先日、実家に行くと母親が『孫ら(俺から見ると甥っ子)がゲームをし過ぎて、弟の家のテレビが壊れた』と報告してきた。
後から母に聞いて笑ってしまった。
余程、やりまくったのだろう。
甥っ子らはニンテンドースイッチを持っているし、他のゲーム機もあるらしい。
子供はテレビゲームが大好きだ。
“レトロゲーム好きな40代オジサン”の俺には、それを注意したりする権利は無い。(恥)
…というか、甥っ子らにテレビゲームを教えたのは俺だ。
俺が子供の頃、ファミコンの“遊戯時間”は一応「1日一時間」と決められていた(…と思う)
(…と思う)というのは、それほど厳密に守ってなかったし、始めの頃はファミコンを買ってもらったが、自宅ではらあまりやらなかった。
というのも、貧乏な我が家では人気ソフトなどは手に入らず、友達などからもらった“クソゲー”(失礼)が多く、ファミコンは近所の友達(ともさん)などの家で遊ぶことが多かった。
そして、
『ゲームはみんなで遊ぶもの』
この意識が強く、『自宅で、一人で、数時間も…』という発想がなかった。
ゲームは、大人数で、遊んでいる周りでワイワイと騒ぎ、茶化したり
しながらやるものだった。
なので、ファミコン本体購入当初によく遊んでいたのは、
…ま、もう一つの理由は、ファミコンを買ってもらった頃、このブログ(無所属少年#13~16)で書いたように、俺は“オオカミ軍団🐺”と関わっていて、自宅近辺では遊ばなくなっていた。
“オオカミ軍団🐺”の連中とはファミコンなどで遊んだ記憶が無い。程なくして、俺は“無所属”としてフラフラし出すので、『自宅で一人、ゲーム』という状況にのらなかった。
親から「テレビゲームは1日一時間!」と言われ出すのは、
俺が『俺だけのゲーム(ソフト)』探し、シューティングゲームや、
ドラゴンクエストには“ドはまり”し、この頃(小6辺り?)だ。
特に『ドラクエ2』(悪霊の神々?)は近所の“ともさん”の自宅で(まだ仲違いする前に)、ともさんが攻略するのを後ろから観ていただけ。
“3”から本格的にプレイしたが、こうしてRPGは、一人でひたすら攻略するものになり、長時間プレイになりがち。
そこで親から“忠告”が入るのだろうな
子供の頃、時間というやつは無限にあるように感じられていた。
学校や近所で“おもしろくないこと”があっても、カバンを自宅に置いて外に出れば、気分は晴れた(…そうじゃなかった事もあるが)
それは1日の中での出来事で、毎日『自分が楽しくなる事』を探していた。
ファミコン“のみ”が「それだった」のではなく、“楽しい事”が他にもあった。
ファミコン(=テレビゲーム)は楽しむ為の“ツール”の一つでしかなかった。
確かに楽しいが、何時間もやりまくるものではなかったような気がする。
そんな俺は、レトロゲーム攻略に夜な夜な“ハマって”いたする。