地道中国  ②宮崎正弘の国際ニュース・早読み(ネパールに浸透する中国) | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。

分割の二つ目です。



登場する千仞について

※ Wikipediaより ※※
岡 鹿門(おか ろくもん、天保4年11月2日(1833年12月12日) - 大正3年(1914年)2月18日)は、幕末期の仙台藩士、明治時代の漢学者。名は千仭、字は振衣、初名は敬助、鹿門は号。幕末から明治を代表する漢学者の一人で、多くの門人を数える。

経歴
仙台藩の番士として将来を嘱望され、江戸に出て昌平黌に学び、のち舎長となる。同窓の重野成齋、松本奎堂、松林飯山、南摩羽峰と深く交わり、大坂で私塾「雙松岡塾」を開いて尊王攘夷論を唱えた。清川八郎、本間精一などを教育した。慶応2年(1866年)

戊辰戦争に際して、奥羽越列藩同盟に反対したことから仙台藩主及び藩士の怒りを買い、投獄された。[1]

維新後は太政官修史局、東京府等に務めたがほどなく辞任し、芝愛宕下の旧仙台藩邸を利用して私塾「綏猷堂」を開いて門弟の教育活動に当たり、福本日南、尾崎紅葉、片山潜、国分青崖など多くの偉人が門を叩き、福沢諭吉の薦めで啓蒙活動を開始し始めた。

晩年には、大陸経論の志を抱き始め、李鴻章を尋ねて支那改革論を説き、大陸浪人として活躍。初期の興亜会にも関与した。没年に従五位に叙された。
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 我家は伊達政宗の家臣であり、傅育係であった片倉小十郎家の鉄砲足軽出身です。小十郎家の古文書に現れたのは元禄四年火術御師範役として記録が残るらしい。祖父は九代目の三男で、廃藩置県によって北海道に強制移住とか。ちと憐れ

 同じ伊達に繋がる身にしても、差が有り過ぎる(T_T)。


宮崎正裕メルマより
http://melma.com/sp/backnumber_45206_6290765/
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 樋泉克夫のコラム 
                                    
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樋泉克夫のコラム
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<知道中国 1325回>
  「市店雜踏、穢臭衝鼻、覺頭痛??」(岡66)
     岡千仞『觀光紀游』(岡千仞 明治二十五年)
 
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 さて岡に戻ると、25日は雨の中を広州の名勝を廻り、中国人の友人2人と3人で筆談となる。そこで岡が「『中土』の街では、古来、かくも道路は狭隘かな」と問うと、「唐宋代以後、都市制度が崩壊してしまい、現在に至っているわけです」と。そこで岡は、

  その昔、イギリスの首都は道幅が狭く風通しは劣悪で、疫病が流行し、市民全滅の危機的情況に陥ったことがある。かくして都市制度を一変さて生まれたのが現在のロンドンだ。(1月25日)  

 すると相手は「お説の如く市街地では疫病が多いので制度を一変せざるを得ないことはもちろんですが、これまで官民が慣れ親しんできた『慣習』が日常化している訳でして」と言い返す。岡に拠れば、この人物は「俊才」で時局を論じることを好む。舌鋒鋭く反論してくるが、どうにも外国事情に全く疎い。そこで、全体情況の中で自分の立位置が正確に捉えられない。そういった欠陥も踏まえてウソ偽りなく返答すると、いよいよ激昂する始末。だが、岡は率直に綴った。

   『大学』の一書は己を修め、人を治める道を説き尽くしている。己を修めることを論じて「格致」といい「誠正」という。人を治めることを論じて民を新たにするといい、「新民」を作るといい、日々新たにという。とにもかくにも数多の「新」の文字が並べられているが、そもそも「中人」は「格致の學」の神髄を語らずして、ただ後生大事に旧習を守っているだけだ。なぜ、そうなのか。皆目判らない。(1月25日)  

 ここまで語ると、さすがの相手も口を噤んでしまう。岡は続けた。

   そもそも「中人」は経書の字面だけを丸暗記し、無意味に論争を重ね、意気込んで相手を論駁するために、経書の中から抜き出した1つ、2つの片言隻語を自分勝手に解釈し、相手を強引に論破しようと試みる。やはり非生産的である妄執を敢えて押し止め、相手を責める思いを腹に納め込み、自らを客観的に見つめ直すことの大切さを深く知るべきだろうに。(1月25日)  

 さすがに岡である。「経書のなか抜き出した1つ、2つの片言隻語を自分勝手に解釈し」との指摘は、正鵠をえているといわざるをえない。

そこで文革時の無数の悲喜劇に思い至る。
 たとえば一時は毛沢東の後継者に正式に認定された林彪である。彼がモンゴル領内で墜落死(?)した後の家宅捜索で書斎から自筆と思しき「克己」の2文字が発見されたとされ、「克己」の2文字は「復礼」に通じ、「復礼」とは儒教が唱える封建道徳である「礼」の復興を願っている。ゆえに林彪は中国人民にとって最大の敵である孔子の信奉者である。そこで「偉大的領袖毛主席」に反逆を試みた。だからブザマな最期を遂げたとしても、それは当然の報いだ、となる。ここまできたら、もうマンガとしかいいようはない。

