【江戸っ子記者のなにわ放浪記】日本が思うほど、米国は日本を思っていない | Hideoutのブログ

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 四月に古稀を迎える爺ののブログです。

 日本を取り戻したい……そんな事をエントリーしたい。

 覚醒したら、こんな見方になるのかなと言うものに。



  僕は米国の何を見、聞いてきたのだろうか?


産経ニュース
http://www.sankei.com/smp/west/news/150117/wst1501170010-s.html
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◎今年の米大統領の一般教書演説で「日本」は語られるか


 安倍第3次内閣が本格スタートした。外交・安全保障では日米同盟のさらなる緊密化を目指す安倍政権。その米国では、20日(米時間)に、オバマ大統領による一般教書演説が行われる。一般教書演説は、米大統領が年頭に内政、外交、安全保障など政策全般の大方針を示すことで全世界が注視する。昨年の一般教書演説では、内政部分に比重がかかり、外交・安保には時間が比較的短くさかれ、日本への言及はなかった。例年、「日本」が触れられるかどうかが、日本にとっては焦点の1つとなる。

 ところで、昨年末、米国大使館(東京)が、日本国内各地の米国総領事館をテレビ回線で結んで、講演会を開いた。在大阪・神戸の総領事館で聴講し、小欄が大阪参加者代表として質問もさせていただいた。

 講師は、米ヤングスタウン州立大学政治国際関係学部長のポール・スラシック教授だ。2009年から1年間、フルブライト招聘(しょうへい)教授として来日し、東大などで米国政治などについて講義を行ったほか、日本メディアにも登場する知日派の1人である。演題は「2014年米中間選挙結果から見る日米関係ならびに2016年大統領選への影響」だった。

 スラシック教授は、米国連邦議会上下院とも共和党が多数派となり、オバマ民主党政権と「ねじれ状態」となった昨秋の中間選挙結果についての分析を紹介した。また、教授は、2016年の米大統領選の共和、民主両党の複数の有力候補者を挙げた。

 この後、東京の大使館を起点に、各地の聴講者が1人ずつ代表で質問を行った。先述した通り大阪の代表質問は小欄だった。

 小欄の質問は、日本、中韓の東アジア各国間での「歴史認識問題」について、米連邦議会内の現状の見方についてだった。米下院では2007年に慰安婦問題の対日非難決議も可決されており、選挙区事情などから、中韓の偏向かつ誇張した歴史認識に組みするような議員も散見される。

■「米国が最信頼、アジアの国は同盟・日本。ただ、歴史問題は…」

 これについて、教授は「東アジアの歴史認識の問題は、米国の主要メディアではあまり取り上げられないし、議会内の議論の主要テーマにもなっていない。『米国がアジアで最も信頼する国は日本』との世論調査結果もあり、米議会内は日米は緊密な同盟関係との認識だ。確実に言えるのはこのことだ」と断言された。

 那覇からの代表質問は、普天間基地の辺野古移転など米軍基地についての事柄だった。これについても、教授は「この問題は米国であまり議論の対象になっていないのが現状」などと回答するにとどまった。

 日本と中韓との歴史認識や沖縄の米軍基地問題は、日本にとっては「米国がどう見ているか」ということが重要ポイントであることは言うまでもない。しかしながら、米国では「さほどでもない」というのが、知日派の教授の反応だったように思う。

■あのブッシュ政権下でも“Japan passing”“Japan nothing”…米国取材陣の関心は「パレスチナ」

 そういえば、小欄がワシントン特派員だった2003年5月に、当時の小泉純一郎首相が訪米し、ブッシュ大統領のテキサス州クロフォードにある牧場内の私邸で首脳会談を行った時の取材体験を思い出した。

 両首脳が日米メディアを前に会見した。日本取材陣が日米関係に特化した質問をいくつか行った後に、米国取材陣の順番になった。米国取材陣がブッシュ大統領にした質問は、緊迫していたパレスチナ情勢だった。日米関係についての質問はついぞ出なかった。先輩記者にこのことを聞いても「いつもそんなもんだよ」と言っていた。

