かつての
幼かった自分が
統合されていく。
「あのころの私」が、
「今の私」に溶け込み、
そこにいるのを感じながらも、
それはもう
「あのころの私」ではなくなり、
そして
消えていく。
「個」が消えるということは、
「私」という個性が消えることではなく
「私」というまぼろしが消えていくこと。
目覚めたままで生きなさい。
「私」という個性を感じるまま、
「私」が消えた世界で、
生きなさい。
それは、
矛盾ではなく、
むすばれた世界。
すべてが結ばれて
いまここにある世界。
久しぶりに寝込んだ。
微妙に風邪気味だったのが、徐々に悪化。
いっそ、熱が出てくれれば治るのにな、と思った。
風邪薬を飲めば治る、とも思ったので、薬を買いに行った。
薬を飲んでしばらくすると、とてつもなく眠くなり、そのままベッドへ。
汗びっしょりかいて目覚め、着替えてさっぱりし、お茶を一杯飲んでまた眠った。
そんなわけで、昨日から、12時間以上眠った。
時々、目が覚めるごとに、いろいろなことがフラッシュバックしていた。
忘れていた過去の記憶。最近の記憶。
私は3回の転職経験、つまり4つの会社を経験している。
3つめの会社は研究所のようなところだった。
「ような」というのは、研究所を目指して創られた(が、実際は実現できなかった)その初期のころだった。
最高の環境に技術者を置いておけば、自主的に何かを創り出すのではないか、と考えたらしい。
役職者もいなかった。
全員がフラットな組織。というよりも、組織も無いに等しい。
まだ、インターネットも世の中には登場していない時代のことだ。
パソコンもまだまだ機能は劣り、しかも個人で買えるような値段ではなかった。
そんな時代、ネットワーク環境が既にあり、ひとり1台のワークステーション、パーティションで区切られたデスク環境があった。
仕事らしい仕事も、ほとんど無かった。
日がな一日、ネットワーク上のnewsを読んで、メールを書いて読んで、ゲームして、3時になるとお菓子を買いに行って、みんなでおしゃべりしながら食べて、またなんとなく席に戻って夕方まで何かをやり。
週に1,2回は飲みに行って。
そんな毎日だった。
本当に不思議な会社だった。
とにかく変わった人が多かった。
コンピューターおたくの男子、も多かったし、研究肌・学者肌の人も多かった。
そんなところに、なぜか全く未経験に等しい20代の女子が、その時期、私を含めて数名採用されたのだった。
いろんな話を聞いた。
いろんなことを教えてもらった。
コンピュータのことだけでなく。
たとえば、バロース(今はユニシスになってしまったのだっけ?)を創ったのは、「裸のランチ」のバロースのお父さんなんてうんちくから、BEATNIK運動の話をたっぷり聞かされたり。
そのころ、今のこんな未来が待っているとは、思いもしなかった。
ノートパソコン、いやラップトップ・コンピュータさえ、夢物語だった。
それが今では、携帯電話が当たり前になり、話しかければ、それなりに返事をする。
自然言語解析、音声認識なんて、当時はSFの世界だった。
実用に耐えられるものが出来るとは、思いもしなかった。
自分が生きているうちに、こんなに簡単に実現するとは!
でも始まりは、ひとりの人間の思い描いた夢だった。
いまはコンピュータっていうと、こんなにバカでっかいものだけど、持ち運びできる大きさのものがきっと出来る。
それに、dynabookという名前をつけよう。
それを動かすのがsmalltalkという言語なんだ。
こんな話を、当時、聞かされたものだ。
だから、東芝がダイナブックという名称を使ったときには、衝撃だった。
商標登録していなかった、権利を持っていなかったということらしい。
研究・開発力はあっても、商用化するノウハウが無い、と言われていた会社だった。
研究・開発していることさえ、一般にはほとんど知られていなかったと思う。
(私も入社するまで、知らなかった。よくわかっていなかった。)
ひとりの「ジョブズ」がいない。
そんなふうに話していたっけ。
世界を変えるには、ジョブズのようなカリスマが必要なのだろう。
でも、最初にdynabookを思い描いたアラン・ケイがいなかったら、macも生まれなかったかもしれない。
少なくとも、実現はもっと先になっていたのだろう。
始まりは、たったひとりの人間の思い描いた夢。
周囲に理解されなかろうと、バカにされようと、その夢を追い続けた人がいたから、世界は変わった。
発熱するからだの中で、20代のころのこんな記憶が蘇っていた。
「カリスマ」が必要な時代も、もう終わりなのかもしれない。
これから変わっていく世界。
特別なひとり、ではなく、誰もがみな特別なひとり。
ひとりひとりのごく普通の人たちが、それぞれに目覚め、
そして、世界は変わっていく。
そんな「夢」を、私は見よう。
そう思っている。
微妙に風邪気味だったのが、徐々に悪化。
いっそ、熱が出てくれれば治るのにな、と思った。
風邪薬を飲めば治る、とも思ったので、薬を買いに行った。
薬を飲んでしばらくすると、とてつもなく眠くなり、そのままベッドへ。
汗びっしょりかいて目覚め、着替えてさっぱりし、お茶を一杯飲んでまた眠った。
