帰国を望む妻へ

――日本で暮らした三十三年、その先に――

今年三月一日、私たちは長年暮らした川口市の家を離れ、東京にある私の実家へ移った。

自宅を売却できたことで住宅ローンから解放され、これからは少しゆとりのある生活ができる。

私はそう考えていた。
けれど、妻の心には、私が思っていた以上に長い年月の不満が積もっていた。

以前の家は川口市の奥まった住宅地にあり、買い物には車が欠かせなかった。

 

近くには気軽に散歩できる公園もなく、小高い場所に建つ家は見晴らしこそよかったものの、坂道が多く、

歩いて出かけるには不便だった。静かな環境を好む私と、便利で人の気配がある場所を好む妻。

その違いを、私たちは十分に話し合わないまま暮らしてきたのかもしれない。家を建てたとき、

自分の希望が設計に反映されなかったという思いも、妻の中には今なお残っている。


東京の実家に移ってからは、スーパーも薬局も目の前にあり、日々の用事は徒歩で済むようになった。

以前の不便さは解消されたはずだった。

しかし、妻の不満が消えることはなかった。

今度は、私の両親との同居が新たな重荷になったのである。


三年前に建て替えた家は、完全な二世帯住宅ではない。

一階で両親が暮らし、私たちは二階を使っているが、台所と浴室は共同で、リビングも一階にある。

両親にまだ本格的な介護は必要なく、妻が担っているのは主に夕食づくりだ。

それでも、自分の家でありながら自由に振る舞えない窮屈さや、

いつも遠慮しなければならない息苦しさはあるのだろう。父が大きな音で見るテレビ、母からの何げない指摘。

私には日常の一部でも、妻には小さなストレスの積み重ねになっていた。


妻は同じ韓国出身の友人たちに相談しているらしい。

友人たちは一様に、そのような同居生活は信じられないと言うという。

その言葉に励まされる一方で、妻の不満はさらに確かなものになっていったのかもしれない。
先日、家族で早めの墓参りに出かけた。

東京では七月にお盆を迎えるため、妻も参加できるよう日程を日曜日から土曜日に変え、

松戸の霊園へ向かった。ところが、クリスチャンである妻は、線香をあげることを拒んだ。

妻にとっては信仰上、受け入れにくい行為だったのだろう。

しかし私には、先祖に手を合わせるという家族の営みそのものを拒まれたように感じられた。

信仰や文化の違いは、長く一緒に暮らせば自然に埋まるものではない。むしろ、年を重ねるほど、互いに譲れない部分がはっきりしてくることもある。


四月には、私は妻と二週間、韓国へ行った。正直に言えば、気の進む旅ではなかった。

旅費の負担も小さくはなかったが、それ以上に、妻の機嫌を損ねないために同行しているような気持ちが、

私を疲れさせた。
そして今、妻は「もう日本での生活は限界だから、韓国へ帰りたい」と言う。

私は引き止めないことにした。本当に限界なら、母国で暮らしたほうがよい。

そう思っている。ただし、寂しくなったら日本へ戻り、また不満が募れば韓国へ帰る――その繰り返しだけは、

もう終わりにしたい。帰国するなら、それを一時的な避難ではなく、自分の人生を選ぶ決断として受け止めてほしい。
 

五年前にも、妻は一人で暮らしたいと言って韓国へ渡り、二年間を過ごした。

その間、何度か日本に戻ってきたが、やがて一人でいる寂しさに耐えられなくなり、再び日本で暮らし始めた。

その後も半年ほど韓国へ戻った時期があった。行き来するたびに航空券を用意し、気持ちが揺れるたびに私は受け入れてきたつもりでいる。けれど、私自身も、もう同じことを繰り返すだけの余力を失っている。


妻には妻の苦しさがあり、私には私の疲れがある。どちらか一方だけが悪いのではないのだろう。

生活の便利さ、家族との距離、信仰、文化、そして老後をどこでどう生きるか。

長い結婚生活の中で先送りにしてきた違いが、今、一度に姿を現している。
帰りたいのなら、帰ればいい。私はそう伝えた。

その言葉には、突き放す気持ちだけでなく、もう互いを縛るのはやめようという思いもある。

長く一緒に暮らしたからこそ、別々の道を選ぶことが必要な場合もある。


私たちは今、夫婦として大きな岐路に立っている。別れることになったとしても、

共に過ごした年月まで否定するつもりはない。ただ、これから先は、互いに不満をぶつけ合うのではなく、

それぞれが自分で選んだ場所で、自分の人生を引き受けて生きていければと思う。

妻にも、そして私にも、新しい人生が穏やかに始まることを願っている。