 「日本が思うほど、米国は日本を思っていない」。日米関係をウオッチしている人々は時折、冷笑気味にこう漏らすことがある。ただ、日本にとっては、安全保障が日米安全保障条約の下で成り立っていることは現実である。集団的自衛権の行使容認の憲法解釈変更に反対するメディアも、「同条約が沖縄県の尖閣諸島にも適用」などというときには肯定的に報じる。

 日米安保体制は、1960年の安保改定で、「双務性」を有したことは否定できない事実である。日米双方が協力して安全保障を維持していくものだ。すなわち、否定できない「集団的自衛権」なのである。そうした安全保障環境にありながら、集団的自衛権の論議になると、「米国の戦争に巻き込まれる」「子供たちが戦場に」などと60年安保改定の時の反対論が先祖返りのように持ち出されてくる。

 米国が「日本は心強いパートナー」と思い続けるためには、それなりの行動が必要となる。一国での自主防衛力の保持を決断するなら話は別ではあるが。日米関係や安全保障をめぐる日本での論議で「ズレ」のようなものが存在し、国際舞台の中で「1人芝居」にならないことを祈るばかりだ。  (近藤豊和)

※ 近藤豊和(こんどう・とよかず)
東京生まれ、東京育ち。東京五輪開催年の1964年生まれ。大阪本社赴任は初めて。社会部で警視庁や東京地検特捜部などを担当した後に、米国留学を契機に国際ニュース畑にも。ワシントン特派員時代は国防総省、FBI、CIAなどを取材。(株)産経デジタルの立ち上げに参画し、編成本部長などを歴任。3年間のデジタルの世界で“金儲け”も学ぶ。紙の世界に戻り、社会部長、編集長などを一応務めあげ、産経新聞発祥の地である“なにわ”に赴任。編集局局次長兼論説委員とともに、「5代目大阪特派員」も襲名した。ラグビー観戦が好きで、体型もプロップ、フッカータイプ。ゴルフは下手だけど好き。「大河ドラマ」少年で日本史、特に中世、近世、幕末あたりに関心大。カバーエリアは、大阪を中心に関西、西日本すべてということになっている。
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  小学校高学年の頃、米国のファミリードラマを初めて視ました。「うちのママは世界一」だったかな? 台所には大きな冷蔵庫。それだけで圧倒され、未だにその画面が頭に浮かびます。

  又、アメリカンポップス全盛期でしたから、オールディーズなんて見たら、迷わずレコードを買ってしまったものです。

  週に一度、30分だけディズニーの漫画が放映されていました(三菱グループが提供だったかな)。千葉浦安に東京ディズニーランドが出来た年に行ってきました。ミッキーマウスを見ても違和感なぞ覚えませんでした。

  憧れが何時の間にか刷り込まれていたのですね。疑いを持たずにずっと人生を過ごしてきました。多くの団塊世代とそれに続く世代は米国に疑問を持つことに違和感があったのかもしれません。それが今、ネット社会を迎えて、非難の対象になっているのでしょう。

  団塊世代は今よりもっと激しい競争社会を経験したのです。バブルが弾けて初めて、来し方を振り返った、思います。あれぇと疑問を感じた者も、感じなかった者も心に蓋をしたのではと勝手に推測します。

  僕は還暦過ぎに日本人として、覚醒したと思っています。周りに覚醒していない団塊世代には、覚醒するチャンスを与えてほしいな。

  安保条約は結んだ事だけであり、実行されるかは、誰も判断できないことです。

  米国から日本に対して、発せられるメッセージは常に非難かバッシングしか、記憶にないような。

  話が逸れ過ぎましたが、今年の一般教書演説は注目ですね。先日のサキ報道官が前日の発言に対して、言い方を変えた事を見る限り、米国は日本に対して、可成り神経質になっているのではと想像しています。Nothingだろうかな?

  日本は、特殊な遺伝子を持ち、特殊な社会を創り上げてきたのです。米国の迷妄虚言に惑わされず、独自の道を歩んで行きたいものです。