タクシードライバーになってみた
三度の挑戦で、ようやく分かったこと

僕は時々、自分がどういう人間なのか分からなくなる。
向いていないと一度は分かった職業に、三度も挑戦したからだ。
結果は、やはり三度とも続かなかった。根性が足りなかったのか。
そう考えたこともある。だが今は、心と体が正直に答えを出していたのだと思っている。

タクシードライバーは、実に興味深い仕事だ。毎日、さまざまな人と出会う。まさに一期一会であり、ドラマや映画の題材にもなる。
人手不足の業界で、健康に問題がなければ年齢を重ねても働ける。
その点にも魅力を感じていた。

二十年前、僕は二種免許を取り、当時必要だった地理試験にも合格した。
東京の幹線道路、交差点、主要施設を覚えるのは簡単ではなかった。
それでも長い研修を終え、ようやく乗務を始めた。
ところが三回目の乗務で限界が来た。
長時間走り続けることへの疑問、一部の態度の悪い客や酔客への苦手意識。仕事なのだから割り切ればいい。
そう言われれば、そのとおりかもしれない。
しかし僕には無理だった。
せっかく二種免許を取ったのにもったいないと言われても、向いていない仕事を続ける必要はないと考え、退職した。

それから年月がたち、二種免許を持っているのだから、もう一度やってみようと思った。
定年後も長く続けられる仕事になるかもしれない。
そう考えて再び業界の門をたたいた。しかし、ちょうど新型コロナの流行でタクシー業界が大きな打撃を受けていた時期だった。
待機期間が長く、収入の見通しも立たない。
僕は研修だけを受け、乗務する前に辞退した。だが、経済的な理由だけではなかったのかもしれない。
二十年前に感じた違和感と恐怖が、心の底に残っていた。
そして今回、三度目の挑戦をした。
だが、初乗務でリタイアすることになった。
二十時間の勤務のうち、十五時間ほど車を走らせた。
しかし僕が向かったのは、客の多い駅前や都心ではない。
人の少ない住宅街や国道だった。手を上げられないよう、回送表示にして走ったことさえある。

勇気を出して東京スカイツリー周辺まで行っても、人混みを目にすると怖くなり、また回送に切り替えた。
客を探す仕事なのに、僕は客を避けていた。
同乗研修のころから、不安、緊張、動悸が治まらなかった。
家に帰っても続き、自家用車を運転するときにも起きた。
人や自転車が、いつ、どこから現れるか分からない。
その恐怖が頭から離れなかった。数年前、短い期間に二度、自転車と接触した経験がある。
それ以来、必要以上に慎重になり、無意識に人や自転車の少ない道を選ぶようになっていたのだと思う。

心療内科を受診すると、不安恐怖症(不安障害)と診断された。
診断書には、乗務を続けることは困難だと記されていた。
会社に提出すると、退職の手続きはすぐに進んだ。
もし診断書がなければ、『緊張するのは誰でも同じ』『そのうち慣れる』と言われ、もう一度乗務していたかもしれない。だが、そのときの僕は、走りたくないから走らないのではなく、走れない状態だった。
心が必死にブレーキをかけていた。

三度目の挑戦も、成功とは言えない。
けれど、事故を起こしてからでは遅い。
タクシーは人の命を預かる仕事であり、運転技術だけでなく、心の健康も欠かせない。
向いていないと分かったとき、事故を起こす前に撤退することも責任の取り方だと思う。
僕は三度も失敗したのではない。
三度目にしてようやく、自分の心が出していた警告を受け入れたのだ。
無理なものは無理でいい。仕事はほかにもある。
自分に合わない道から降りることは、逃げではない。
自分と、誰かの命を守るための選択だった。