心配するか、不安になるか | ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元の愛知(三河地方)から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、今のベトナムは三ヶ国目で海外生活が10年以上になっています
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります

不安で不安になるか、不安から心配するか、結局はそこかなぁと思います。

 

知らない、わからないは人を不安(不安定)にし、なので人は少しでも不安を減らそうと調べたり、聞いたりします。
 
学べる人は不安が心配となって落ち着き、"正しく恐れる"はそう言う意味かも知れません。
 
学べない人はパニックやヒステリックになり、電車は危ない、封鎖しろ、宣言しろ、総理は何もしない、日本は遅い、、、。
 
出れば今度は『いまさら遅い』、『効果はあるのか』とモンスターかたちの悪いチンピラです。
 
 
封鎖、封鎖って、、、島国は水際対策が事実上の封鎖、陸路で隣国から人が自由に往来できる国、他にはシンガポールや香港のような都市国家と日本は地理的にも根本的に違うはずです。
 
封鎖で不安はなくなりますか?
 
心配(症)は人の性格だと思いますが、不安症や過度の不信は一般的な社会生活が送れなくなり、職業どころか当たり前の日常も失いかねません。
 
 
我々は現実的に働くことくらいでしか自分の存在、社会参加の意義を感じられないと言われます。
 
もちろん子供の成長など、家族から自分の存在意義を感じられますが、僕にはその境遇がありません。
 
こうして今日も僕は労働者の一端におり、それにより落ち着いた自宅待機が継続できているように思います☆