宗二記茶室「茶の湯の歴史84」茶の歴史84 | Souki一観一楽有難うの茶の湯ブログ

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教えることが天性と思い、茶の湯関係(点前、茶の湯教科、お茶事、茶の湯の陶磁器、茶杓の実技)を54年間、NHK文化センター大阪、神戸、名古屋などで1999年から延べ4万5千人の方々に茶の湯の極意をお伝えして、2022年4月からオンラインZOOMライブ入門講座を開講中。一茶一楽

『山上宗二記』はまた茶室についても触れられています。 

これには茶室の図が多く載せられていることでも貴重です。「四畳半」、「三畳敷」等の図、その比較。

 

さらに、「三畳敷ハ紹鴎ノ代マテ道具無侘数奇専一ニス」という記載もあり、草庵の茶室の成立を考える上で、研究の基本的な考察にはなくてはならない資料を提供しています。 

具体的にお話しますと、『山上宗二記』に、「珠光ハ四畳半 引拙ハ六畳敷也」で、「三畳敷ハ紹鴎ノ代マテ道具無侘数奇専一ニス」とあります。 

しかも、「一種ニテモ唐物所持ノ人ハ四畳半ニ作ル」とあるのですから、「珠光」の時代より、「四畳半」が基本のように考えられています。 

前にお話しましたように、「珠光」は「村田珠光」で「わび茶の湯」の創始者といわれる人物で、「引拙」は「鳥居引拙」で「珠光」の弟子です。 

そして、「わび茶の湯」の継承者が『武野紹鴎』で、「わび茶の湯」を成立させたのです。 

この『武野紹鴎』の時代まで、「一種ニテモ唐物所持ノ人ハ四畳半ニ作ル」とあります。 

『山上宗二記』の茶室の図のなかでも「紹鴎四畳半」の図は研究者によって何度も取り上げられており、その解釈の仕方によって、草庵成立直前の茶室のありようを考察する資料として重要視されています。 

お付き合い下さり、ご講読ありがたく、ではまた。