『山上宗二』は、『利休』にかなり高く評価されていたようです。
『利休』に同道して茶会にも出席していますし、死の寸前には、『利休』の取り成しで、捕らえられた『宗二』は『秀吉』との面会が叶います。
ところが、またしても、悪口雑言。つい本当のことを言ってしまい、『秀吉』の怒りをかい、天正十八年四月十一日(1590年5月19日)に耳と鼻を削がれた上で打ち首にされてしまいます。
享年四十六歳でした。
何も文献上は残されていませんが、この『宗二』の斬首に遭遇した『利休』は、「いずれ己が身にも」と覚悟したのかもしれません。
桃山時代後期、因果は巡る糸車ということでしょうか、『利休』が堺に蟄居を命じられ自身が覚悟を決めて、京都の聚楽屋敷内で切腹を命じられたのは、翌年の天正十九年二月二十八日(1591年4月21日))でした。
享年七十歳でありました。
お付き合い下さり、ご講読ありがたく、ではまた。