最後の決断、未来のためにできること、実家を出ると決めた。
未来のためにできること
令和8年3月1日、長年暮らした埼玉の自宅を売り、東京の実家へ戻った。
4年前に実家を建て替えた際、住宅会社に勤めていた私は、社員割引を利用し、解体や外構も自ら手配した。
長男として、いつか家を継ぎ、両親を支えなければならない。
その責任感から3人のきょうだいの了解を得て、妻と成人した子ども二人とともに同居を始めた。
家は一階が両親、二階が私たちの生活スペースだが、台所と浴室は共用である。
家賃を払わない代わりに、私たちが食費、光熱費、固定資産税を負担し、妻が夕食を作ってきた。
しかし、二か月ほどすると関係がぎくしゃくし始めた。
料理の味への不満に加え、三食の用意から介護まで全面的に担ってほしいという両親の本音が次第に重荷になっていった。
また、日曜日に妻が礼拝に出かけると、両親は「いったい、どこに行ったのか」と何度も私に尋ね、不満を口にした。妻にはいつも家にいて、家事をし、話し相手になってほしかったのかもしれない。
決定的だったのは墓参りである。
キリスト教徒の妻が線香をあげなかったことに、仏教を大切にする両親は強いショックを受けた。
宗教や価値観の違いの間に立たされ、私の心は疲れ切った。
さらに両親から「俺らを騙したのか」とまで言われ、同居を続ける意味を見失った。
両親の近くには妹夫婦がおり、もし私が入居を拒否した場合は、妹夫婦に面倒を見てもらうつもりでいたようだ。
弟の一人は離婚し独身、もう一人は婿養子である。二人とも実家への入居を初めから拒否していた。
両親が妹夫婦との同居を考えているのであれば、長男だからすべてを背負わなければならないという役目から、もう降りてもよいのではないか。
40年も別々に暮らしてきたのだから、価値観や生活のリズムが違うのは当然である。
未来のために私ができること。それは、両親のために自分を犠牲にするのではなく、距離を置いて暮らすことだ。
この秋、私は実家を離れる。両親がまだ元気なうちに、自分の居場所と自由を取り戻し、もう一度、自分の人生を歩き始めたい。