映画監督の陳凱歌が「恐怖を前提にした愚かな大衆運動だった」と断罪する文革の初期、紅衛兵として「造反有理」を掲げて暴れ回った張承志は当時の闘争振りを振り返って、「神通力をもつ宝刀は毛沢東の言葉  『毛主席語録』だった。素早く毛主席語録を引用したものが論戦で優位に立った。これが文革初期の中国人民すべての基本的な政治スタイルだった」「ひょっとすると屁理屈をこねて横車を押し通そうとしたのかもしれない」「毛沢東語録に頼る当時の屁理屈や横車にも、権勢によって人をやっつけようという傾向が確かに存在していた」(『紅衛兵の時代』岩波新書 1992年)と自嘲気味に記している。

そして現在、習近平政権も「屁理屈をこねて横車を押し通そうと」している。彼らの振る舞いの基本が“こじつけ”と“いいがかり”であることを、肝に銘じておきたい。
《QED》
                  
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 支那帰化人の評論家、石平氏は北京大学の哲学科を、卒業していますが、祖父に論語等を教え込まれたそうな。日本に来て、儒学の書籍の多さに圧倒されたとか、されなかったとか。留学中に天安門事件が起きて、日本に帰化する事を決心したらしい!

 論語他の儒教は、日本では専門家以外は道徳律とか、個人の規範の様に思っている?思われている?行動言動していると、僕は考えています。

 百三十年前には、既に支那はそんな時代では無かったのですね。

 解釈改憲と騒ぐ輩に何やら似ている気がするのは、僕だけでしょうか? 一字一句を後生大事にしている様は、正に支那人達のメンタルと酷似している様な?

 福沢諭吉が奪亜論を上梓したのは、彼なりに努力した結果なのは明白ですね。彼の創立した慶応大学には、その精神を脱ぎ捨てた学徒が多いのは、なんの皮肉なのでしょうか?

 戦後のGHQの悪行を暴く作業を自民党が始めるようです。米国から突込みが有るのか、無いのか知りませんが、彼の国の衰退を肌身に感じたせいなのか、公には何も無いようだ。

 ラグビーWCのHCは、イングランドのHCに就任とか。彼の母親は日本人ですね。又、米軍の太平洋軍司令官の母も日本人とか。

 何時もこのブログでは、日本民族の遺伝子は特別なのだと主張していますが、隠すより現れるのが、我が日本民族の血≒DNAなのだと、実感しませんか?

 日本民族の持つ遺伝子の力は、特殊で特別なのです!




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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
                                    
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(読者の声1)宮崎先生の「人民元の将来」に関しての英語のインタビュー記事が下記にでていました。海外の人も、この警告を英語で読んでいるのですね。
http://eng.the-liberty.com/2015/5943/
  (一読者)



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(読者の声2)桜チャンネルから「三島由紀夫」特番のお知らせです。番組名は「闘論!倒論!討論!2015 日本よ、今...」 。テーマが「三島由紀夫が伝えたかったこと」
 放送予定日:11月28日(土曜日)20:00 23:00
日本文化チャンネル桜(スカパー!217チャンネル)
インターネット放送So-TV(http://www.so-tv.jp/)
パネリスト:50音順敬称略
鈴木ふさ子(日本大学非常勤講師)
竹本忠雄(筑波大学名誉教授)
富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授。鎌倉文学館館長)
浜崎洋介(文芸評論家)
福田 逸(演出家・明治大学教授)
松本 徹(三島由紀夫文学館館長・文芸評論家)
宮崎正弘(作家・評論家)
村田春樹(元「楯の会」第五期会員)
司会:水島総(日本文化チャンネル桜 代表) 



