国宝、 犬山城と  木曽川の流れ | トドワラのブログ

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朝陽を受けて輝く、宿の部屋よりの国宝犬山城。








宿より木曽川沿いを歩いて犬山城へ。振り返ると上流遥か

に犬山橋。













犬山城は木曽川沿いの、高さ約88メートルほどの丘に築

かれた平山城である。別名、白帝城は木曽川沿いの丘上

にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠っ

た李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちな

んで荻生徂徠が命名したと伝えられる。








犬山城は天文六年(1537)に織田信長の叔父にあた

る織田与二郎信康によって造られました。戦国時代なの

で、その後何代も城主が代わりましたが、一六〇〇年の

関ケ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。








[本丸門] 登城道最後の本丸入口の門で、外側が鉄で防禦

されていたので鉄門と言われていた旨が案内板に書かれて

居ました。(本丸門は復元された門)







坂道を上り詰め 国宝犬山城天守閣に着きました。間も無く

ですがまだ桜は咲いて居ません。国宝の中でも、現存12城

の中で一番古い天守閣の風格を感じます。








その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、昭和三

六年(一九六一年)から四〇年まで四年間をかけて解体修

理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは二十四

メートルです。国宝に指定されている犬山城、松本城、姫

路城、松江城の五城のなかでも、最も古い城であります。










此の戦国時代からの歴史を秘めた犬山城を胸に刻み、天守

に上ります。








天守を一周する展望は絶景です。濃尾平野を悠々と流れ

る木曽川の景観は犬山城を引き立たせて呉れると感じま

すし、素晴らしい眺望でした。暫く天守からの木曽川の

流れを御覧頂きたいと想います。













江戸時代に成り、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元

和四年(一六一八年)城主となってからは、成瀬家が代

々うけついで明治にいたりました。








犬山城は、現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建

造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が

国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、

松本城、彦根城、松江城)。「現存天守12城」とは、弘

前城・松本城・丸岡城・犬山城・彦根城・姫路城・ 松

江城・ 備中松山城・丸亀城・ 松山城・宇和島城・高知

城で、其の内5城が国宝に指定され、徳島県を除く四国

3県に4城が集中して居ます。








犬山城天守閣に別れを告げた私は本丸門を通り帰路に着きました。






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お疲れさまで御座いました!







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