自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -9ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。


癒しやスピリチュアルと、悟り・目覚めは、違うカテゴリーらしいということを知ったのは、この1年くらいのこと。

なんだかうまく話が噛み合わないと思ってはいたけれど、「カテゴリーが違う」ということに気がついたら、なんとなく腑に落ちた。

なんとなく。

ホントのところは納得していない。

なんで地続きじゃないんだろうか。
究極向かうところは一緒じゃないのだろうか。

とは、思っている。




癒しを求める人も。
悟りを求める人も。

結局どちらも、今ある悩み・苦しみから逃れるための「方法」として、癒しだったり悟りだったりを求めている。
言葉を変えただけで、やっていることは実は変わっていない。

悩みや苦しみを無くすため、
あるいは、そこから目をそむけるための方便として、
それを求めている。

そして、

難しい言葉を使ったり、
奇跡的な出来事を起こそうとしたり、

わざわざ、むずかしくしている。





癒されたいとも、悟りたいとも思ったことが無かった。

じゃあ、私は何を望んでいたのだろうか。


生きること。


私は、生きたかっただけ。

ただ、生きることを望んだ。

いつもいつも。
そして、今も。


理屈など、どうでもいい。

癒されるとか、悟りをひらくなど、どうでもよくて、

自分のいのちを生き切りたい。


生きる、ということを感じ切りたい。
生きる、を本気でやり切りたい。




生きるの先に
癒しも悟りもある。

私はそう思う。



どうして、

人間でない特別なもの

になろうとするのだろうか。



生老病死。


人間らしく
四苦八苦して生きた先に

癒しも悟りもあるのに。


いや、

四苦八苦生きることに
そこに歓びを見ることが、
悟り...。




生きなければ。

ここに生まれたからには、

「個」としての生を、生きなければ。


何も知ることは出来ない。





輪廻転生や、生まれ変わりがあるという仮定において。



この肉体を去ったあと

何度でも生まれ変わりたいと

かつては思っていた。




今。


また新たに生まれ直せと言われれば、

笑ってもう一度生まれ直そう。



もう次へ行けと言われれば、

では、と次へ行こう。



どちらでも、

よろこんで。




もしも、

どちらかを選べと言われたら。



選べと言われたら。




次へ、

行きます。











すべての「カタチ」を捨てなさい。

すべての「カタチ」から、自由になりなさい。


あなたの「師」は、どこにもいない。



誰かを頼るのも

誰かに聞くのも

あなたを「カタチ」に押し込めるだけ。

既存の「カタチ」に。



目の前の人を鏡として使いなさい。

あなたを映す鏡

もうひとりのあなた


もうひとりのあなたに、語らせなさい。

あなた以外の「誰か」、ではなく、

あなたに。



それ以外にいない。


あなたを、「誰か」に明け渡してはいけない。



あなたの「それ」は、傲慢ではない。

あなたの「それ」は、わたしでもある。


あなたはあなたのままで「ある」ことが

わたしに「なる」。




今までの「カタチ」


それは、もうあなたには合わない。



あなたの「師」は、誰もいない。



すべての人を救うことは出来ないのですか?



「救う」という概念が、間違っている。

救うとは、救いの手を差し伸べることではない。

あなたの宗教に改宗させることではない。

あなたの門下に下らせることではない。




拒絶することでもない

扉を閉ざすことでもない


遠ざける必要も

近づける必要も無い。



ただ、愛で見るだけだ。

愛であるだけ。


それ以上でも、それ以下でもない。


ただ「愛としてみる」ことが、

「全ての人を救う」ことの意味である。




あなたは、ただそこにいなさい。




全ての人は

あなたは

救われている。






素晴らしい才能

(歌やダンス、あるいは、絵など)

に触れると


ああ、この人は

こんなにも

神さまに愛されているのだ


と、羨ましくながめていた。



そうじゃない。



この人は

こんなにも

神さまを愛しているのだ。


世界を、

なにもかもを、

愛しているのだ。



それこそが、

才能。



どんなときでも

肯定し続ける力。


それが、

才能なんだろう。