先週の続きです。日本語を母語とする人にとって仮定法が難しい理由を考えています。

先週 → 「英語の「仮定法」が難しいのはなぜ?」

前回、以下の3つがその原因ではないかと提案しました。

①日本語に「条件」と「仮定」の使い分けがない。

②英語に「仮定形」がない

③現在のことなのに「過去形」

前回は、このうち①について検討しました。今日は②と③について。

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②英語に「仮定形」がない

英語の動詞は主語または時制により形が変わります。

例えば、go は主語が三単現の場合 goes になり、過去を表す場合は went になります。

もし、go に「もし~行くなら」という仮定を表す形があれば、それを見てすぐに「あ、これは仮定法だな」とわかるでしょう。

言語によっては、仮定形がある言語があるようです。例えば、以下のサイトによると、トルコ語には「仮定形・条件系」があるそうです。これなら、見ればすぐに「~ならば」という意味であることがわかりますよね。

「トルコ語講座|第26回|動詞の仮定形・条件形」

ところが英語には「仮定形」がない。昔はあったのかもしれませんが、少なくともいまはありません。

では、英語ではどうしているか。仕方なく(というのは私の印象)、既に存在する「過去形」を使っているのです。これが③です。

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③現在のことなのに「過去形」

「仮定形」がないので、代わりに、何かを使わなければなりません。そこで、英語話者が選択したのが「過去形」です。なぜ過去形を使うことになったのは、英語の歴史を見る必要がありますが、調べている時間がないので、省略します。

時々耳にする説は、仮定法で表す内容は現実と異なるので、そこに心理的な「隔たり」が存在する、そして、その距離を現在との「隔たり」を表す過去形で表現しているのではないかと、というものです。

しかし、結果として、現在のことを語っているのに過去形を使うというわかりにくい状況になってしまいました。「現在と反する内容を過去形で表すから、『仮定法過去』」って、やっぱりわかりにくいですよね。

以上で、日本語が母語である人にとって仮定法が難しい理由についての考察を終わります。時間があれば、いずれ、その学習法・指導法について考えてみたいと思います。