を押しのけて「寐臺付き上等室に案内」してくれた若者もいた。「噫義人更に高意を表して予を遇す」とか。
原田は持参した「寶丹精 水等」の薬を売っては旅費を賄っていたようだ。某日、「義人」の若者の世話になって「精 水拾數個及び寶丹數包を賣る皆若ものヽ周旋なり」と。
さてさて中国内地での「義人」の若者。地獄で仏といったところだろうか。
《QED》
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 昔も今も、日本は支那人に取って『鬼』なのですね。とは言うものの、日本軍は神や仏の如く、崇められた現実は何なのでしょう?今又、訪日支那人に取っては?憧れ以上のパラダイス?

 鬼子とテレビで視る姿と、現実の日本の姿。本音は何と思っているのか。この落差はショックだろうな。奴隷の為の教育を受け、鬼子と呼びつつ(腹の中)、イザ訪れてみれば。自分達の国家の下劣さばかりが目に着くだろうな。


 余りにも文化の違いは、唐の時代から日本は憧れだった存在を知ら示すだろうな。