そんなわけで、昨日から、12時間以上眠った。
時々、目が覚めるごとに、いろいろなことがフラッシュバックしていた。
忘れていた過去の記憶。最近の記憶。
私は3回の転職経験、つまり4つの会社を経験している。
3つめの会社は研究所のようなところだった。
「ような」というのは、研究所を目指して創られた(が、実際は実現できなかった)その初期のころだった。
最高の環境に技術者を置いておけば、自主的に何かを創り出すのではないか、と考えたらしい。
役職者もいなかった。
全員がフラットな組織。というよりも、組織も無いに等しい。
まだ、インターネットも世の中には登場していない時代のことだ。
パソコンもまだまだ機能は劣り、しかも個人で買えるような値段ではなかった。
そんな時代、ネットワーク環境が既にあり、ひとり1台のワークステーション、パーティションで区切られたデスク環境があった。
仕事らしい仕事も、ほとんど無かった。
日がな一日、ネットワーク上のnewsを読んで、メールを書いて読んで、ゲームして、3時になるとお菓子を買いに行って、みんなでおしゃべりしながら食べて、またなんとなく席に戻って夕方まで何かをやり。
週に1,2回は飲みに行って。
そんな毎日だった。
本当に不思議な会社だった。
とにかく変わった人が多かった。
コンピューターおたくの男子、も多かったし、研究肌・学者肌の人も多かった。
そんなところに、なぜか全く未経験に等しい20代の女子が、その時期、私を含めて数名採用されたのだった。
いろんな話を聞いた。
いろんなことを教えてもらった。
コンピュータのことだけでなく。
たとえば、バロース(今はユニシスになってしまったのだっけ?)を創ったのは、「裸のランチ」のバロースのお父さんなんてうんちくから、BEATNIK運動の話をたっぷり聞かされたり。
そのころ、今のこんな未来が待っているとは、思いもしなかった。
ノートパソコン、いやラップトップ・コンピュータさえ、夢物語だった。
それが今では、携帯電話が当たり前になり、話しかければ、それなりに返事をする。
自然言語解析、音声認識なんて、当時はSFの世界だった。
実用に耐えられるものが出来るとは、思いもしなかった。
自分が生きているうちに、こんなに簡単に実現するとは!
でも始まりは、ひとりの人間の思い描いた夢だった。
いまはコンピュータっていうと、こんなにバカでっかいものだけど、持ち運びできる大きさのものがきっと出来る。
それに、dynabookという名前をつけよう。
それを動かすのがsmalltalkという言語なんだ。
こんな話を、当時、聞かされたものだ。
だから、東芝がダイナブックという名称を使ったときには、衝撃だった。
商標登録していなかった、権利を持っていなかったということらしい。
研究・開発力はあっても、商用化するノウハウが無い、と言われていた会社だった。
研究・開発していることさえ、一般にはほとんど知られていなかったと思う。
(私も入社するまで、知らなかった。よくわかっていなかった。)
ひとりの「ジョブズ」がいない。
そんなふうに話していたっけ。
世界を変えるには、ジョブズのようなカリスマが必要なのだろう。
でも、最初にdynabookを思い描いたアラン・ケイがいなかったら、macも生まれなかったかもしれない。
少なくとも、実現はもっと先になっていたのだろう。
始まりは、たったひとりの人間の思い描いた夢。
周囲に理解されなかろうと、バカにされようと、その夢を追い続けた人がいたから、世界は変わった。
発熱するからだの中で、20代のころのこんな記憶が蘇っていた。
「カリスマ」が必要な時代も、もう終わりなのかもしれない。
これから変わっていく世界。
特別なひとり、ではなく、誰もがみな特別なひとり。
ひとりひとりのごく普通の人たちが、それぞれに目覚め、
そして、世界は変わっていく。
そんな「夢」を、私は見よう。
そう思っている。
今朝、目が覚めた直後、とある出来事が頭にうかんだ。
少し落ち込むこと。
それを「解消」しようと、
立ち直ろうと試みていると、急に、
椅子に挟まって動けない男の子
のイメージが現れた。
直感で、「インナーチャイルドだ」と思った。
壁と、その前にぎっしりと並んだ椅子に挟まれて、身動きがとれなくなっている小さな男の子。
椅子、どかしてあげないと。
この椅子って、なんの象徴?
何が、動けなくしているの?
どうしたらいいんだろう?
そう問えば問うほど、椅子は頑強なものになっていく。
がっしりと大きく、1ミリたりとも動かないような椅子に。
この椅子はこういう意味か、ああいう意味か。
その感情を解放してあげなくては。
あれこれやっても、まったくムダだという感じしかしない。
なにこの椅子...
がっかりして俯瞰して見ると、
まるで万里の頂上のように、遥かかなたまで延々と椅子が並んでいく。
無限に続く椅子の並び...。
椅子、ではなく、男の子!
そんな声がした。
ああ!
そうだよー。
基本は男の子。
そっちとコンタクトでしょー!
・
僕は動けるよ。
動けなくしているのは、君のその「思考」
「思考の檻」を作っているのは、キミ。
「思考の檻」?
・
・
・
壁?
椅子じゃなくて、壁!
