阿武隈山麓の昭和の風景と生活 <初夏編>「ほたる狩り」 | そそっぱい おじんつぁん

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多くの分野について、「あまり聞いたことがない考え方だが、なるほど 」と思われるような記事を少しづつ書いて行きたい。

 

以前にブログの写真で紹介したが、実家のわが家の庭から見下ろした景色の正面右手の山の裾に沿って幅が2,3mの小川が流れている。

正面付近で流れは田んぼの真ん中に変わり、左手の下流では実家側の山の裾伝いにと流れが続く。

この小川は数キロ先で阿武隈川に合流している。

 

私が子供の頃の昭和20年代には この小川にもたくさんの生き物がいた。

ゲンゴロウ,ミズスマシ,ヤゴ,アメンボ,タガメ,カエル,ドジョウ,フナ などなど。

 

不思議だがメダカを見たことはない。

 

この小川では、よく 魚すくいをやった。

 

実家には 農具で一方が開いた竹製のザルがあったが、これが魚すくいには使い勝手が良い。

川に入って川岸の水の中の草むらにザルの開口部を突っ込み、左足を伸ばして草むらを左からザルへと掻き込んだ。

 

まさに安来節の「どじょうすくい」の格好だ。

 

でも 大したものは獲れなかった。

 

「どじょう」を短くしたような「もろっこ」と呼んでいた魚(正式名は「ドンコ」か?)やヤゴくらいなものだ。

フナが獲れて銀色の肌が跳びはねると心も踊ったが、フナも フナを細くしたようなハヤも 滅多に獲れなかった。

 

実は 私は水辺の生き物があまり好きではない。

とくにタガメは気味が悪かった。

ゲンゴロウやアメンボもあまり気持ちが良いものではない。

 

こんな小川の草むらにはホタルの幼虫もいたのだろうが あまり気づかなかった。

要するに 水辺の生き物たちは 隠れるのが上手なのだろう。

 

 

田植えが終わってしばらくするとホタルの季節だ。

 

実家は福島県なので ホタルは平家ボタルで小さい。

関西は源氏ボタルで大きいと聞いて羨ましく思ったものだ。

 

昭和20年代だから街灯もないので夜になると真っ暗だった。

 

その中で田んぼの上空を無数のホタルが乱舞する。

 

それはそれは壮観で優雅な夜空だった。

 

想像してもらえるだろうか?

 

 

当然ながら 私たち子供はホタル狩りをした。

 

当時 雑誌などで うちわでホタル狩りをする絵を見たことがあるが、うちわでホタルは獲れない。

うちわの風を感じてホタルは逃げてしまう。

それより何より ホタルは高いところを飛んでいるので うちわでは手が届かない。

 

当時は虫網が買えなかったので 用具を手作りした。

 

まずは、裏山から細い竹を取ってきて枝を落とし 3mくらいの竹竿を作った。

ついで、笹の葉が付いた小枝を適当な長さに切り揃えて笹の葉をこんもりと束ね、竹竿の先端の竹筒の穴に枝先の束を差し込んで 紐で結わえつけた。

これが ホタル狩りの良い道具だった。

 

子供たちは長靴を履いて手に手に竹竿を持ち 暗闇の中でも僅かに見える田んぼの小道を駆けてホタルを追った。

 

ホタルは優雅に乱舞しているが 中にはスーッと早いスピードで飛ぶホタルもいた。

竹竿を振り上げて先端の竹笹でホタルを捕らえ バサッと道端に振り下ろした。

 

笹の葉は隙間だらけだからホタルは簡単に隙間から飛び出して逃げられそうなのに、何故か笹の葉にしがみついたり地面でうろうろしたりしていてあまり逃げない。

こうして捕らえたホタルをつまんで虫籠に入れた。

 

夢中になって田んぼのあぜ道を走ると、時折足を踏み外して田んぼにズボッと はまった。

長靴が必須だ。

でも 滑って尻もちを突けば泥だらけ。自己責任だ。

 

ホタルが詰まった虫籠には、あらかじめ「ほたる草」と呼んでいた(正式名は知らない)細い茎で葉も小さい道端の雑草が入れてあり、家に帰ってから口に水を含んでプーッと吹きかけて湿らせた。

 

この虫籠を寝室の蚊帳の天井に吊るして電灯を消し ホタルの明かりを見ながら寝た。

 

子供心にも優雅に感じたものだ。