癒しやスピリチュアルと、悟り・目覚めは、違うカテゴリーらしいということを知ったのは、この1年くらいのこと。
なんだかうまく話が噛み合わないと思ってはいたけれど、「カテゴリーが違う」ということに気がついたら、なんとなく腑に落ちた。
なんとなく。
ホントのところは納得していない。
なんで地続きじゃないんだろうか。
究極向かうところは一緒じゃないのだろうか。
とは、思っている。
癒しを求める人も。
悟りを求める人も。
結局どちらも、今ある悩み・苦しみから逃れるための「方法」として、癒しだったり悟りだったりを求めている。
言葉を変えただけで、やっていることは実は変わっていない。
悩みや苦しみを無くすため、
あるいは、そこから目をそむけるための方便として、
それを求めている。
そして、
難しい言葉を使ったり、
奇跡的な出来事を起こそうとしたり、
わざわざ、むずかしくしている。
癒されたいとも、悟りたいとも思ったことが無かった。
じゃあ、私は何を望んでいたのだろうか。
生きること。
私は、生きたかっただけ。
ただ、生きることを望んだ。
いつもいつも。
そして、今も。
理屈など、どうでもいい。
癒されるとか、悟りをひらくなど、どうでもよくて、
自分のいのちを生き切りたい。
生きる、ということを感じ切りたい。
生きる、を本気でやり切りたい。
生きるの先に
癒しも悟りもある。
私はそう思う。
どうして、
人間でない特別なもの
になろうとするのだろうか。
生老病死。
人間らしく
四苦八苦して生きた先に
癒しも悟りもあるのに。
いや、
四苦八苦生きることに
そこに歓びを見ることが、
悟り...。
生きなければ。
ここに生まれたからには、
「個」としての生を、生きなければ。
何も知ることは出来ない。