壁は無いね。
椅子は「問題」じゃないんだ...
壁は消え、男の子は微笑みながら立っている。
広い空間。
フレッシュでクール。
整然と並ぶ椅子。
君は椅子の前に立つ。
僕は椅子の後ろに立つ。
君が伝える番が来た。
僕は見守る。
でも、区別なんてない。
ともにやることが大事。
内なる男性性と女性性の統合。
教師の役目を受け入れなさい。
椅子に座る人を受け入れなさい。
椅子の前に立つことを、受け入れなさい。
・
さらに「女性性」を発揮するためには、内なる男性性と手を組むことが必要。
そのときが来ている。
今まで考えてきた「男性性」ではなく、本当の意味での「男性性」。
会社組織、男性性優位の社会、というイメージではない。
真の意味を理解して、もっと「男性性」も強く表現する必要がある。
片方、ではなく、両方とも。
そして、ともに強く表現していくときに、「男性性・女性性」という「線引き」が消え、ただ「在るもの」として表現される。
---
「インナーチャイルド」というと、一般的には「癒されていないこども」「傷ついたこども」を表すが、私はあまりそういうイメージが出てくることがない。
特に、男の子(もしくは男の子っぽい何かの生きもの)が出てくる時には。
とても、クールなこども、が出てくる。
内なる叡智
神聖な子供
大人の私よりはるかに落ちついていて、
「ふふん」と笑いながら、アドバイスをくれる。
ちっちゃなこども、と最初に見えたものも、
いつのまに落ちついた子供に、
少年、あるいは、青年、くらいの姿に成長している。
自分の中に最初からあるそんな「こども」。
押し込めて表現していない。
表現できなかった。
表現されなかった「神聖な子供」
それが、外に出たがっている。
・
「老賢者」と、心理学的にはいう元型?
言葉のイメージで、おじいさんをイメージするけれど。
時間が無いのなら、どうして「おじいさん」?
時の経過を表す「老人」である必要は無いね(笑)
新しい世界にいくのなら、今までの知識はじゃまになる。
あてはまらない。
今までのアーキテクト、も変わる。
え?アーキテクトって何?
あいまいな知識なので(笑)、wikiで調べた。
「アーキテクト(architect)の語源はギリシャ語のarkhitektonであり、設計思想、観念を意味する。」
こんなことも書いてあった(笑)
「映画マトリックスに出てくる、マトリックスを創造した人工知能のこと。」
あれ?
元型は、アーキタイプ?
でも、アーキタイプじゃなくて、アーキテクト、だった。
まあいいや。
また「思考の檻」にはまる(笑)。
私の中で何かが動いている。
それを共有するために、椅子の前に立ちます。
5月26日、「女性性の時代」について対談します。
少し落ち込むこと。
それを「解消」しようと、
立ち直ろうと試みていると、急に、
椅子に挟まって動けない男の子
のイメージが現れた。
直感で、「インナーチャイルドだ」と思った。
壁と、その前にぎっしりと並んだ椅子に挟まれて、身動きがとれなくなっている小さな男の子。
椅子、どかしてあげないと。
この椅子って、なんの象徴?
何が、動けなくしているの?
どうしたらいいんだろう?
そう問えば問うほど、椅子は頑強なものになっていく。
がっしりと大きく、1ミリたりとも動かないような椅子に。
この椅子はこういう意味か、ああいう意味か。
その感情を解放してあげなくては。
あれこれやっても、まったくムダだという感じしかしない。
なにこの椅子...
がっかりして俯瞰して見ると、
まるで万里の頂上のように、遥かかなたまで延々と椅子が並んでいく。
無限に続く椅子の並び...。
椅子、ではなく、男の子!
そんな声がした。
ああ!
そうだよー。
基本は男の子。
そっちとコンタクトでしょー!
・
僕は動けるよ。
動けなくしているのは、君のその「思考」
「思考の檻」を作っているのは、キミ。
「思考の檻」?
・
・
・
壁?
椅子じゃなくて、壁!
壁は無いね。
椅子は「問題」じゃないんだ...
壁は消え、男の子は微笑みながら立っている。
広い空間。
フレッシュでクール。
整然と並ぶ椅子。
君は椅子の前に立つ。
僕は椅子の後ろに立つ。
君が伝える番が来た。
僕は見守る。
でも、区別なんてない。
ともにやることが大事。
内なる男性性と女性性の統合。
教師の役目を受け入れなさい。
椅子に座る人を受け入れなさい。
椅子の前に立つことを、受け入れなさい。
・
さらに「女性性」を発揮するためには、内なる男性性と手を組むことが必要。
そのときが来ている。
今まで考えてきた「男性性」ではなく、本当の意味での「男性性」。
会社組織、男性性優位の社会、というイメージではない。
真の意味を理解して、もっと「男性性」も強く表現する必要がある。
片方、ではなく、両方とも。
そして、ともに強く表現していくときに、「男性性・女性性」という「線引き」が消え、ただ「在るもの」として表現される。
---
「インナーチャイルド」というと、一般的には「癒されていないこども」「傷ついたこども」を表すが、私はあまりそういうイメージが出てくることがない。
特に、男の子(もしくは男の子っぽい何かの生きもの)が出てくる時には。
とても、クールなこども、が出てくる。
内なる叡智
神聖な子供
大人の私よりはるかに落ちついていて、
「ふふん」と笑いながら、アドバイスをくれる。
ちっちゃなこども、と最初に見えたものも、
いつのまに落ちついた子供に、
少年、あるいは、青年、くらいの姿に成長している。
自分の中に最初からあるそんな「こども」。
押し込めて表現していない。
表現できなかった。
表現されなかった「神聖な子供」
それが、外に出たがっている。
・
「老賢者」と、心理学的にはいう元型?
