●”受け取らない”ことも”受け取る”のうち。~断ることで、本当に欲しいものが手に入る~
こんにちは!インナーマッスルの専門家、オゼッキーです。
今日のインナーマッスル活性化は、
「”受け取らない”ことも”受け取る”のうち。~断ることで、本当に欲しいものが手に入る~」です。
ぼくは、最近おもったのです。
「本質的に”受け取る”ということは、要らないものは”受け取らない”こと」なのだと。
”受け取らない”というのは、けっこう勇気のいることです。
「これ、プレゼントです」
「良かったら、使ってください」
「お祝いに持ってきました」
「記念に差し上げます」
と、善意だったり何だったり、ぼくらは色々なものを頂戴します。
しかし、その中には”要らないもの”もあるんですよね。
ピン!とこないとか、ときめかないとか、ワクワクしないとか、いろいろ言い方はあると思いますが、とにかく「ビミョーなもの」をもらってしまうことは、よくあります。
しかし、
「ビミョーだから要りません」
「これはお返しします」
とは、なかなか言えない(笑)
偽善者と言われようが、ぼくには言えない(笑)
まーそれはいいんですが、そのあと「なかなか捨てられない」という問題がある。
しかし今回は、ちょうど引越しがあったので、モノの断捨離と”思い込み”の断捨離をしてみることにしました。
他人からもらったものを捨てられないのは、なぜか。
それを考えてみると、やはりそこには
「ヒドイ人になりたくない」
「ヒドイ人と思われたくない」
「さすがにそれは申し訳ない」
「さすがに、それはダメなのでは?」
という思い込みのオンパレードが見つかったのです。
けっきょく、「いい人ぶってる」「善人ぶってる」だけ、もしくは罪悪感か不安から来ていることが分かりました。
そして、そのぶんだけ、自分をだまし、自分を傷つけていることも分かった。
というわけで、今回の引越しでは、モノを捨てることで、「思い込み」も一緒に捨ててみることにしました。
しかし、これがまた捨てるときに”抵抗”が出るんですねー。
「せっかくもらったのに、悪いな」とか
「いいのかな、これまで捨てちゃって」とか
どんだけ罪悪感と不安のカタマリやねん!と自分にツッコミまくりました。
しかし、面白いことに、抵抗を乗り越えてエイヤで捨ててしまい、新居に移ってしまうと、もうすっかり罪悪感とかなくなるんですね。
「あー、そっか、俺って”ヒドイやつ”だったんだー」
とよーく分かりました(笑)
つまるところ、「もらったものを捨てられない」というのは、「自分がヒドイやつであることを認められない」だけだったのです。
「認める」というのは、楽になることですねー。
「俺は、もらったものでも気に入らなければ捨てちゃう、冷酷でヒドイやつ」って分かっちゃえば、それはそれは楽です。
そして「好きなものに囲まれる」という生活を送ることができる。
「好きなものを周囲に配置して生きる」ということは「自分は、好きなものを手に入れ、ワクワクしながら生きてもいい」という許可を自分に出すことです。
それは、自分を大切にすることに他ならない。
そう考えていくと、「受け取る」前に考えることは、「受け取らない」「断る」「捨てる」ことなのだと分かる。
余計なものは受け取らない。
やりたくないことは、断る。
要らないものは、捨てる。
このめっちゃシンプルな原則を貫き、「俺はワガママで、欲張りで、ヒドイやつなんじゃい」と認める。
それこそが「受け取り」の本質ではないかと思うわけです。
だから結局は「覚悟」と「勇気」と「リラックス」になっちゃうんですよね。
で、そのためにはインナーマッスル活性化するといいですよって話で。
だから、このメルマガ取ってみたらどう?って話で。
「え?受け取らない?!」
おあとがよろしいようで。