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(読者の声3)第25回 家村中佐の兵法講座 おもしろいほどよく分かる孫子兵法
『彼れを知りて、己れを知れば、百戦して危うからず』 今回は、第十三篇「用間」で述べている間者(スパイ)を用いた情報収集・謀略活動や、孫子全篇を通じて論じている情報と戦略的思考の関係、戦略情報と作戦情報などについて、歴史上の事例や現代の社会情勢などを交えつつ、図や絵を用いて分かりやすく解説いたします。
『孫子兵法』の神髄は、こうした「情報」についての記述を十分理解せずしては分かりません。
『孫子』を通じて軍事・国防を学びたい方をはじめ、ビジネスやコミュニケーションに活かしたい方、スポーツでの戦い方に応用したい方も大歓迎です。奮ってご参加ください!
          記
演 題:情報と戦略的思考 第十三篇「用間」
日 時:12月12日(土)12:30開場、13:00開演(15:30終了予定)
講 師:家村和幸(日本兵法研究会会長、予備2等陸佐)
場 所:靖国会館 2階 田安の間
参加費:1,000円(会員は500円、高校生以下無料)
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp 
FAX 03-3389-6278(件名「兵法講座」にてご連絡ください。配布資料準備のため、つとめて事前申込みをお願いします)
   (日本兵法研究会会長 家村和幸)
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 宮崎正弘の新刊です
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宮崎正弘 vs 宮脇淳子
『中国壊死 百年変わらない腐敗の末路』(ビジネス社)
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 モンゴルでは1992年までチンギスカーンをしらない人が多かった
 チンギスカーンを成吉思汗とかいて「中華民族」を偽装し、中国歴史の英雄として評価する中国人。習近平の権力固めは明王朝の朱元章、そして毛沢東のパターンを踏襲しているのではないのか?
 数々のとんでもない逸話が飛び出し、近現代史の裏面をえぐる

 近代史家の宮脇淳子さんは、モンゴル、満州、チベットにとくに造詣が深く、独自の文明観から中国史を説かれる。現代中国の経済分析では定評のある宮崎と縦横無尽にシナについて語り合った。
 でてくる結末は中国が近いうちに「壊死」をむかえるのではないか、という未来予測!
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 << 憂国忌のお知らせ >>
                                        
 第四十五回 三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」
生誕90年、没後45年、享年45,第四十五回目の追悼儀式
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  「ミシマを通して日本を考えよう」
 ことしの憂国忌は45周年の節目となるため二部構成となります

「三島由紀夫氏追悼 第四十五回 追悼の夕べ」
 ことしは三島先生の生誕九十周年、没後四十五年の節目にあたり、第四十五回憂国忌は、生前ゆかりの先生方に想い出話を中軸に感想、雑感、展望などをのべていただきながら将来の日本を考える場としたいと存じます。
 節目にあたりますので乃木神社宮司による慰霊祭は、会場の関係で午後二時より、別途「乃木神社」にて催行します。慰霊祭の参加ご希望の方は予約をお願いします。
 実施要綱は左記の通りです。
       記
 日時   十一月二十五日 午後六時(五時開場)
 場所   星陵会館大ホール(千代田区永田町2 16)
 資料代  お一人 二千円 
(プログラム)  午後六時  黙祷、開会の辞(玉川博己)
             「演劇について」         村松英子
             「文学、文士」          西尾幹二
             「編集者の思いで」        堤 堯
             「自衛隊のミシマ」   ヘンリー・ストークス
              サプライズ登壇     ケント・ギルバート
             「ボディビル」          玉利 齋
             「薔薇刑撮影記」         細江英公
             「楯の会の想い出」     楯の会第一期生
             「もうひとりの主役」       中村彰彦
  午后八時十五分     閉会の辞           富岡幸一郎
        (なおプログラムは予告無く変更になることがあります。ご了承下さい)

<憂国忌代表発起人>入江隆則、桶谷秀明、佐伯彰一、篠沢秀夫、竹本忠雄、富岡幸一郎
中村彰彦、西尾幹二、細江英公、松本徹、村松瑛子
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 午後弐時からは乃木神社で慰霊祭が行われます
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 三島氏没後四十五周年 慰霊祭
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  十一月二十五日 午後二時 乃木神社
  神道による慰霊祭(祭主 松本徹・三島文学館館長) 
  玉串料二千円をお納め下さい(なお、引き続き午后六時からの「憂国忌」に参加される方は、憂国忌資料代が無料となります)。慰霊祭は予約が必要です(会場定員が百名ですので先着順とします)。慰霊祭は平服で構いません。
なお慰霊祭は一時間の予定、その後、憂国忌会場(星陵会館)への移動は各自で。
  連絡先: 三島由紀夫研究会事務局
FAX: 03-5419-7670  電話: 090-1611-9839 (玉川代表幹事)
Eメール: yukokuki@mishima.xii.jp
まだすこし余席があります
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 三島由紀夫は僕にとっては禁忌です。

 何故あそこまで・・と言うのが、理由ですかね? 最も当時僕は赤い党の党員候補だったから、彼の事は目にも、耳にも、皮膚からさえも感じ取れていなかったのですね。宗教は麻薬とマルクスは断じたけれど、イデオロギーもまた、麻薬なのです。彼等の主張は屁理屈と捏造の塊なのは、国会論戦やテレビの討論を見ているだけで、判りますね。

 
 前にも書きましたが、「複雑な彼」一冊だけですね、三島の作品は。直木賞作家の安倍譲二が日航に勤務していた時を書いたとか、だったかなぁ。まぁ大衆小説かな。三島ファン御免なさいm(__)m