言葉のイメージで、おじいさんをイメージするけれど。
時間が無いのなら、どうして「おじいさん」?
時の経過を表す「老人」である必要は無いね(笑)
新しい世界にいくのなら、今までの知識はじゃまになる。
あてはまらない。
今までのアーキテクト、も変わる。
え?アーキテクトって何?
あいまいな知識なので(笑)、wikiで調べた。
「アーキテクト(architect)の語源はギリシャ語のarkhitektonであり、設計思想、観念を意味する。」
こんなことも書いてあった(笑)
「映画マトリックスに出てくる、マトリックスを創造した人工知能のこと。」
あれ?
元型は、アーキタイプ?
でも、アーキタイプじゃなくて、アーキテクト、だった。
まあいいや。
また「思考の檻」にはまる(笑)。
私の中で何かが動いている。
それを共有するために、椅子の前に立ちます。
5月26日、「女性性の時代」について対談します。
どうしてだかわからないけれど、やらずにはおれない。
全く意図していないのに、勝手にそうなっている。
今の自分の状態。状況。
どうして今自分が、会社員を辞めて、
こうやって「セラピスト」になっているのか。
実のところ、よくわからない。
落ちついて考えてみたのだが、言葉が出てこなかった。
(短いプロフィールの文章を作成しようとして、行き詰った。
で、ちょっと逃避行動(~_~;))
大野木研究室 第3回セミナーをやることになりました。
(その紹介のために、プロフィールが必要になったというわけです。)
自分でやると決めて、
自分で企画した。
だから、「やることになった」という表現は正しくない。
でも、
なんで「やる」と決めたのか、
「やりたい」と思ったのか。
やりたいから。
それしかない。
いや、
やらずにはおれない、というより、
やるのが当然。
あらかじめ決まっていたような。
それ以外の選択肢は考えられない。
なぜ?と聞かれても答えようがない。
3回目のセミナーのゲストは、
Cierea(シエリア)―空って、何色?―
という人気ブログを書いている優希さん。
(私は、ユウさんと呼んでいますが。)
実際のところ、ユウさんとは2回会ったことがあるだけ。
でも、やる(笑)。
この人と話がしたい、と思ったから。
それを多くの人と共有したい、と思ったから。
「こんなに話が通じる経験を今までしたことがなかった。」
初めて会ったときに、そう思った。
「ツーカーで通じる」という感覚とは全く違う。
きちんと話して、考えて、受けとめて、理解する。
その過程がものすごく心地よく、確かなものだった。
わかりやすい。
むずかしくない。
難解な言葉は使わない。
深刻ぶらない。
たまにユーモラス。
でも、この世界で幸せに生きるということを、しっかりと伝えてくれる。
私ひとりでは伝えきれないこと、わかりやすく説明できないことも、ふたりが「対話」したら、もっとうまく伝えられるのではないか、と思う。
1回目・2回目のゲスト、ヒーラー高田もそうだが、
私が興味を持って、話がしたくてたまらない人。
ゲストを選ぶ基準は、それしかない。
「営業的に」「戦略として」どうのこうのなんて、全く考えられない。
自分が興味があること。
それをもっと人に伝えたい。
それだけをやっている。
最高のワガママをやっていると思う。
ゴッホは、生きている間は、全く世間に認められなかった。
1枚の絵しか、売れなかったそうだ。
どんなに天才であっても、世間には認められない。
それは、彼の心の中に、「俺を認めろ」「俺を理解しろ」という怒りがあったから。
そんな人は、絶対に成功しない。
だから、あなたも絶対に成功しないと。
そんなことを言われたことがある。
私の「セラピスト」としてのお仕事は、順調とは言えない。
「食っていける」レベルには、ほど遠い。
「仕事として」は、うまく成立させられていない。
去年、ユウさんに初めて会った時、そんな葛藤を話した。
成果も外に求めるのではなく、内に求めるものです。
自分自身がそれをやったことで得られる成果。
そういったものもあるのではないでしょうか。
成果も外に求めると苦しくなります。
こんなふうに答えてくれた。
この世界には、生活保護っていう素敵な制度だってあります。
僕はそれを使うことになったとしても、いいと思います。
こういう考え方を広めていくことが、僕の使命だから。
ごく普通にこんなことまで言ってました(笑)。全く気負わずに。
どんだけハラが据わってるんだーと、我が身の小ささを思い知りました...
