GMが破産法を申請し負債を清算、リストラした後に国の所有会社として新たに出発することになりましたね。
ところで、私の長女は、現在、トヨタ自動車、アイシン精機、デンソーといったトヨタグループが出資している郊外型の自動車部品販売会社に勤めていますが、彼女の話によると「今、カーキチ(車きちがい)といわれるような若い奴がおらんようになった」らしいのです。
娘が大学に通っていたある日、「大学をやめて、トヨタとかホンダの自動車修理専門学校に行きたい」といってきました。私は、即座に反対して、何とか卒業させた後、娘は今の会社に就職したわけですが、それほど車が好きで、国産車、外車を問わず、車種の名前はすべて頭の中に入っていたそうな。
新入社員研修で群馬県前橋市にある販売店で実習していた頃、私の家内とその様子を見に行った時、真っ赤なつなぎを嬉しそうに着て働いていたのを今もはっきり覚えていますよ。
確かに、昔の若者は、将来はクラウンかベンツに乗ることを夢見て仕事をがんばるということがあったのに、今はほとんどなくなったように思いますね、アメリカで言えば、行き着く先は、さしずめ、GMのキャディラックですが。
娘によると、携帯やファッション、旅行にお金を使うことが多くなったのと鉄道や地下鉄など公共の交通網が発達して、特に都会では車がなくても何ら困ることがなくなったのも原因のひとつらしいのです。
もちろん、二酸化炭素を排出する化石燃料を使うことに抵抗を感じる人が増えてきたこともまた、その一因でしょうけれど。
さて、GMはかつてアメリカで最も近代化が進んだ会社のひとつといわれてきて、合理化の追求と収益力を向上を理念として、多くの企業の目標になってきたのにも拘らず、何故破綻したのでしょうか。
少ない人数で大きな車を作り出すこと(合理性)、大きな効果(収益性)を生み出すことが、まさにGMのビジネスモデルでしたね。しかし、合理性と収益性は、時代に反するならば、非合理で低収益になるという好事例であることがはっきりわかりました。つまり、1980年代までGMは、時代の流れや環境にあまりにも完璧に適応し過ぎたのでしょう。それが、石油の高騰という外部環境の変化に逆に全く適応できなかったのですね。
恐竜の滅亡とたいへんよく似ていますね。
時代のひととき、GMは、株主にも、経営者にも、社員にも、地域社会にも、そして国家にもすべてウィンウィンの関係を作ってきましたが、やはり永遠ではなかったのですね。
どんなビジネスでも、ステークホルダーそれぞれが、利益の削減とリスクの増大を分かち合う覚悟がなければ、21世紀の市場で生き残ることができなくなることを今回のGMの出来事は教えてくれていますね。
車社会自体が曲がり角に来ているように思います、一時は、一家一台から一人一台の時代が来るといわれましたが、今は、何人かで共有し必要な時に乗れればよいと考える人たちもかなり増えてきました。
日米とも、自動車産業は間違いなく20世紀の基幹産業でしたが、21世紀はその主役を他の産業に明け渡すことになるのでしょうか?
石油の枯渇が言われて久しいですね。その度新しい油田が発見されたり、オイルサンドとかが研究されたり。それでも50年は持たないでしょう。
原子力、太陽光、風力、地熱、バイオなど、これらが、今後石油に取って代わっていくのでしょうが、まだまだ石油を超えてはいませんね。
全ての産業に言えることですが、「環境と経済の好循環」、これが21世紀のキーワードです。
株式会社淡海環境デザインホームページ
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