3/10 珠玉の日常 | OJAの独り言

OJAの独り言

思ったこと、感じたことを実直に綴っていきます。

京都での普通の生活は実質あと二日。
18~22日に京都に帰ってくるときは
映画やドラマのエンディング部分、
忙しすぎて日常の生活はあと2日という意味です。





今朝、卒業旅行から帰り家に着いたとき
無性に寂しい気持ちになりました。
それと同時にその寂しさどこかで感じたことがあると思いました。



その今朝と似た寂しさを感じたのは小学生の頃、
ドラえもんの映画を見に行き、
ストーリーが完結しエンディングを見た時です。

昔のドラえもんの映画って毎回違う人が
エンディングを歌っていたような気がしますが、
毎回寂しい感じの歌を選曲されていました。

私は今も昔も映画を見ると感情移入を
人一倍してしまうタイプなので、
こういったエンディングを見ると
いっぺんに現実に引き戻されてしまい
寂しいという感情が沸いてくるのだと思います。


私の場合、上記のような寂しさは
映画の世界のような非現実的世界から
実世界に引き戻された時に起こりがちです。

今回もゲレンデという私にとって非現実的な世界から、
京都の我が家という現実世界に戻ったことが
ひとつの寂しさの原因となっている気がします。



寂しさを感じた理由はもうひとつ。

これも先ほどのドラえもんの映画の話に関連しています。
ドラえもんの映画ではエンディングが流れている間、
映画に出てきて友達になったキャラクターや
レギュラーの友達と別れるシーンが続きます。

それと昨日のみんなと別れたシーンが
なんとなくかぶっているような気がするのも
寂しい気持ちを増長させている原因だと思います。

こちらは普段であれば遊んで別れる時でも、
「また、遊べるからいいや~」
と思えるのですが、
今回はがないかもしれないんです。

永遠の別れではもちろんないし、
卒業式でも会えるだろうけど、
日常に近い形で会えるというのは
これが最後かもしれない。

次がないと思えば思うほど、
今を大切にしたくなります。

大切にしたいと思えるのは、
それだけありふれた日常が
幸せで充実したものであったから。

昨日や一昨日、1分1秒が惜しいと思ったのも、
友人と話すというありふれた出来事が
愛しいと思ったからだと思います。



出会いあれば別れあり

悲しい現実だけど受け止めねばいけません。

また会える日は必ずきます。
そう信じて一日一日を大切に全力疾走して、
胸張ってみんなと再会できればいいな。



                 OJA