去年11月の入院生活の1日 | ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元の愛知(三河地方)から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、今のベトナムは三ヶ国目で海外生活が10年以上になっています
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります

 昨年11月の人生初の救急車と入院、2週間くらいの短い入院生活の日々を振り返りましょう。

 

 

 さて、入院はありがたいことに1人部屋、トイレとシャワーもあって窓も大きくて快適でした。

 

 自分の入院生活の1日は朝6時過ぎから夜8時頃までけっこう人の出入りがありました。

 

6時

 ・ 身の回りのお世話をしてくれる人

 ・ 痛み止め薬の飲ませに看護師さん

6時30分

 ・ 回診で担当先生

 ・ 朝食を運ぶ人

8時

 ・ 朝食を片付ける人

10時

 ・ 痛み止め薬を飲ませに看護師さん

 ・ 部屋掃除をする人

11時

 ・ 昼食を運ぶ人

13時

 ・ 昼食を片付ける人

14時

 ・ 痛み止め薬を飲ませに看護師さん

16時

 ・ 身の回りをお世話してくれる人

17時

 ・ 晩ごはんを運ぶ人

18時

 ・ 痛み止め薬を飲ませに看護師さん

19時

 ・ 晩ごはんを片付ける人

20時

 ・ 22時の痛み止め薬を届ける看護婦さん

 

 ほとんどの人がドアノックせずに部屋へ入ってくるのでビックリしましたが、数日で慣れました。

 

 

 「大と小はどうしていたの?」と知人友人に聞かれることがあり、自分は尿瓶を渡されただけでした。


 意地でも尿瓶を使いたくトイレへ、ベッドに戻って痛みでナースコール、痛み止めを注射してもらって何回も迷惑をかけました。

 

 看護師さんから「今は転びやすく、転んだら腰がひどくなるから歩かないでください」と再三の注意がありましたが、どうしても尿瓶を使えませんでした。

 

 大ですが、誰からも説明はなくまさか尿瓶か?と思いましたが、便意さえもない便秘で入院中に大はありませんでした。

 

 

 入院直後は水でさえ飲めませんでしたが、数日したらゼロ系コーラを飲みたい!で会社から配達してもらいました。

 

 入院時の血液検査で糖尿病と診断されて内科(内分泌科?)の先生の問診、すぐに糖尿病治療もはじめることになりました。

 


 

 退院して2ヶ月を過ぎた今でも自宅療養を続けていて、多くの人に助けられ、支えられ、そして迷惑をかけました☆