「成功」を、社会的成功、世間に認められること、だととらえていたら、苦しいだろう。
どんなに「成功」しても、安心していられないだろう。
「成功」が逃げていく不安の中に生きている。
そんな「成功」を最大の目的・目標にしているのならば、それは終わりのないレースに参加しているようなもので、心のやすらぎを得られることはない。
成果を外に求める限り、つかのまのやすらぎしか手に入らない。
他人の、社会の、世間の評価。
そんな基準のレースからは、私は降りたかった。
だから、会社員にピリオドを打ったのだ。
レースに参加してみることも、やってきた。
そこで学ぶべきことは学んだ。
これからは、そういう価値観ではない世界に生きたい。
たとえそれが、今はまだ少数派であったとしても。
そういうレースに疲れている人に、
そこからもう降りてもいいんだよ
と伝えたい。
違う価値観もあるよ、と。
それを甘えとか、弱さだとか。
そんなふうに今までずっと刷り込まれてきたのだと思う。
しばらく前に、同じゴッホのことをこんなふうに表現しているブログに出会った。
彼ほど自分の魂に忠実に生きて最大限まで可能性を開花させた画家はいないと思うが、
生きている間は社会にまったく認められなかった。
でも、本人はそれをまったく気にかけず、ひたすら絵を描くことに没頭し、
すべての情熱をその作品に注ぎ込んだ。
彼は絵を描くという行為そのものを本当に愛していたのだ。
僕の魂は彼のような生き方に共鳴する。
成功しようとしまいと、社会に評価されようとされまいと、
そんなことがどうでもよくなるほど自分の“魂の衝動”に忠実に生きること。
そして〈全体〉が自分に望んでいることをして、
潜在的な可能性を可能なかぎり開花させること。
それが僕の“本来の自分”が昔から渇望していることだ。
三森真人さんのブログ「反骨のスピリット」の“本来の自分”の渇望 という記事。
私はこちらの記事からのリンクをたどりました。 ⇒ お金はついてくるか?
ゴッホのことを、
怒りを抱え、生きている間は成功出来なかった可哀そうな人、と見るのか。
絵を描くという自分が愛する行為に没頭し、魂を表現しきった幸せな人、と見るのか。
解釈次第なのだ、結局のところ。
真実なんてない。
自分がどういうふうに世界を見たいのか。
それだけだ。
私も、「魂の衝動」に忠実に生きたい。
本来の自分を生きて生き切りたい。
「社会的成功」が、私を幸せにしてくれるわけではない。
私が魂の望むままに生きることが、本当の幸せであり、豊かな生き方なのだ。
そして、私が幸せに生きることが、この世界への何よりの貢献。
そういう価値観を、考え方を伝えてきたい。
だから、セミナーやります。
こっちのブログを読んでくれているあなたなら(笑)、
きっと響くものがあると思います!
全く意図していないのに、勝手にそうなっている。
今の自分の状態。状況。
どうして今自分が、会社員を辞めて、
こうやって「セラピスト」になっているのか。
実のところ、よくわからない。
落ちついて考えてみたのだが、言葉が出てこなかった。
(短いプロフィールの文章を作成しようとして、行き詰った。
で、ちょっと逃避行動(~_~;))
大野木研究室 第3回セミナーをやることになりました。
(その紹介のために、プロフィールが必要になったというわけです。)
自分でやると決めて、
自分で企画した。
だから、「やることになった」という表現は正しくない。
でも、
なんで「やる」と決めたのか、
「やりたい」と思ったのか。
やりたいから。
それしかない。
いや、
やらずにはおれない、というより、
やるのが当然。
あらかじめ決まっていたような。
それ以外の選択肢は考えられない。
なぜ?と聞かれても答えようがない。
3回目のセミナーのゲストは、
Cierea(シエリア)―空って、何色?―
という人気ブログを書いている優希さん。
(私は、ユウさんと呼んでいますが。)
実際のところ、ユウさんとは2回会ったことがあるだけ。
でも、やる(笑)。
この人と話がしたい、と思ったから。
それを多くの人と共有したい、と思ったから。
「こんなに話が通じる経験を今までしたことがなかった。」
初めて会ったときに、そう思った。
「ツーカーで通じる」という感覚とは全く違う。
きちんと話して、考えて、受けとめて、理解する。
その過程がものすごく心地よく、確かなものだった。
わかりやすい。
むずかしくない。
難解な言葉は使わない。
深刻ぶらない。
たまにユーモラス。
でも、この世界で幸せに生きるということを、しっかりと伝えてくれる。
私ひとりでは伝えきれないこと、わかりやすく説明できないことも、ふたりが「対話」したら、もっとうまく伝えられるのではないか、と思う。
1回目・2回目のゲスト、ヒーラー高田もそうだが、
私が興味を持って、話がしたくてたまらない人。
ゲストを選ぶ基準は、それしかない。
「営業的に」「戦略として」どうのこうのなんて、全く考えられない。
自分が興味があること。
それをもっと人に伝えたい。
それだけをやっている。
最高のワガママをやっていると思う。
ゴッホは、生きている間は、全く世間に認められなかった。
1枚の絵しか、売れなかったそうだ。
どんなに天才であっても、世間には認められない。
それは、彼の心の中に、「俺を認めろ」「俺を理解しろ」という怒りがあったから。
そんな人は、絶対に成功しない。
だから、あなたも絶対に成功しないと。
そんなことを言われたことがある。
私の「セラピスト」としてのお仕事は、順調とは言えない。
「食っていける」レベルには、ほど遠い。
「仕事として」は、うまく成立させられていない。
去年、ユウさんに初めて会った時、そんな葛藤を話した。
成果も外に求めるのではなく、内に求めるものです。
自分自身がそれをやったことで得られる成果。
そういったものもあるのではないでしょうか。
成果も外に求めると苦しくなります。
こんなふうに答えてくれた。
この世界には、生活保護っていう素敵な制度だってあります。
僕はそれを使うことになったとしても、いいと思います。
こういう考え方を広めていくことが、僕の使命だから。
ごく普通にこんなことまで言ってました(笑)。全く気負わずに。
どんだけハラが据わってるんだーと、我が身の小ささを思い知りました...
