虐待と虐め | トドワラのブログ

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悲しい悲しいショックで 泣いてばかり居る内に 

親に虐待され 学校での虐めが 心に甦りました


物心ついた頃から 父親に虐待されて居ましたが

母親は父親(夫)の暴力が 自分の方へ向く事を

怖がって 隠れて 見て居ました。唯の一度も私を

庇って呉れた事は有りませんでした。


食事の時も 針の莚も 恐怖も 休まるひと時も

有りません。


父親は 自分の座る場所に 常に 蕎麦を打つ棒を

置いて居て 気に障ると 丸いちゃぶ台の反対側

で食事をして居る 私の脳天に 蕎麦の棒が飛んで

来ます。



鍛冶屋をして居たので 物心ついて間もない頃から

自分が仕事を始めると フイゴを吹かされ続け

子供らしく遊ぶ事も 殆ど 有りませんでした。



山の畑に 天秤棒で 肥しを運ぶのに 前後に

私と 祖母か母親で 休みながらで 担がされ

ました。(私と祖母)か(私と母親)



父親は 仕事場に居ても 外に居ても 私と母親が

言い争いして居ると 飛んで来て 大人の力で

私を 張り飛ばします。 まるで 俺の女に何を

する!と言わんばかりに 憎しみ溢れた鬼の様な

形相をして



やっと小学校に行く様に成ったら 酷い虐めに

遭いました。其の年は同じ村に(名前は町)同級

生が特に多く 学校だけで無く 帰り道でも虐め

に遭いました。



まだ一人で帰り道も良く解らない時に大勢に追

い掛けられ隠れる所を探し 帰り道から外れた

或る家の庭に逃げ込んで生い茂った庭木の陰に

ひそみ続け 気が付いたら真っ暗で寒く 帰る

方角が全く解らず どうして 帰ったのかも覚

えて居ませんが保護された様に思います。小さな

胸の隅で 家にも帰りたく無かったのだと思います



栄養不良なので小五の時に 担任から メガネを

掛けさせる様にと 通信簿の連絡欄に毎期毎に

書かれても 三年は放置されました。

栄養不良だけで無く 机を買って貰ったのが

中学2年で 其れまでは60Wの裸電球一つの

下2m近いので 非常に暗かったのです。



帰り道の虐めを助けてくれるのは 駐在所の奥

さんか 別荘の御嬢さんが通り掛かった時だけで

した。 帰り道ですと 私の家が 村の入り口

なので目の前で見た母親が 一度だって 学校に

言う事はありませんでした。 子供に愛情の無い

母親でした。学校で酷い虐めに遭って居る間だって

父親の虐待は続きました。 


憎い私に普通の食事なんて与えません。学校の

健康診断では いつも栄養不可 と言われ

子供ながらも 恥ずかしい思いをしました。


小学校卒業近く成ると 自分の家庭が欲しいと

思う様になりました。 其れだけ 親の愛情所か

恐ろしい恐怖の生家から 温かい 愛情に満ちた

自分の家庭が 夢に成りました。小さい子供の

私には 遠い 種屋に 市場に 買い物に行く

様に指示される事も良く有りました。途中から

幹線道路の国道16号を歩き渡ります。


長く成るので 飛ばしますが 中学卒業が近く成る

と あれだけ 憎しみを込めて虐待して来たのに

「今迄 育てて遣ったのだから 此れからは働いて

親の恩を返して行け!」と 毎月 「給料の半分づつ

を親に返せ!と命令しました。


教員に成りたいから まず定時制高校に行くと親に

言ったら 満面の不快感を隠さず 勘当すると言

いました。