話を俺が“オオカミ軍団🐺”から離れた小4の頃に戻そう。
放課後
ミニ四駆やらファミコン、BB戦士にハマりながら、この頃、俺の放課後が少し変わった。
“部活”がスタートしたのだ。
当時、小4~6までは、放課後に必ず“部活”に所蔵しなければならなかった。サッカー部、バスケット部、吹奏楽部、書道部のいずれかに必ず入らなければならなかったのだ。
今から思えば、それは“体育”授業の延長だったのだろうが、あまりにも選択肢が無さすぎである。(…しかも野球部が無い)
俺は“泣く泣く”サッカー部に入った。
それはオオカミ軍団で仲良くなった“タツミチ”(仮名)の影響だったが、単にそれしかなかった、という消極的な理由が大きい。
最も、自由人で“元祖”無所属の“ミッチー”(あだ名)など、元々運動“拒否”な奴らは完全に“幽霊部員”
になり、毎日言い訳して部活に出てこず、どこかで遊んでいた。
俺は当時、よくミッチーに「お前、部活(サッカー)の練習出てこいよ💢」と言っていたが、彼は凄く嫌な顔をした。相当めんどくさかったのだろう。
…大人になった今、この“強制的部活動”を思い返すと、かなり大人(教師)らの“横暴”を感じる話だ。
(現在は中止されているようだ。当たり前か?)
なので、小1~3までのように放課後の自由が無くなってしまった…のだが、俺はこの小4の頃の“サッカー”の記憶があまりない。
(小5からはある…。)
それよりも、乗り始めた自転車🚲️や他のグループとの付き合い、図書館での1人の時間が楽しかったのだろう。
平日の放課後は部活で時間を取られても、休みの日は“無所属”に行動していた。(…と思う)
その部活とは別に“クラブ”もあった。
少し分かりづらいが、部活は“運動”(それ以外もあるにはあったが)、“クラブ”は“自由学習の時間”であった。
毎週1日、授業の後に約一時間。各生徒が自由に、好きな事を学ぶのである。
サッカー、野球
(何故か、クラブにはある)、バスケ
、バレー🏐…という運動系クラブがあった。
文科系では、国語、社会、算数…。
さらに、家庭科、音楽
、園芸
、工作🔨、昔の遊び
、なんてのもあった。
おそらくだが、教師がそれぞれを受け持ち、児童の指導をするのだ。これも“授業の延長”だった。
スポーツ系のクラブは、“部活”のような運動を指導するのではなく、そのスポーツの歴史、ルール、攻略などを“発表”していた(らしい)
なので、“部活”はバスケ、“クラブ”もバスケ、という“カブリ所蔵”をする奴もいた。
それが、小4からスタートした。
俺の念願とトランプ研究
…これは俺達の小学校だけだったのだろうか?
中学、高校でこの『部活-クラブ』の話をしたことかないので分からない。同年代、静岡県西部で少年時代を過ごした人間には是非聞いてみたい。
クラブにはルールがあり、それは『クラブは一年間で終わり』『一度入ったクラブは二度と入れない』である。
当時の俺は『マンガクラブ』に入りたかった。
マンガクラブは『好きなマンガの作画をする』という不思議な授業内容だったが、何と授業中マンガが読み放題だった。
しかし、クラブに所属出来るのは一年間である。
“一番の楽しみは最後に取っておくタイプ”(貧乏性?)の俺は、(…小6で入ろう)と決めていた。
なので、小4では“社会科クラブ”に川ちゃん(あだ名)と入った。
その頃川ちゃんは何故か“幕末”にハマっており、彼の提案で『坂本龍馬は誰に殺されたのか?』という“歴史ミステリー”を研究(?)した。
今から思えば、かなり面白そうな話なのだが、頭に“マンガクラブ”のある俺には、あまり乗り気のしないクラブ内容だった。
で、小5になった俺が入ったのは、“昔の遊びクラブ”だった。
これは、竹馬、メンコ、竹トンボなど、昔に遊ばれたものを“研究する”というクラブで、児童一人一人に“担当”の遊びが割り振られ、それを研究する羽目になった。
俺の担当は、トランプだった。
(…確かに“昔からある遊びだけど”)と俺はこの担当に不満タラタラだった。
…しかし、このトランプの研究はなかなか面白く、今の俺の性格にもかなり合致していた。(また別の機会にじっくり書きたいな)
そして、小6。
俺は念願の“マンガクラブ”に入ることができた。
そこには何故か、ミッチーがいた。さらにカツミ(仮名)もいた。2人とも俺と同じく“貧乏性”だったらしい。
念願のマンガクラブだが、俺はこのクラブの印象がほぼ無い。ただただマンガを読んでいただけだったからだ。(ドラゴンボールの悟空の絵を描いた記憶がある)
覚えているのは、ミッチーが『電影少女』という少年ジャンプでやっていたマンガの“エロいシーン”(何故か、下着姿のヒロインを見た…)を授業中に俺に見せてきて対応に苦慮した事ぐらいだ…。