ミニ四駆にドはまりしていたのは、この頃か、少し後(小5)だったかな。

俺はお年玉や“財テク”で貯めたお金💴でクリアボディーのサンダードラゴンを買った。

ある程度仕上がると、やはり“腕試し”したくなる。
(そこまで改造してないのに…)
それが以前書いたような、浜北ホビーでのコース走行や、デパート(ユニー?)での走行会への出場(#32 詐欺師たち)が、それだが、大して早くない我が愛機(雷龍号🏎️)を“プライベート”な場所で、かつ極々身近な人間(弟など…)と競わせたかった。

そんなある日、“苦手な人物”の1人である“気分屋タケシ”(あだ名)から自宅に呼ばれた。
あまり乗り気がしなかったが、行ってみるとそこにはミニ四駆コースがあった!
何と、タケシもミニ四駆にハマっていて、兄と一緒に段ボールで作ったのだ。
俺は何度か、そのコースで走らせてもらった。
コースは2つだけ。
しかも、段ボールをガムテープで固めて接続してあるので、カーブ部分がミニ四駆の“サイドスピン”で削られ、度々穴が空いた。
空くと、そこからミニ四駆が飛び出し、タケシの自宅内を“暴走”した。
今から思うと、何ともボロいコースだったが、俺は満足していた。俺の雷龍号🏎️は遅かったが、別に構わなかった。
こういうコースで、内輪でミニ四駆を走らせたかったのだ。
何度か、親友の“ミッチー”(あだ名)も誘ってタケシの家でミニ四駆を走らせた。
そして、ミッチーのリアクションは俺とは違っていた。
タケシの前では言わなかったが、俺には「ありゃ、ねーだろ(笑)」
と言っていた。
それもそのはずである。
ミッチーの自宅からミニ四駆コースのあった浜北ホビーは近く、彼は気軽に本格的なコースで走らせることが出来たからだ。
…ちなみに浜北ホビーのコースは無料開放されていた、と思う。
俺としては、そういう本格的なコースに来るヤツのミニ四駆はそれなりに改造されていて、そこそこ速かった。
俺の雷龍号🏎️は名前倒れの“ほぼノーマル使用”🏎️
チューンナップと言っても、安価なパーツとミッチーからもらった古いパーツを取り付けたのみである。
イイダトーイ(別の玩具店)にも出入りしていた俺は、自身の愛機の性能をよくよく知っていた。
なので、プライベートな極々“狭い範囲(の友人など)”での走行を希望していた。
今から思うと、相当腰が引けているヤツだ。![]()
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このブログの子供の頃の話を書いた記事には、必ず俺が“勝ちたがる”エピソードが出てくる。
俺だけのゲーム。
俺の為の仲間
俺が勝てるコース…。
この頃の俺は、“無所属”と言いながら、誰かに勝ちたくて仕方がなかったようだ。
子供時代によくある、他者との比較で“上”に立ちたかったのだ。自己顕意欲が高かった💦
その一つがこのミニ四駆コースだった。
とにかく『自分の勝てる戦い』(パワーゲーム)しかしない。そんなヤツだった。
無理して“出ていけば”、実力の乏しい俺など、すぐに“潰される”。それを理解していた。
だから、無理して他人やグループに加わらない。
“自分のテリトリー”を把握していた。
ミッチーやタケシあたりはそれに早くから気付いていて、彼らなりの“無所属”(独立)をしていたのだろう。
俺は、気付くのが遅かったのかも。
自分の“小さなテリトリー”でしか戦わない“腰抜け”…。
そんな子供だったなぁ…。
今、俺は40を越え、たまにそうした“大人”を見ると辟易とする。
自分の身を守る為、自分の力の及ぶ“小さな範囲”を必死に守る腰抜け…。
その“範囲”(テリトリー )からは絶対に出ない腰抜け。
己の力の“限界”をしり、絶対に他所とは争わない腰抜け。
そんな腰抜けな大人を見ると、思う。
(…この人、まだこんな感じなんだ)
(腰抜けだなぁ)
(…なんて臆病なんだろう)
(恥ずかしくないのか?)
きっと子供の頃からそうだっただろう。それが大人になっても変わらない。
人は、そう簡単に変わらない、変えられない。
子供の頃の“臆病”は、大人になっても臆病だ。俺がそうだから…。
俺はそれを『元値』と密かに呼んでいる。
人間の元来の価値、根本的な考え方だ。
そこから今があると思う。
人生において、様々な体験をする。それを皆、元値に掛けるのだ。
基準がそれだから、どんなに大きくなっても、元値は変わらない。元値は不変だ。
人間は変わらない。人間の元値もまた変わらないのだ。
『あの人は最近、変わったね』と言っても、それは『変わった』風に見せていたり、元来の“自分”とは違う意見、雰囲気、考え方を加味しているだけで、根本は変わってはいない。
突き詰めたら“元値”が見えてくる。

