この記事のテーマは、
わたしのボイスアートの師匠、歌手でもあるまやはるこさんとの
表現ワークのセッションで、感じたこと諸々、覚書き。
※表現における自分の中の「静寂」についてのメモ的記事はこちら (2016年8月投稿)
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表現するということは、自分の中の「静寂の世界」とつながって
はじめて、叶うものかもしれない。
自分の中の「静寂の世界」にいる、ということは、
外界や他者に向けて、「○○してやろう」とか、「見せてやろう」とか、「聞かせてやろう」とか、
そういった作為的な行為や状態とはおよそ違ったもので、
ただ、今ここに、わたしがこのようにいる、ということに、
なにがあったとしても、現にわたしはここに生かされている、ということに、
喜びと感謝やまごころをもって、いる...ということ、
その世界に自分がいる、ということを自覚していること...
そして、そこからの、
「静寂の世界」からの表現。
それが
表現するひと、そのひとの表現、ということ。
そのように表現されて、表れ出(いで)たその響きは、
「わたし」が身をおく「場」との、
あるいは
「わたし」と分かち合う「他者」の心との、
調和が叶う。
「外」を意識した音は、
薄くて、頭の上を通り抜けていく感じがする。
一方
「自分の’静寂の世界’」と繋がった音は、
その場の空気全体を震わせ、聴く人の心に震わせえる。
単なる音ではなくて、響き、なのだ。
そんな響きが満ちた場は、
喜びや癒しに包まれた場となる。
うばわれると思うから
与えられない
魂が怖れていては
生きる意味 学べない (「rose」 まやはるこ 日本語訳)
表現することは、自分自身との向き合い。
自分の中の「静寂の世界」へ、向かおうとする意志。
ちらりちらり
「静寂の世界」からの灯が、ときおりチラチラ見える。
近づきたい、近づきたい。
わたしの中の怖れはなんだろう...
...怖れを越えてゆけ... (←少しだけ、今さまふうに...笑)
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2017年、今年のわたしの抱負
勇気出して、
こっそり...宣言
自分にとっての表現、なんなのか
この数年、見続けてきた今のわたしを分かち合い、
参加してくださる皆さまと、ともに喜び、楽しみ合うライブをします。
詳細は後日、発表です!
あ~、言っちゃった
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