無所属少年時代 #72 友達と“仲間” | 鈴木篠千のゲームと釣りと少年時代の話。

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レトロゲーム攻略、釣りと少年時代の思い出の話です。

毎日では無いですが、PM10~11:00に1~3本の記事をアップする予定。

ルール
①高額ソフトはやらない
②攻略本などは見ない。
③地元(浜松)で釣る。
④少年時代(無所属)の話。
(詳細はプロフィールで)

搾取と介入


これまで書いてきた “無所属少年時代”、俺は友達から“助けてもらった”記憶がない。

そして、誰かを“助けた”覚えもない。


『酷い奴だな』、『寂しいやつ(笑)』と思われるかもしれないが、本当にそう思う。


ひょっとしたら、誰かから「遊ぼうぜ🎵」なんて誘われたのは、その“友達”からしたら、無所属の俺への“救い”だったのかもしれない。


だが、申し訳ないが、俺は一人でも平気だったし、遊んでほしければ、そう言っていた。


以前、“やすし”(仮名)が“カガリ”(仮名)からイジられているのを“助けた”ような事を書いたが、あれは幼馴染のやすしがカガリ程度(失礼)の奴にイジメられているのが、腹立たしかったのと、『弱い者は、さらに弱い者を叩く』という“イジメの原則”を感じていたからだ。  


俺はやすしにも哀れさを感じていたが、カガリにも哀しみを感じていた。

かがりは、やすしを“叩かない”と、自分を保っていられないからだ。(と思っていた)


そういう俺も実は“イジメ”を受けた記憶がある。(それを以下に書いていく)


“何を持ってイジメとするか”は、人によりかなり違うが、俺からすると、『俺が“嫌だな”と思える言動』をしたら、全て“イジメ”だ。


だから、俺が誰かに遊びに誘われても断ると怒り出す💢友達は、“イジメ”だ。


何故なら、俺の“自由”を侵害してくるからだ。


俺が何をしようと、俺の勝手だろ?

何故、お前ら💢と遊ばないといけないのか?

たがら、一人を選んだ。 

“無所属”で、どのグループとも深く付き合わないのが、楽に思えた。


それが俺が“無所属”になった起因の一つだ。


だから、『他人から助けてもらった』という印象もない。基本、一人だからだ。(小5まで)



そして、『他人を助けた』という印象も子供時代には無い。


俺がそう思うのは、大学生になり、先輩などから飯や酒を奢ってもらったりしてからだ。

あの人たちには、『助けてもらった』と思える(…いろいろあったが)


子供の友人は、俺の時間や自由の搾取者であり、俺への介入者でしかなかった。(…寂しい奴だな、俺💧)



イツキらの謝罪


あれは小3の頃、俺が“無所属”になる間際の頃だと思う。

“イツキ”“影千代”(共にあだ名)が、クラスの中でとある同級生(クラスメート)をイジめていた。


俺はそれを、かなり消極的だが、止めた事がある。


何故、“消極的”だったのか、というと、俺もこの

前に二人(イツキ&影千代)に“イジメ”られていた。

実は、それに対し、俺は少し複雑な気持ちがあった


これより前のある日、イツキと影千代が俺をからかってきた。

確か、二人がアニメのキャラクターの話をしながら、俺を軽く小突いた程度だった。


 実のところ俺はこの二人に対し、あまり嫌な気持ちがなかった。

 イツキの話(#62 イツキvsカツミ)でも書いたが、イツキはかなり独特な性格をしていて、普段はとくに威張ったりしなかったし、俺とも気さくに話していた。

 この頃イツキは、何故か影千代と仲が良かった。影千代は一応“イケてる”グループだったので、イツキから寄って行ったのかも。俺としては、イツキ、影千代と“遊んでいた”意識が強かった。



 だが、俺は何を思ったのか、それを担任の先生に言い付けてしまったのだ。(草尾先生では無い)

 俺は“言い付け”が好きではない。

 俺からしたら、(…アイツら、先生から軽く怒られろや😁)という“軽い仕返し”のつもりだった。

 先生に少し注意され、終わるはずだった。


 だが、俺の予測に反し、担任の先生は激怒して、イツキと影千代を呼び出し、猛烈にお説教した。そして、俺を呼び、クラス全員の前で俺に謝罪させたのだ。

 

 彼らの謝罪を受けながら、俺からすると、(…いや、そこまでしなくても)と思っていたが、俺からは言えなかった…。


 俺に謝罪後も、二人はまだ仲良く、一緒に行動し、今度は別のクラスメートをからかい出したのだ。




困惑



 だから、二人が別のクラスメートを“イジメ”ていたのをみて、困惑した😑😑😑


 それは俺からすると、“イジメ”とは言えなかった。

 だが、先生や他の人間からすると“イジメ”なのかもしれなかった。

 二人の行動は、最後は俺の時と同じ結果にならないか?


 …しかし、それは“イジメ”とまでは言えない気もした。

 そして、イツキは普段、それほど影千代と仲良くはない。

 

 それを考えてみると、どうしても消極的になるざるを得なかった。

 確か、二人に遠くから「おーい。そんな事するのやめとけよ…」あんぐりと弱々しく言った記憶がある。


 それが、子供の頃に唯一、他人を“助けた”記憶だ。




友達は“仲間”か?

 俺の心配を余所に、結局二人はまた先生かは💢怒られていた。


 そして、イツキと影千代はいつの間にか、“離れて”いった。


 前にも書いたが、イツキは初めは“イケてるグループ”にいたが、この頃から“離脱”し出したのだと思う。(理由は不明)


 子供の頃、露骨に他人を助ける奴がいたか?

 俺もそうだが、誰かに「大丈夫か?」などと優しい言葉をかけるのは照れ臭いし、かけられるのも、惨めだ。

 それのせいもあるか?


 そして、こうして、大人になってから思うのだが、俺がこの時期から『いろんなグループを渡り合う』という“無所属”を選んだのも、この“助ける”という行為への疑問からではないだろうか。


 俺は、この頃、放課後や休みによくいろんなグループから、誘われた。

 それに乗ったり、乗らなかったした。


俺は「助けてもらった」とは思わなかったが、一緒に遊んだ“友達”の中には『…お前なんかと、遊んでやっているんだぞ』という雰囲気を濃厚に出す奴らがいた。(“イケてるグループ”と遊んだりしたら、そうだったかな?)


 そんな事を感じたら、俺はソイツらとはもう遊ばなくなったし、もちろん「助けてもらっている」とは思えなかった。


 「一緒に遊ぼう」は「助ける」か?

 俺は“一人”で良かった。


 そして、中には“誰かと一緒”というだけで、威張ってくる奴がいた。


 おそらくソイツはソイツらといて“助かって”いるのだろう。関係性が脆くても良い、自分の“役立つ”友人関係を求めるのは、違わないか?


 「仲が良い」と「助ける」は違う。俺の中では明確に違う。


「仲が良い」=友達

「助ける」=仲間


そんな気持ちが今もある。