昔から仲間外れなんてよくあることだった。
1番古い記憶は、幼稚園の頃か
幼稚園の時代も友達はいなくて、いつも1人だった。
いや、正確には1人遊んでくれる子はいたが、後にその子に嫌われてることが発覚した。
それは置いておいて。
ある時、ぽぽちゃん人形が幼稚園に来た。
それはとても人気でいつも一軍が奪い合っていた。
その日、何故か私が一番乗りで、憧れだった人形で遊ぶことができた。
しかし、それを目ざとく見つけた一軍共が、私に向かって、「一緒に遊ぼ??」と、甘い言葉を掛けてきたのだ。
私はまだ幼稚園児だったものだから、その甘い言葉に惑わされて、やったー!一緒に遊べるんだ!と、純粋に喜んだ。
今思えばそれが歪んだ心を生み出したのかもしれない。
うんいいよ!と、言った瞬間、人形だけ奪われて、私は仲間に入れてもらえなかった。
あっけなかった。一瞬だった。
世界はこんなにも無情なのかと、5歳の私は思い知った。
泣くこともできず、ただ、感情の知らないざわざわだけが心に残った。
それは、惨めさ、だろう。
そして時が経ち小学生。
グループで遊ぶことになったのだが、帰り間際にお前は来なくていいと言われた。
なんで?と聞いたら、○○ちゃんがお前と遊びたくないって言うから。と言われた。
純粋な私は何故か理解ができなくて、○○ちゃんに直接、私と遊びたくないって聞いたけど本当?と、聞いた。
今思えば私、強い。
しかし、それもつかの間、○○ちゃんは大声で泣き出して、私が悪者にされてしまった。
当然先生がやってきて、事情を話すも小学生の言葉に耳を傾ける訳もなく、先生は私を悪者にした。
そんな話は沢山ある。
足を引っ掛けられて転んだと言ってるのに誰も信じて貰えず、結局私が折れることになった。
親も出てきたが、私が悪者になった。
そんな私にも、親友と呼べる人間が小学生5年生にできた。
いつも私含めて4人で遊んでいた。
しかし、6年生の体育で、私だけ仲間外れにされて違う人がそのグループに入って行動されていた。
悲しかった。惨めだった。死にたかった。
ああ、人とはこんなものかと思った。
人の心とは、誰も考えないものなのだなと。
私は人の心を第1に考えてしまう癖があった。
こうしたら相手が悲しむだろう、こうしたら相手が辛くなるだろうと。
でも、人はそれをしない。
だから、私もしなくなった。
そしたら、もっと友達がいなくなった。
何故他の人は心を無視できるのに、私がしたら悪になるのだろう。
恐らくそれは、塩梅が0か100かの思考だからなのだろう。
普通の人は、50で物事を勧められて、ここでは心を無視してもいい。この相手には何も考えなくていい。でもこの人やこの物事は真剣に考えなくてはならない。と、塩梅がうまい。
それが、世渡り上手というものだったのだろう。
結局私は切り捨てられたのだ。
大事な人間の枠に入ってなかったのだ。
そうして、利用された人間の末路は、病院にも行けない、惨めな何か。
それでも諦めず強い心を持つことができたら、どれだけ幸せだったろうか。