先日、鳩山邦夫総務大臣が、麻生太郎首相に更迭された際、「私の行いは歴史が証明する」という言葉を発しましたね。この格言について、いつも疑問に思うのが「誰がいつ証明するのだろう」ということです。
朝鮮半島の歴史は、まさにこの「私の行いは歴史が証明する」ことの連続であったように思います。特に、李朝末から今日まで、近代から現代に至る時代の過程で、多くの様々な先人達が行った行為について、後世の人たちが百家争鳴的な評価を下している現実を見ると強くそれを感じますね。
そのことを踏まえ、日韓併合時代のイグァンスン(李光洙)とチェナムスン(崔南善)について、語ります。
李光洙は、「朝鮮近代文学の祖」と言われ、日本で例えるならさしずめ夏目漱石でしょうか、当時たいへん著名な文学者でありました。新聞社などに勤めながら執筆活動を行い、朝鮮亡国の原因は朝鮮民族自身の劣位性にあるとして、民族の力をつけるべきだする民族改良主義を説いたのです。
崔南善は、朝鮮の詩人でありジャーナリストです。文芸雑誌などを刊行し、1919年に起こった有名な「3.1独立運動」の「独立宣言文」を起草するなど、民族派として活発な言論活動を行っていたのですね。
ところが、現在の韓国の一般的な史観で、この偉大な先駆者に対して、日本に協力し民族を裏切った「親日派」というとんでもない烙印を押し、彼らの行ってきたことに対して辛らつな批判をしているのです。
両者とも、朝鮮文学の近代化を推し進め、民族の未来を憂え、尽力した功績は、決して批判されるべきものではありませんね。
1945年の解放後に二人とも、当時大統領であった李承晩が作った「反民族行為処罰法」という法律で検挙・投獄されましたが、李光洙は、法廷で泰然自若とした態度で、「私の親日は祖国のためのものだ」と叫んだと伝えられています。
朝鮮戦争が勃発し、その際、李光洙は北朝鮮に連行され非業の最期を遂げ、崔南善は、娘さんが共産暴徒に残虐され、長男と3男が死亡するなど不幸が続き、1957年に失意のうちに亡くなったのです。
私は、彼らが日本の統治時代に主張したことやその行動について、より客観的に真実を見極め、彼らの思想や生き様を再評価すべきと思っています。それがなければ、本当の意味での日韓交流などできやしないし、ましてや「日韓経済圏」を創ることなどは夢のまた夢に終わってしまうでしょう。
自国を良くするために、日本を好きになり日本人と親しくしたことの何が悪いのでしょうか。
韓国では、「親日派」というレッテルを貼られ批判されている人々やその子孫がたくさんいます。韓国の国歌を作った人や私の大学の創始者もそのひとりです。後世に生きる者は襟を但し、今あるのは先人達の努力の結晶という考えを前提にしなければ、歴史とは、韓国に多く存在するがちがちの原理主義者に弄ばれる道具にしかならないでしょうね。
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