牧野富太郎氏を追いかけている。

中学塾屋として時事だからやっている以前から

牧野富太郎氏は重要だと考えていた。

なぜなら植物界のさかなくんだからだ。

功績に比べて学術会以外の認知度は低く、

いわゆる牧野ブームは1951年。

富太郎、89歳のことである。


昭和26(1951) 89歳文部省に牧野博士標本保存委員会設置され、標本整理が始まる。第1回文化功労者となる。
さて、NHK連続ドラマの前半折り返しとなった。基本的に毎回解説するのも変だと思った。受験に関係ない植物も多いしな。この回は解説が必要だと思ったから、以下のような記事は書いた。




一生については下記にまとめた。


さてついに植物学会誌を発行して、介添人(仲人)と結婚申込書を持たせてやった。なんで印刷屋の親父に?と思うかもしれないが親方なので印刷会社の社長なのである。だから万太郎の雇用主トップなのだ。
しかし同時にすえ子は高藤に違和感を持つ。ダンスや鹿鳴館などの文化は国威発揚の道具でしかないのが高藤の価値観だ。ここで思い出してほしい。「すえ子は元々南総里見八犬伝に心を躍らせる夢みる文学少女であった」ことを。こうなると芸術観高藤とすえ子では大きく異なる。美しい物語を素直に美しいというすえ子美しい植物を素直に美しいという万太郎価値観において共通する。この前半部はここにある。これがわからないといけない。すえ子は植物を愛したわけでない。好きなものにひたむきな万太郎を愛したのだ。そんなわけで結婚生活編が始まるわけだが、牧野富太郎の人生は結婚してからが転落人生の始まりですらある。

まず酒税改革である。



新たに明治8年2月に酒類税則が制定され、免許税的な性格の酒造営業税、売上税的な性格の醸造税、酒類請売(うけうり)営業税が課されることになりました。この後、明治13年9月に制定された酒造税則によって、それまで酒の種類(清酒、焼酎、味醂等)ごとに課税された酒造免許税が、酒造場ごとに課税されるようになりました。また、醸造税は、石(ぞうこく)高による造石税となりました。
こうして実家は破綻する。牧野富太郎にとっては時期を同じくして帝大出入り禁止にされたので、高知にこの整理のための帰郷となった。※史実ではすえは愛人。本妻が猶。店ごと本妻と番頭に譲り結婚させるという隠居生活の開始である。ちなみに造り酒屋のあと料亭になるが、別れた後も支援させている。そうだよ。甲斐性はまるでねえよ。多くの科学者はそんなもんだ。


さて今後は夫婦生活と共に、

金にならない偉業を成し遂げていく。

戦争を挟んで、

すえことの手紙のやりとりを繰り返し

※本名は「すえ」だが、牧野は手紙では

「すえ子ちゃん」と愛称で呼んでいる。


いまから牧野富太郎を知るにはNHKムックがおすすめである。


こちらでも良いが。


さて。緑モエル春が終わった。熱く、暑く、厳しい夏だが、植物が1年で1番盛んに伸びる季節でもある。あなたのお子さんにも、そうであって欲しい。


好きなことからはじめよう。






©️お受験のお医者さん