日韓の比較文化を研究してると、いかに両国が相手の国の歴史や人物を知らない、正しいことを教えない、興味なく覚えないかがよくわかりますよ。


日本にとっての英雄、豪傑が韓国にとっての悪の元凶、敵(かたき)である場合がとても多いですね。例えば、「征韓論」を唱えた西郷隆盛、「脱亜入欧」を主張した福沢諭吉、初代総理大臣であるとともに初代朝鮮総督府長官であった伊藤博文などがそうです。


逆に、日本は韓国の歴史上の人物なんかほとんど関心がありませんね。日本に漢字を伝えた王仁、豊臣秀吉朝鮮出兵時の海戦で圧勝し、日露戦争時に東郷平八郎司令官が海神として祀った李舜臣、朝鮮近代文学の父李光洙など、日本ととても関わりが深いにも拘らず。


その中のひとりに、島山(トサン)【号といいます】安昌浩(アンチャンホ)という、朝鮮が日本に統治されていた時代の教育者であり民族運動家がいます。至誠、天を動かす」という本を著していますが、この方について、ぜひ皆様に知って頂きたいと思い、少し書き綴ります。


安さんは、アメリカで民族啓蒙運動を行っていましたが、1905年に日韓保護条約が締結された後に帰国し、各地に学校を作って民族教育に従事しました。1919年上海に「大韓民国臨時政府」が出来て、それに参加し、その後満州にわたり独立運動の拠点を創ろうとしましたが満州事変で頓挫し、その後日本軍に逮捕され、1937年に亡くなっています。


当時、朝鮮の民族運動家の多くは、テロなどの武力行使によって独立を勝ち取ろうとしましたが、安さんは一貫してそれに反対し続けたのです。「自我革新・民族革新」というスローガンを掲げた上で、それまでの退廃した思想を見直し、近代国家の国民として、朝鮮人自らが変革しなければならないとし、力をしっかり養った上で、日本からの独立を勝ち取るべきだと主張したのです。


これは、これまで韓国で「親日派」として批判されてきた、当時の先進的な思想家であった李光洙や崔南善の考えとほぼ一致していましたね。つまり、その当時、ほとんどの朝鮮人が安さんや李さん、崔さんが言うような考え方を持っていたと理解すべきなのです。


安さんの奥さんは、その当時アメリカに住んでおり、安さんが独立運動に大半のお金を費やしたため、たいへん苦しい生活を強いられましたが、夫を強く支え続けたそうです。


これは、事業にほとんどのお金を費やし、苦しい生活をさせているにも拘らず、何とか支えてくれている私の家内と一緒ですね。ただ夫の人物の大きさは天地ほどの違いがありますが。


安昌浩は、当時、近代化を達成した日本人に敬意を払い、決して悪辣な態度を示したり批判めいた話をすることなく、高邁な人格の持ち主として、現在日韓両国の歴史家から高い評価を受けているのです。


私は、日韓双方が、もっと日韓近代の歴史を客観的に評価する作業を行うべきだと思っています。韓国において、最近「親日派の弁明」や「大韓民国の物語」などが発刊され、そんな動きが出てきたことはたいへんいいことだと思います。日本も、かつて李光洙や安昌浩だけでなく、日韓の紐帯関係を強めた名もなき市井の人たちがいたことを広く知る努力をすべきではないでしょうか。


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