西か、東か。
江戸での説得行脚(?)に区切りを付け、今後の行き先を悩んでいる。
京都(西)か、東北(東)か?
だが、よく考えてみたら…、
京都でも、東北でも、龍馬の今の身分(土佐藩重臣)では面会出来る要人に限界がある。
家老クラスに昇格しなければ、藩主、将軍、天皇には面会が叶わない。
藩内で出世するしかないのだ。
(少しおかしな気分だが…)
それもこれも、土佐藩の方針が『雄藩連合』(公議)であるからだ。
ここでポイントになるのは、先に会った吉田東洋だ。
吉田東洋は龍馬と同じ公議派で、しかも家老。
彼は藩の方針を決める藩主(山内容堂)と面会が可能。
彼が容堂公を説得し続けていないと、同じ公議派である龍馬の出世も見込めないのだ。
事実、吉田東洋(元吉)は土佐藩内でも"異端"な存在だった。
ドラマなんかでは、龍馬の"敵役"的な扱いだが、実際は土佐藩内部では旧勢力から相当煙たがられていたらしい。
東洋は藩内の刷新を唱えていたからだ。
尊王攘夷には相容れず、土佐藩を含む雄藩合議制での幕府継続を期待していた。
(佐幕よりの公議派?)
急進の改革派と言える。
容堂からの信任も厚かったらしい。
そんな元吉(東洋)を疎んじた藩内の旧勢力が、土佐勤王党と結んで拡大したので、武市半平太は藩内で伸長したのだ。
確か、史実では吉田元吉(東洋)は暗殺されるはず。(そろそろか?)
公議派の彼が亡くなると、土佐藩の方針が変わってしまう!
これは、東洋をがっちり公議派にしておかないとな。
また、尊王派の武市半平太を抑えるか、同じく公議思想にしないと。
土佐藩が危ない。
まずは、故郷、土佐に帰郷すべきか?