小4の頃のある日。
俺は珍しく、弟と、弟の同級生で“ともサン”(仮名)の弟(とも弟)と自宅で遊んでいた。
そこに“サダヒト”(仮名)から電話が来た。
「一緒に、遊ばないか?」という誘いだ。聞くとサダヒト側には“タケシ”(仮名)もいるらしい。俺達の自宅は同じ町内にあった。
俺はタケシは苦手だったが、サダヒトがいつになく意気込んで誘うので了承した。
こちらが3人(俺、弟、とも弟)で向かう事を告げると、サダヒトは何故か「オマエんちに段ボールあるか?」と尋ねてきた。
俺が「あるよ?」と言うと、「じゃ、武器を作ってこいよ」と意味の分からない事を告げて電話を切った。切る間際サダヒトは「これ、戦争だからな…」と謎の言葉を俺に吐いた。
全く意味の分からない俺は、弟と話し合い、当時流行っていたファミコンの『ドラゴンクエスト』のような“武器”を作り、「“ドラクエごっこ”のような事をしよう」という事ではないか、と予測した。
俺は、弟、とも弟と一緒に自宅にあるダンボールを切り、ペラペラの『鋼の剣⚔️』やボロボロの『銅の鎧』を作り、急いでサダヒト宅に向かった。
サダヒト宅に行き、庭から玄関に入ろうと「サダちゃーん、来たよー」と声を掛けると、庭の隅にある木の影からダンボールで武装し、新聞紙の束で作った“刀”を持ったサダヒトとタケシの2人に襲撃され、ボコボコにシバかれた
「痛い、痛い💢 …ち、ちょっと、な、何だよ!」
俺は驚いて、2人を静止させた。
こちらの武器(?)はダンボールを切り抜いた貧相な剣と、ダンボールを腹に巻いただけの鎧だ。とも弟などはトイレットペーパーの芯と紙で作ったボロい“鎖ガマ”しか持っておらず、サダヒトの新聞紙の刀でひっぱたかれて壊されていた。
「だから、戦争だよ💢」(サダヒト)
そう言う彼の隣で“気分屋タケシ”がニヤニヤ😏と笑っていた。
普段、2人はそこまで仲良くないのだが、何故かこの時は長年の友達のようにガッチリ組んでいた。
サダヒトの話によると、2人で遊んでいるうちに、何故か「強力な武器⚔️を作ろう」となり、作ると「誰かと闘おう」という流れになり、近所に住む俺に電話し、無理やり“闘い”に加わらせた。彼の言った「戦争」とはこういう意味だったのだ。
俺は猛然と抗議した。
弟と弟の友人(とも弟)を誘った“後ろめたさ”もあり、「そんな話、聞いてない💢」と抗議したが、サダヒトは「これは戦争だ」の一点張りだった。
そして、そのやり取りを聞きながら笑うタケシ…。
結局、俺達3人はサダヒト&タケシと“ダンボール戦争”をする事になり、何故かサダヒトの家の軒先で彼らの作った武器と武装の残骸で、武器を作り、2人と対戦した。
元より、戦闘意欲の少ない我々には厭戦感があり、全く乗り気のしない戦いであり、再びサダ&タケにシバかれた💦
「なんだよ、歯ごたえねぇなあ😃 俺達の勝ちだな」とサダヒトは高らかに言った。
まるでどこかの首相のような言い分だが、奇人サダヒトは突然、こうした行動を取る時があった。
気分屋のタケシも同様だ。
突如、思い付いた事を強引に進める癖があり、俺は時折それに巻き込まれた💧(…舐められていたな💧)
かと思えば、急に下手に出たりするので、対処に困る男だった。(タケシも…)
サダヒトの家からの帰り道、俺は弟ととも弟に陳謝したのを今でも覚えている。
そして、思った。
(…俺はこんな風に他人を巻き込むは嫌だな)と…。
俺が“無所属”を選んだのは、『誰の指図も受けたくない』という思いからだが、逆に『他人を自分の意思に巻き込みたくない』と思えたからかもしれない。
人間は自由だ。
誰と遊ぼうが、止めようが、自由だ。
放課後や休みはどこへ行こうが、どこに居ようが自由だ。
いきなり電話で呼ばれ、新聞紙でシバかれるなどの理不尽が罷り通るものか💢
しかし、他人はそんな事をする。それが『楽しい』『有益だ』と“思い込み”、他人にそれ“押し付け”る。迷惑な話だ。
そして、俺もするかもしれない。
俺が『これは楽しい』『これはしといたら有利だ』と思っても、それを他人がどう評価するかは、別だ。
(…たぶん、してきたような気もするが)
ダンボールで戦争するか、どうかは本人次第。
ダンボールで『ドラクエごっこ』をするか、どうかも本人次第だ。
それを強要してならないし、されたくない。
何故なら、俺達(俺もサダヒトも)、自由だからだ。