山上宗二「茶の湯の歴史85」茶の歴史85 | Souki一観一楽有難うの茶の湯ブログ

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教えることが天性と思い、茶の湯関係(点前、茶の湯教科、お茶事、茶の湯の陶磁器、茶杓の実技)を54年間、NHK文化センター大阪、神戸、名古屋などで1999年から延べ4万5千人の方々に茶の湯の極意をお伝えして、2022年4月からオンラインZOOMライブ入門講座を開講中。一茶一楽

さてさて、この『山上宗二記』、「茶器名物集」を著した『山上宗二(やまのうえ そうじ)』 とは如何なる人物なのでしょうか? 

天文十三(1544)年に生まれ、本姓は石川氏といい、桃山時代の堺の豪商(町衆)で、『千利休』に20年間茶の湯を学んだ高弟であり、茶人として知られています。 

『利休』に同道して茶会に出席している様子が当時の茶会記から確認されています。 
 

『織田信長』にも仕えたという説もありますが定かではありません。 

茶匠としては『豊臣秀吉』に仕えていましたが、天正十二年に持ち前の口の悪さから『秀吉』の怒りを買い、浪人することになります。 

この時に『前田利家』に仕えるようになったようですが、同十四年にも再び『秀吉』を怒らせて高野山へ逃れ、同十六年頃から自筆の秘伝書『山上宗二記』の写本を諸方に授けていることになっています。 

その後は小田原に下って北条氏に仕えていました。 

天正十八(1590)年四月十一日(5月19日)に、下城してきたところを捕らえられ、斬首されます。 

なお忌日は二月二十七日という説もあります。 

屋号は薩摩屋、号は瓢庵。子には(伊勢屋)山上道七がおりました。 

お付き合い下さり、ご講読ありがたく、ではまた。