結局、コンタクトレンズを使うのをやめてしまった。
すごい眼鏡屋で、「あなたはもうコンタクトレンズを使うのはやめなさい。」と言われたのが、なんだかんだといってもこたえているのかもしれない(笑)。
30年近く(?!)の習慣も、意外にあっさり変えられることに驚く。
今では、まったくの裸眼で外を歩けるようになっている。
もちろん、ほぼ何も見えていない。
人間の順応性の高さにも驚く。これまた、意外にあっさり。
でも、朝はなんとなく見えるんだよねぇ。
看板の文字とか、電柱の文字とか、見える。
不思議だけれど見えるんだよなぁ。
今まで、「(コンタクトをはずしたら)見えるはずがない。」って思い込んでいただけなのかもしれない、とも思う。
しかしながら、会社に到着して仕事を始めようとすると、もう眼鏡無しではいられない。
パソコンの画面は裸眼ではまったく見えないので、度を落とした眼鏡をかける。
そうすると、朝のさわやかな視力が薄れていって、なんだかどんどん見えなくなっていく。
しかし驚いたことに、視力を矯正しないでいる(つまりコンタクトを入れない、普通に「度のあった」眼鏡をかけない)と、仕事をする気がまったくおきない。
見えないからそりゃそうだ、かもしれないけれど、出来ないというより、やる気が出ない。
「やらねば!」という気力がまったくわかない。
以前のようなバリバリモードで仕事が出来ない。
試しに、コンタクトレンズと一緒に作った、つまり同じくらい矯正度の強い眼鏡をかけてみたら、がぜん!やる気が出る。
いきなり集中して仕事やる気モードになる。
なぜだろう???
やっぱり、視力を矯正するというのは一点集中モードになるのかなぁ。
なので、今は「仕事モード」に入るときには、度の強い眼鏡をかけている。
この「矯正された視力」のときの自分は、カラダもきゅーっと締まったように感じる。
なんとなく自分が収縮しておさまったような感覚になる。
長い間、慣れ親しんだ「自分」の感覚だから、正直、今はまだその方が落ち着く。
仕事の指示も決断も、迷わず、ためらわず出てくる。
思考回路が変わるかのようだ。
(それはまた男性性・女性性の話につながる。
そのうち書くかもしれないので、忘れないようにここにメモ。)
考えすぎ、思い込みの激しさ、かとも思うけれど、これは、コンタクトをやめてみたから初めてわかったことだ。
矯正しているときと、していないとき、の両方を感じることは今までなかったのだから、違いがわからなかった。知らなかった。
ちょうどいま、仕事のスケジュールがいろいろ変更になったりのなんだかんだで、もしかしたらこの会社に入って以来、一番のひまな状況かもしれない。
いろんなことがはっきしない・決まらないので、やっても無駄になりそうなことが多く、だから、どうにもやる気が出ないということもあるのだが。
眼鏡をかけたり、はずしたり、ほとんど何も見えてないまま会社でも過ごしたり、こんなことを試してみるには、ちょうどいいタイミングといえば、確かに!まさに!そうなのだ。
以前のような忙しさだったら、とてもじゃないが、のんびりとこんなことはしていられなかった。
で、さらに今までの自分だったら、「このしわよせが絶対来る!」と思って、先走ってばりばり働いていただろう。
年が明けたら、そろそろまた仕事が忙しくなりそうな気配はしてきた。
そのときはまたコンタクトにもどってしまうかなぁ...
そしたらそれはまた、昔の自分、昔のものの見かた、に戻ってしまうのか...
一度知ってしまったことは、知らなかったことにはできない。
気がついてしまったら、もう後戻りは出来ない。
だから、昔の「見かた」の自分には、もう戻りたくない、戻れはしない、とは思うのだが。
未だまったくまとまりがつかないけれど、「見る」についてはまだまだ続く(と思っている)。
何か、ひらめいたこと、感じたこと、言いたかったことまで、なかなかたどりつかない...