「成功」を、社会的成功、世間に認められること、だととらえていたら、苦しいだろう。
どんなに「成功」しても、安心していられないだろう。
「成功」が逃げていく不安の中に生きている。
そんな「成功」を最大の目的・目標にしているのならば、それは終わりのないレースに参加しているようなもので、心のやすらぎを得られることはない。
成果を外に求める限り、つかのまのやすらぎしか手に入らない。
他人の、社会の、世間の評価。
そんな基準のレースからは、私は降りたかった。
だから、会社員にピリオドを打ったのだ。
レースに参加してみることも、やってきた。
そこで学ぶべきことは学んだ。
これからは、そういう価値観ではない世界に生きたい。
たとえそれが、今はまだ少数派であったとしても。
そういうレースに疲れている人に、
そこからもう降りてもいいんだよ
と伝えたい。
違う価値観もあるよ、と。
それを甘えとか、弱さだとか。
そんなふうに今までずっと刷り込まれてきたのだと思う。
しばらく前に、同じゴッホのことをこんなふうに表現しているブログに出会った。
彼ほど自分の魂に忠実に生きて最大限まで可能性を開花させた画家はいないと思うが、
生きている間は社会にまったく認められなかった。
でも、本人はそれをまったく気にかけず、ひたすら絵を描くことに没頭し、
すべての情熱をその作品に注ぎ込んだ。
彼は絵を描くという行為そのものを本当に愛していたのだ。
僕の魂は彼のような生き方に共鳴する。
成功しようとしまいと、社会に評価されようとされまいと、
そんなことがどうでもよくなるほど自分の“魂の衝動”に忠実に生きること。
そして〈全体〉が自分に望んでいることをして、
潜在的な可能性を可能なかぎり開花させること。
それが僕の“本来の自分”が昔から渇望していることだ。
三森真人さんのブログ「反骨のスピリット」の“本来の自分”の渇望 という記事。
私はこちらの記事からのリンクをたどりました。 ⇒ お金はついてくるか?
ゴッホのことを、
怒りを抱え、生きている間は成功出来なかった可哀そうな人、と見るのか。
絵を描くという自分が愛する行為に没頭し、魂を表現しきった幸せな人、と見るのか。
解釈次第なのだ、結局のところ。
真実なんてない。
自分がどういうふうに世界を見たいのか。
それだけだ。
私も、「魂の衝動」に忠実に生きたい。
本来の自分を生きて生き切りたい。
「社会的成功」が、私を幸せにしてくれるわけではない。
私が魂の望むままに生きることが、本当の幸せであり、豊かな生き方なのだ。
そして、私が幸せに生きることが、この世界への何よりの貢献。
そういう価値観を、考え方を伝えてきたい。
だから、セミナーやります。
こっちのブログを読んでくれているあなたなら(笑)、
きっと響くものがあると思います!
大野木研究室『生きる知恵』第3回セミナー
「あえていま語るアセンション」
日時:5月26日(日)13時30分~16時
場所:東京都千代田区神田神保町
料金:早割料金 4,500円(5月5日(日)のお申込みまで)
正規料金 5,000円
詳細はこちら。
お申込みはこちらのフォームからどうぞ。
当たり前のことだが、自分の中には、どろどろした思いやブラックな感情・思考はごまんとある。
当たり前のことだが、いまだにそういうものにあたふたとする。
なに、やってるんだろな、自分、と思う。
今朝も、そんなものが出てきて、
あ”-----
と思っていた。
そんなもの、なんて言ってごまかすのはやめよう(笑)。
嫉妬心
それにともなう焦り。
なんであいつはうまくいって、自分はうまくいかないんだー!
という、怒り。
あーあ(-_-メ)
(こんなワタシです、実際。)
ただ、今日は、なんだかふと違和感を感じた。
(「違和感」といつも表現するけれど、それ以外にうまい言葉がみつからない。でもいつも、この「違和感」が重要。)
おそらくいつもよりほんのちょっとだけ、その感情の中にとどまってみた。
(このあたりも、ほぼ自動・かなり無意識の領域で行っている。やろうと明確に意識してやっているわけではない。後から思うとこうだったんだ、という感じ。)
その感情をながめると、人の形をした影のようなものが、頭を抱えて「うぉー」と叫び、地面に四つん這いになり、地面をがんがん叩いている。
それをまた「へぇ~」としばらくながめていたら、急に、頭に浮かんだ。
「これ、ワタシじゃない。」
え?
