物事には二面性があることは誰でも知っているが、私がとくに印象に残っているものを2点紹介したい。
ひとつは、4,50年も前の話だ。
ラジオで聞いた若い女性の話だった。
彼女の父親は箱根の「彫刻の森美術館」に勤めていたという。
その父親に彼女は次の不満を言ったらしい。
「わたしの友達がお父さんの彫刻の森美術館に行ったら、ゴミ箱がないので困ったと言っていたわ。どうしてゴミ箱を置かないの?」
たしかに当時は、どこの施設でも道路でも公園でも電車のホームでも そこかしこにゴミ箱が置いてあった。
もっとも ゴミ箱が満杯になって溢れたごみくずが結構周りに散らかっていたものだ。
父親の返事はこうだった。
「ゴミ箱を置けば、ごみを集めて処分をしたり周りを掃除したりする係員を雇う必要がある。でも、みんながごみを出さないか持ち帰ってくれれば そういう係員はいらなくなるだろう?」
当時、私はゴミ箱を置くのは当たり前と思っていたから、なるほどそういう考え方もあるか?とショックだった。
同時にあちこちがゴミだらけになるのでは?とちょっと心配な気もした。
その後、日本中でゴミ箱が徐々に減って行った。
劇的にゴミ箱が消えたのはオウム事件のあとだろう。
当初はゴミの散らかりが多少目立ったが、それも徐々に減って行って、いまでは訪日外国人が「ゴミ箱がないのにゴミが散らかっていない?!」と口々に賞賛するという。
いまでこそ当たり前の状況ではあるが、ネットで外国人の驚きや称賛を見るにつけ、いつも私はこの父娘の会話を思い出す。
もうひとつは、比較的最近の話だ。
いまは3月、家の周りでは水道管の道路工事をしている。
出掛けてみてもあちらこちらで道路工事をしている。
毎年、2~3月の恒例だ。
そこでみんなが言う。
「年度末で予算が余ったから使わないと損。使わないと来年度の予算が減らされるから、それほど必要もない工事をしている」と。
わたしもそう思っていた。まさにお役所仕事だと苦々しく思った。
多くの人も同じ理解ではないだろうか?
ところが本当はそうではないことを知った。
4月から始まる年度の1年間には いろいろと思いがけない出来事が起こる。
その中で有無を言わさずお金を使って対処しなければならないのが 台風や大雨,大雪,噴火,山火事,地震などの自然災害による洪水や山崩れ,道路陥没,交通麻痺,ライフライン破壊などの被害に対するものであろう。
これらの災害がいつ起こり被害の修復にはどれだけの期間と費用が掛かるか分からない。
よって、もしも年度の早い段階で予算を道路工事などの費用がかさむ方面に使ってしまうと、その後の自然災害による被害の修復に予算が回せなくなる。
したがって、道路工事などの緊急でないものは なるべく年度の終りのほうに計画し、幸い災害が無ければ予定通り道路工事を行うし、不幸にも災害が起こって被害の修復等で予算を使い果たしてしまった場合は計画を次年度へ遅らす というのだ。
だから、年度の終り頃に道路工事や水道工事が集中するのは予定通りであり、決して余った予算を無理して使い切ってしまおうとしている訳ではなかった。
私は なるほどと思いショックを受けた。関係者には申し訳なく思った。
物事には二面性があるとつくづく思った次第だ。