お試しリトリートから帰還しました。
当たり前だけど、暑い...。
会社員生活にピリオドを打つことに決めて、さて、と気持ちを切り替えてみたときに、
私は、人として欠けているところがあるんじゃないか、ということを強く感じた。
都会での一人暮らしは自由で気ままだ。
寝る時間もご飯を食べる時間もお風呂に入るのもトイレに入るのも、全部、自分の好きな時に好きなように出来る。
人に合わせる・譲る必要が無く、我慢をすることがまったくない。
さらに会社でも、実作業においては人から指図されることは無い。
自分が指示する立場で、それは当然あらゆる責任を負うことになるが、逆に言えば、自分の責任で何もかも自由に出来るということ。
怒られることも無い。
そんな暮らしをずっと長いことやってきて、いつのまにか自分は「お山の大将」で感覚が鈍くなっているんじゃないか、と感じた。
からだが反射的に動かない、ということもうっすらと感じていた。
体力的な問題ではなくて、たとえば、電車でお年寄りをみたらさっと席を譲れるかとか、困っている人に自然と声をかけられるかとか、ごみが落ちていたらさっと拾えるかというような...。
恐らくそういうことは習慣なんじゃないかと思うのだ。
出来る人、やっている人は、反射的にからだが動くのだと思う。
自分はずっと都会で無関心に生きてきて、からだが動かない。
視野に入ってこない。
多分、無意識的に視界の外に押しやっている。
はっと気がついても、頭であれこれ考えてからでないと、からだが動かない。
そうこうしているうちに、タイミングをのがして通り過ぎてしまう。
これから第2の人生に踏み出すのに、これってどうなんだろうか、と思った。
長い間に染み付いたこの習慣を、会社員生活の垢、みたいなものを落としたい。
それで、都会を離れて雑音・情報の少ないところ、自然の中、山の中に行って過ごしたいと考えた。
ごくあたりまえに掃除やら皿洗いやらそんなふうにからだを動かして働いて暮らして、そんなことをやっていく中できっとこれからどうしようかのアイデアも湧いてくるんじゃないか、とも思った。
そう考えて、お試しリトリートに行ってきた。
で、わかった。
甘い。
自分は甘いし、浅い。
ってことが、わかった。
長い会社員生活で私は疲れてしまいました。
忙しい都会を離れて、自然の中でゆっくりと自分を癒し見つめます。
そんな美しいストーリーが自分の中にあったんだ。
なんという短絡的な思考!
それは幻だ。
どこにいようと、私は私だし、都会で癒されないものは自然の中でも癒されない。
いや、自然の中で癒されるものは、都会でもどこにいたって癒される。
いやいや、「癒されなければいけない自分」ということが、そもそもの間違いだ。
「まだ癒されていない自分」「癒されなければいけない自分」
そういったものは、もうまったく私にとってはどうでもいいことだ、って気がついた。
さらに、私はもう迷ってなんかいない。
この先の生き方について、なんの迷いも本当は無い。
それを実現させるツールについてはまったくの白紙で、それが私を不安にさせているだけ。
根本のところ、自分はどんなふうに生きていきたいか、何をこの世界に表現していきたいのかというところに、なんの迷いもブレも無い。
「傷ついて疲れて迷っている私」のふりをしていたかっただけ。
次へと動き出すことを先延ばしにする口実を探していただけ。
そう気がついたから、もうリトリートはやめた。
そこにいる理由が無い。
それでも、からだを使って働くこと、指図されて動く、常に誰かの指示待ち、というのは新鮮だった。
大学生の夏休みに、バイトで山中湖で住み込みで働いたことを思い出した。
あれからもうずいぶんと遠いところにきたものだなぁ。
私は今の私が好きだ。
それに、あのころの自分もかわいくて(笑)、本当に頑張ってけなげだと思う。
よく頑張ってるね、って誉めてあげたい。
おかげで今の私がいる!