「おとうさん」
え、え”~~~~???
これ、私の感情じゃない。
おとうさんの感情。
なんだこれ?と思った。
そうやって、ごまかしているのかな、とも思った。
本当は自分の感情なのに、父のせいにしてごまかしているのかな、と。
でも、それは考えたってわからない。
そもそも、どこまでが私でどこからが父だっていう区別だって無いのだから。
この感情を父が持っていってくれる、ということなのかもしれない。
考えたってわからない、正解なんてない。
ならば、ありがたくそういうことだと受け取っておこう。
「私のものじゃない」、という言葉が頭に浮かんだ時、
「え?」と思うのと同時に、「そうだね」という確信もあった。
からだが、力が抜けて、ものすごくほっとした。
とてもおだやかな状態になった。
もう少し、それを感じていると、子供のころの父との会話の場面が浮かんだ。
子供のころ、教室で先生が何かの質問をしたそうだ。
想定された「正解」がある質問。
わかるかな?という言葉に反応するのも、これまたシナリオにかかれているかのような優等生。
「はい!」と手を挙げ、先生も(わかっているのに、彼が手をあげるのを期待して待っていたのに)「お!○○」と指し、優等生は「正解」を答え、先生が「素晴らしい」と褒める。
その一連の流れが、子供ながらに透けてみえて、ものすごくいやだったと。
父がどんな言葉を使ったのか覚えていないのだが、ざっくり言えば
「こいつら、くだらねぇ。」
茶番だ。
バカバカしくて、低俗で、なんだこいつら?!
と思ったと。
それ以来、「先生」というのは父の中で蔑称になったらしい。
よく、
「先生と呼ばれるほどのバカでなし」って言うだろ?
と言っていた。
落語なのか、川柳なのか知らないけれど。
「先生」と呼ばれてふんぞりかえっているヤツほど、バカなヤツはいない。
蔭では、笑いながらバカにして「先生」って言ってるんだぞ、と。
子供のころ、おそらく小学生の低学年のころから、「先生と呼ばれるほどのバカでなし」を繰り返し聞かされて育った私は、当然、「先生」と呼ばれることが大嫌いだ。
父と同じように、「よしてくれよー」と思う。
先生と呼ばれている人、呼ばせている人をみると、なんだかなーと思う。
学校を卒業して以来、私も誰かを「先生」と呼んだことはない。
すっかり記憶の奥底にあったこの場面が浮かんできて、そして思った。
私はそれはやらない。やってない。大丈夫。
「想定された正解」に導くようなことが、一番嫌いだし、一番やってはいけないことだと思っている。
どんな言葉が出てきても、それに沿える自分でいたい。
だから、「対話セッション」という形を、ネーミングを選んだ。
セミナーも対話形式でやることを選んで、台本もかかない。事前の打ち合わせもしない。
自分の想定通りに行かないことを、むしろ楽しむようにしている。
想定と全く違う方向に行っても、あきらめる(笑)。
もしも自分がこの先、先生のような立場になるとして、同じような場面に遭遇したら自分はどうするか?
想定と全く違う答えが出てきたら、そのことをその場で考えていくだろう。
自分の考えていた用意していた「答え」を、誰かに言わせるようなことはしない。
よくそういう講師を見かける。
自分の用意している「答え」が出てくるまで、生徒を指し続ける人。
「そういう考えもありますが、他に何かありませんか?」と誘導する。
なんで、自分で言わないんだろ?
そういうハウツーがあるのかもしれない。
時間内にカリキュラムをおさめるために必要なことなのかもしれない。
でも、自分で言えばいいだろ?と私は思う。
私は少なくともそれはやらない。
「私はこう思ったんだけど、どうでしょう?」と聞くだろう。
私のこたえも、他の人のこたえも同列に扱いたい。
なんだ私は、自慢しているのか?みたいな文章になっちゃったけど(笑)。
とにかく、こんなことを考えたのだ。
で、
「大丈夫」
と思った。
そしたら、最初にトリガーとなった出来事も、普通にながめられた。
「へー、良かったね。おめでとう。」と思えた。
(キレイ事みたいだけど、ほんとに)
その他にも父とのいろんな場面が浮かび、いろんなことを感じた。
果たせなかったさまざまな父の想い...。
長くなるから割愛するけど。
私が父の感情を替わりに負っていたのかどうかなんて、わからない。
どんな形であれ、感じて、終わっていけば、それいいと思う。
私も、父も、区別は無い。
ただ理解するためのストーリーでしかない。
私は大丈夫。
もうすぐ、父の誕生日と命日だ。
当たり前のことだが、いまだにそういうものにあたふたとする。
なに、やってるんだろな、自分、と思う。
今朝も、そんなものが出てきて、
あ”-----
と思っていた。
そんなもの、なんて言ってごまかすのはやめよう(笑)。
嫉妬心
それにともなう焦り。
なんであいつはうまくいって、自分はうまくいかないんだー!
