搾取と介入
これまで書いてきた “無所属少年時代”、俺は友達から“助けてもらった”記憶がない。
そして、誰かを“助けた”覚えもない。
『酷い奴だな』、『寂しいやつ(笑)』と思われるかもしれないが、本当にそう思う。
ひょっとしたら、誰かから「遊ぼうぜ🎵」なんて誘われたのは、その“友達”からしたら、無所属の俺への“救い”だったのかもしれない。
だが、申し訳ないが、俺は一人でも平気だったし、遊んでほしければ、そう言っていた。
以前、“やすし”(仮名)が“カガリ”(仮名)からイジられているのを“助けた”ような事を書いたが、あれは幼馴染のやすしがカガリ程度(失礼)の奴にイジメられているのが、腹立たしかったのと、『弱い者は、さらに弱い者を叩く』という“イジメの原則”を感じていたからだ。
俺はやすしにも哀れさを感じていたが、カガリにも哀しみを感じていた。
かがりは、やすしを“叩かない”と、自分を保っていられないからだ。(と思っていた)
そういう俺も実は“イジメ”を受けた記憶がある。(それを以下に書いていく)
“何を持ってイジメとするか”は、人によりかなり違うが、俺からすると、『俺が“嫌だな”と思える言動』をしたら、全て“イジメ”だ。
だから、俺が誰かに遊びに誘われても断ると怒り出す💢友達は、“イジメ”だ。
何故なら、俺の“自由”を侵害してくるからだ。
俺が何をしようと、俺の勝手だろ?
何故、お前ら💢と遊ばないといけないのか?
たがら、一人を選んだ。
“無所属”で、どのグループとも深く付き合わないのが、楽に思えた。
それが俺が“無所属”になった起因の一つだ。
だから、『他人から助けてもらった』という印象もない。基本、一人だからだ。(小5まで)
そして、『他人を助けた』という印象も子供時代には無い。
俺がそう思うのは、大学生になり、先輩などから飯や酒を奢ってもらったりしてからだ。
あの人たちには、『助けてもらった』と思える(…いろいろあったが)
子供の友人は、俺の時間や自由の搾取者であり、俺への介入者でしかなかった。(…寂しい奴だな、俺💧)
イツキらの謝罪
あれは小3の頃、俺が“無所属”になる間際の頃だと思う。
“イツキ”と“影千代”(共にあだ名)が、クラスの中でとある同級生(クラスメート)をイジめていた。
俺はそれを、かなり消極的だが、止めた事がある。
何故、“消極的”だったのか、というと、俺もこの
前に二人(イツキ&影千代)に“イジメ”られていた。
実は、それに対し、俺は少し複雑な気持ちがあった。
これより前のある日、イツキと影千代が俺をからかってきた。
確か、二人がアニメのキャラクターの話をしながら、俺を軽く小突いた程度だった。
実のところ俺はこの二人に対し、あまり嫌な気持ちがなかった。
イツキの話(#62 イツキvsカツミ)でも書いたが、イツキはかなり独特な性格をしていて、普段はとくに威張ったりしなかったし、俺とも気さくに話していた。
この頃イツキは、何故か影千代と仲が良かった。影千代は一応“イケてる”グループだったので、イツキから寄って行ったのかも。俺としては、イツキ、影千代と“遊んでいた”意識が強かった。
だが、俺は何を思ったのか、それを担任の先生に言い付けてしまったのだ。(草尾先生では無い)
俺は“言い付け”が好きではない。
俺からしたら、(…アイツら、先生から軽く怒られろや😁)という“軽い仕返し”のつもりだった。
先生に少し注意され、終わるはずだった。
だが、俺の予測に反し、担任の先生は激怒して、イツキと影千代を呼び出し、猛烈にお説教した。そして、俺を呼び、クラス全員の前で俺に謝罪させたのだ。
彼らの謝罪を受けながら、俺からすると、(…いや、そこまでしなくても)と思っていたが、俺からは言えなかった…。
俺に謝罪後も、二人はまだ仲良く、一緒に行動し、今度は別のクラスメートをからかい出したのだ。
困惑
だから、二人が別のクラスメートを“イジメ”ていたのをみて、困惑した😑😑😑
それは俺からすると、“イジメ”とは言えなかった。
だが、先生や他の人間からすると“イジメ”なのかもしれなかった。
二人の行動は、最後は俺の時と同じ結果にならないか?
…しかし、それは“イジメ”とまでは言えない気もした。
そして、イツキは普段、それほど影千代と仲良くはない。
それを考えてみると、どうしても消極的になるざるを得なかった。
確か、二人に遠くから「おーい。そんな事するのやめとけよ…」と弱々しく言った記憶がある。
それが、子供の頃に唯一、他人を“助けた”記憶だ。
友達は“仲間”か?
俺の心配を余所に、結局二人はまた先生かは💢怒られていた。
そして、イツキと影千代はいつの間にか、“離れて”いった。
前にも書いたが、イツキは初めは“イケてるグループ”にいたが、この頃から“離脱”し出したのだと思う。(理由は不明)
子供の頃、露骨に他人を助ける奴がいたか?
俺もそうだが、誰かに「大丈夫か?」などと優しい言葉をかけるのは照れ臭いし、かけられるのも、惨めだ。
それのせいもあるか?
そして、こうして、大人になってから思うのだが、俺がこの時期から『いろんなグループを渡り合う』という“無所属”を選んだのも、この“助ける”という行為への疑問からではないだろうか。
俺は、この頃、放課後や休みによくいろんなグループから、誘われた。
それに乗ったり、乗らなかったした。
俺は「助けてもらった」とは思わなかったが、一緒に遊んだ“友達”の中には『…お前なんかと、遊んでやっているんだぞ』という雰囲気を濃厚に出す奴らがいた。(“イケてるグループ”と遊んだりしたら、そうだったかな?)
そんな事を感じたら、俺はソイツらとはもう遊ばなくなったし、もちろん「助けてもらっている」とは思えなかった。
「一緒に遊ぼう」は「助ける」か?
俺は“一人”で良かった。
そして、中には“誰かと一緒”というだけで、威張ってくる奴がいた。
おそらくソイツはソイツらといて“助かって”いるのだろう。関係性が脆くても良い、自分の“役立つ”友人関係を求めるのは、違わないか?
「仲が良い」と「助ける」は違う。俺の中では明確に違う。
「仲が良い」=友達
「助ける」=仲間
そんな気持ちが今もある。