ACIM(A Course in Miracles - 奇跡のコース)では、からだにはなんの力もない、という。
そもそもこの世界は非実在。
この肉体だって、全部、幻。
なんとなくのイメージをしてみることは出来るけれど、どうもいまひとつよくわかっていない。
というか、「そうだよね。」とすらっと言えるところまでの理解にはなっていない。
本当に理解したときって、「そうなんだよねぇぇぇぇ!!!」というような興奮よりも、「だって、そうだよね。なんでって言われても困るけど、そうだからそうなんだよ。」というような感じになるような気が、最近している。
理解した、というより、理解が終わった、とでもいうような感じか?
そういう意味でいくと、「からだは無力」ということに関して、「うん、そうだよね~。」と落ち着いて言えるところまでは納得していない。
肉体を通して感じることが確かにあるし、肉体があるからこそわかることがある、と私は強く信じている。
自分のからだの中にしっかりと居続ける、そうなりたいと思っている。
体の声を聴く、というように、体が教えてくれるメッセージというものも確かにあると思うし、それに対して敏感でいたい。
だから、ACIMが「からだは無力」ということにいまひとつ納得できないし、よくわからない。
ただ、最近なんとなく思うこと。
体そのものに力がある、ということではなくて、体を動かす心、意思、さらにはそのおおもとの魂、源こそに力がある、ということなんだろうか。
だから、肉体は幻、っていうんじゃないか。
この細胞ひとつひとつに力があるのではなく、そこに宿る心に力がある。
その心こそが、この細胞ひとつひとつを、つまりはこの幻、この非実在の世界を創り出しているということ?
だから、からだは無力であり、力があるのは心、だと言うのかな?
この肉体は器に過ぎない。
ただし、器だからどうだっていい、あるいは粗末に扱っていい、という思考とはまったくレベルの違う話をしているんだって気がする。
心の力が創り出した(幻である)肉体。
だからこそ心の力で変えることもできるし、それならばより良い状態でいることを心がけたい。
(まさに、「心がける」だ。)
「(体を)大事にする」ということは、結局、体だけのことを言っているのではなく、そもそもの心を、自分の本質を大事にする、ということと同じ意味なんだろう。
体の力、心の力、と対立するように思いがちだが、その本質は結局すべて同じということではないかと思う。
ただ、体だけ、体そのもの、に力があると思うことは誤り。
力があるのは、心の方だっていうことを忘れるな、勘違いするなってことかな、と思う。