いろんな事情があって、一昨日やっと義母の納骨を終えた。
実は納骨に立ち会うのははじめてのことで、
今回、はじめてお墓の構造を知ったのだった。
地域や従う宗教の流派によって、そのスタイルも様々なのかもしれないが、
ウチの場合は、墓石屋さんから「土に還る素材で’納骨袋’を縫うように」との指示があり、
そのようにさせていただいた。
墓地は町中にあり、便利はとてもいいし、
普段は管理してくださる方がいるので、いつも綺麗に清掃されている。
義母の納骨のために、墓石を動かし、中が覗ける状態。
先に逝った方々のお骨はまだ土に還っていないものもあるけれど、
お墓の中は土が見えている。
町中の墓地なので、普段はそんなことを意識したこともなかったけれど、
大地に還る、土に還る…まさしくそうだな、と思った。
義母のお骨は納骨袋に収めて、
先に逝った方々のお骨の上に、そっと埋葬させていただく。
折しも小雨がパラつきかけていた昼だったが、
お焼香をあげようと手を合わせる段になったら、ぴたりと雨が止んだのも、
まことに不思議なタイミングだった。
義母が逝ったのは穏やかな秋晴れの秋分だったが、
あの日の空をふと思い出したのだった。
お義母さん、安らかにおられますか。
納骨がすんで帰る道々、夫がポツリと言うのだ。
- 自分が死んでから後のことは、
いかに自分のことと言えども、自分ではできないことだな…
ほんとにその通り。
最近、つくづく思う。
自分の人生は、大きな流れの一部にしかすぎない。
けれども、身体という形をこの世に与えられて、
与えられた大きな流れの一部を、感謝と喜びを通して、わたしを生きること。
これが、この世に生まれたわたしの「意味」かな、と。
大きな流れの「筋」を通し、わたしを嗣ぐ者や次世代へとまた、
感謝と喜びの流れを滞ることなく作っていくことに、他ならないのではないか。
この大きな流れの中で、
ひとは「自分ができないこと」を自分を嗣ぐ者や、次世代に託す。
託すひとへの「思いやり」と「感謝」の気持ちとともに…。
こんな気持ちが、連鎖していけばいいな。
こんなことを考えた、4月8日。
桜も満開に近い納骨の日でした。
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