いろいろと その2 | 自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

前のエントリーで「いろいろと」と書き始めたときには、いろいろと書きたいことがあったけれど、書いてみたら、「いろいろ」じゃなかった。
こぼれおちた「いろいろ」をメモ、思いつくままに書いてみる。


癒されていない自分、は、癒さなければいけない、癒されるべき、自分なんだろうか。
トラウマなんて掘れば掘っただけ出てくるじゃん!と思う。
もうそういうのはいいな、とも思う。
傷や痛みにスポットをあてて、わざわざ掘り起こして再体験して。
それが必要な時期もあるのかもしれない。
でも、きりが無い、とも思う。
いつまでも、傷ついている私、でいたくはない。
もう、私は光の方だけを見ていきたい。
傷や痛みのその先へと目を向けていきたい。
そこから先、どうしたいのか。どんな自分を見るのか。
どんなふうに世界を見たいと思うのか。
そっちの方にエネルギーを向けたい。
その過程で出てくる傷は、自然に癒されていくんじゃないかと思う。


自分探しの旅が、いつしかトラウマ探しの旅になっていやしないか?
そもそも、自分なんか探したってしょうがない。
だって、自分は常にここにいる。
本当の自分は探すものでは無くて、気がつくもの。
本当の自分に還るだけ。


苦しみや痛みを乗り越えないと、幸せになれない、というのは思い込みだ。
簡単にラクに幸せになってはいけない、というような思い込みがきっとどこかにあった。
「浄化」は苦しいものだけなんだろうか。
美しく流れていくような「浄化」も、今はイメージできる。
苦しむ必要はもう無い、と思う。


傷や痛みは、あってはならないもの、という思い込みもある。
「まだまだあなたには癒しが必要ですね。」
「まだあなたには癒すべき部分がありますね。」
という言葉はある意味、呪いをかけているようなものではないか?
完全な私を、不完全な私に固定させようとする呪い(笑)。
傷があっても痛みがあっても、私は、そしてもちろん誰も彼も完全で美しいのだ。
私はそれを選択しよう。
だからこそ、いとおしくて美しい。
それも含めて完全に美しい。


「強さ」とはただの力の大きさ、では無い。
何かを押さえつける、踏みつける、対立するぶつかりあう強さ、ではなく。
比較する、比較できる強さ、ではなく。
私にとっての強さは、豊かさと同義語。
美しさとも同じと感じる。
測ることのできない無限大の強さ。
決して人を傷つけない、人に介入しない、人と対立しない、そんな強さ。
豊かで優しく美しいもの。
それが私にとっての「強さ」の意味。
それが自分の中に確かにあることを感じている。


私、と書くとき、それは、あなた、みんな、誰も、と同じ意味を持つことを感じている。


手順や、手続きや、順番?、セオリー?
そういったものが、私を不自由にしていた。
インナーチャイルドを癒して、家族の問題を解決して、ハートを開いて、ハイヤーセルフの声を聞いて。
まずは傷を癒して、まずは自分を好きになって、愛を感じられるようになって...etc
自分の身におこること、自分の体験、自分の感覚と、世間一般(実はそんなものなんかないのに!)で言われることとの違いに、身の置き場のないような感じをずっと覚えていた。
でもそんなことには気がついていないふりをして、そんなところでも、「世間の常識」「一般的には」「普通は」に合わせようとしていた。
誰かが語ること、に自分を合わせようとしていた。
それこそが私を苦しくさせていた。
そのために、余計な無駄なエネルギーをたくさん使っていた。
あー、本当に効率が悪かったんだな、ってやっとわかった。
ずっとずっと、目立つこと、例外になること、人と違うこと、にはならないように、一生懸命頑張っていたんだもの。
多数決ではいつでも多い方にいたかった。
とにかく、「王道」を行きたかった。
無難に目立たぬように、そつなくまぎれて生きていたかった。
なぜかはわからない。
その理由を探す必要も感じない。
ただもう、そうしない、と決めるだけだ。
もうそれでいい。



「神さま」に名前なんかない。性別だってない。もちろん、かたちもない。
「神さま」からのメッセージは、「おまえを愛している。」(適切な例が思いつかなかった。笑)なんて文章でやってくるわけじゃない。
ただのなんらかの概念が来るだけ。
それはほんの一瞬。時間の概念なんてないんだから。
人間として理解出来るように、誰かに伝えるために、言語化しているだけ。
対話しているように表現する時もあるけれど、それも一瞬のスパークのようなもの。
翻訳作業みたいなもの。
(という話をわかちあえる人に出会った!感謝!)

そのメッセージが、「神さま」からだとなぜわかるのか?と聞かれても答えようがない。
だってそうだから。
自分とは違う意識だということは確かに感じる。
と同時に、自分もその一部であり全部であることも感じられる。

呼んでもこないし、こちらの都合で「(メッセージを)おろす」なんてことも、私には出来ない。
あちらの都合で、突然、勝手にやってくるだけだ(笑)。


「神さま」とは便宜上そう言っているだけ。
自分の中ではその言葉は使っていない。
「神さま」っていうと、あまりに人間くさい。
そもそも名前なんかないものに対して、言葉は必要ない。

これは、私にとっては、という話。
これもまた、感覚はひとそれぞれ、だと思う。
みんな違ってみんないい(笑)。