という、怒り。
あーあ(-_-メ)
(こんなワタシです、実際。)
ただ、今日は、なんだかふと違和感を感じた。
(「違和感」といつも表現するけれど、それ以外にうまい言葉がみつからない。でもいつも、この「違和感」が重要。)
おそらくいつもよりほんのちょっとだけ、その感情の中にとどまってみた。
(このあたりも、ほぼ自動・かなり無意識の領域で行っている。やろうと明確に意識してやっているわけではない。後から思うとこうだったんだ、という感じ。)
その感情をながめると、人の形をした影のようなものが、頭を抱えて「うぉー」と叫び、地面に四つん這いになり、地面をがんがん叩いている。
それをまた「へぇ~」としばらくながめていたら、急に、頭に浮かんだ。
「これ、ワタシじゃない。」
え?
「おとうさん」
え、え”~~~~???
これ、私の感情じゃない。
おとうさんの感情。
なんだこれ?と思った。
そうやって、ごまかしているのかな、とも思った。
本当は自分の感情なのに、父のせいにしてごまかしているのかな、と。
でも、それは考えたってわからない。
そもそも、どこまでが私でどこからが父だっていう区別だって無いのだから。
この感情を父が持っていってくれる、ということなのかもしれない。
考えたってわからない、正解なんてない。
ならば、ありがたくそういうことだと受け取っておこう。
「私のものじゃない」、という言葉が頭に浮かんだ時、
「え?」と思うのと同時に、「そうだね」という確信もあった。
からだが、力が抜けて、ものすごくほっとした。
とてもおだやかな状態になった。
もう少し、それを感じていると、子供のころの父との会話の場面が浮かんだ。
子供のころ、教室で先生が何かの質問をしたそうだ。
想定された「正解」がある質問。
わかるかな?という言葉に反応するのも、これまたシナリオにかかれているかのような優等生。
「はい!」と手を挙げ、先生も(わかっているのに、彼が手をあげるのを期待して待っていたのに)「お!○○」と指し、優等生は「正解」を答え、先生が「素晴らしい」と褒める。
その一連の流れが、子供ながらに透けてみえて、ものすごくいやだったと。
父がどんな言葉を使ったのか覚えていないのだが、ざっくり言えば
「こいつら、くだらねぇ。」
茶番だ。
バカバカしくて、低俗で、なんだこいつら?!
と思ったと。
それ以来、「先生」というのは父の中で蔑称になったらしい。
よく、
「先生と呼ばれるほどのバカでなし」って言うだろ?
と言っていた。
落語なのか、川柳なのか知らないけれど。
「先生」と呼ばれてふんぞりかえっているヤツほど、バカなヤツはいない。
蔭では、笑いながらバカにして「先生」って言ってるんだぞ、と。
子供のころ、おそらく小学生の低学年のころから、「先生と呼ばれるほどのバカでなし」を繰り返し聞かされて育った私は、当然、「先生」と呼ばれることが大嫌いだ。
父と同じように、「よしてくれよー」と思う。
先生と呼ばれている人、呼ばせている人をみると、なんだかなーと思う。
学校を卒業して以来、私も誰かを「先生」と呼んだことはない。
すっかり記憶の奥底にあったこの場面が浮かんできて、そして思った。
私はそれはやらない。やってない。大丈夫。
「想定された正解」に導くようなことが、一番嫌いだし、一番やってはいけないことだと思っている。
どんな言葉が出てきても、それに沿える自分でいたい。
だから、「対話セッション」という形を、ネーミングを選んだ。
セミナーも対話形式でやることを選んで、台本もかかない。事前の打ち合わせもしない。
自分の想定通りに行かないことを、むしろ楽しむようにしている。
想定と全く違う方向に行っても、あきらめる(笑)。
もしも自分がこの先、先生のような立場になるとして、同じような場面に遭遇したら自分はどうするか?
想定と全く違う答えが出てきたら、そのことをその場で考えていくだろう。
自分の考えていた用意していた「答え」を、誰かに言わせるようなことはしない。
よくそういう講師を見かける。
自分の用意している「答え」が出てくるまで、生徒を指し続ける人。
「そういう考えもありますが、他に何かありませんか?」と誘導する。
なんで、自分で言わないんだろ?
そういうハウツーがあるのかもしれない。
時間内にカリキュラムをおさめるために必要なことなのかもしれない。
でも、自分で言えばいいだろ?と私は思う。
私は少なくともそれはやらない。
「私はこう思ったんだけど、どうでしょう?」と聞くだろう。
私のこたえも、他の人のこたえも同列に扱いたい。
なんだ私は、自慢しているのか?みたいな文章になっちゃったけど(笑)。
とにかく、こんなことを考えたのだ。
で、
「大丈夫」
と思った。
そしたら、最初にトリガーとなった出来事も、普通にながめられた。
「へー、良かったね。おめでとう。」と思えた。
(キレイ事みたいだけど、ほんとに)
その他にも父とのいろんな場面が浮かび、いろんなことを感じた。
果たせなかったさまざまな父の想い...。
長くなるから割愛するけど。
私が父の感情を替わりに負っていたのかどうかなんて、わからない。
どんな形であれ、感じて、終わっていけば、それいいと思う。
私も、父も、区別は無い。
ただ理解するためのストーリーでしかない。
私は大丈夫。
もうすぐ、父の誕生日と命日だ。