行政書士の大越です。


今日はまた、私の公務員時代の話を書こうと思います。


私が昔、仕事中に脅迫電話を受けて警察沙汰になったたという、ちょっと変わったお話の、顛末です。


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 平成4年、私は産業課の課長補佐に配属されました。
 産業課とは、農業・商工業についての行政を管轄する部署です。


 その年の田植えが終わり、苗も根付く初夏の頃、産業課では空中散布(ヘリコプターで空中から薬剤を散布して稲の消毒を行うこと。)を計画・実行します。

 空中散布は、最近ではあまり行われなくなりましたが、当時の田園地帯では、毎年初夏の恒例の事業でした。
 空中散布に実施前には、町内全域の家庭に、文書で実施する日時や場所、注意点などを周知し、学校などへも通学時間の変更などを要請するなどの準備を行うことになります。


 そんな準備に追われていたある日、私が書類の整理をしていると、机の上の電話が鳴りました。受話器を取ると、交換手が、「空中散布の件でお電話です」と言いました。



 この時は、空中散布の件で特に連絡受ける予定はなかったので、「誰だろう?」と思いながら、交換手に、「つないでください」と答えました。


「お待たせいたしました。産業課・課長補佐の大越です」


すると受話器から、


「空中散布をすぐに中止しなさいよ」


と言う低い男性の声がしました。


 この時私は、『ああ、聞いていた苦情の電話だな・・・』と思い、ちょっと気持ちが重くなりました。

 実は、異動による引き継ぎの時に、前任の課長補佐から、『空中散布の前には、苦情の電話がかかってくることがありますので、気をつけてください』という話を聞いていました。
 やはり、どのような職種であっても、苦情の電話を受けるのは、こたえます。

 私は、『事務手続上、今から中止することは出来ません』とお答えしても納得は得られないだろうと思い、空中散布を実施する理由について、少し詳しくお話しすることにしました。


「空中散布は、農家の皆様のために行っているものです。住民の皆様には、ぜひご理解を頂きたいのですが・・・」

「そんなことどうでもいいから、すぐに中止しなさいよ。」


 男は、私の話を遮ろうとしましたが、話を続けました。

「お願いですから少し私の話を聞いてください。

 農家の方がお米を作るために、虫や病気の発生を防ぐためには、いまの農業のやり方では、消毒は必要な物です。


 米作りでは、一部の田んぼで病気や害虫の被害が発生すると、どんどんとなりの田んぼに伝染していってしまいます。

 だから、その地域の農家みんなが被害にあってしまうことになるんですよ。


 なので、害虫や病気を防ぐには、地域で一斉に消毒することが大切なんです。現在、わが町で農業をなさっている方は、兼業農家が多くなり、消毒をする農家としない農家、そして出来ない農家が出てきています。


 このようなことを踏まえて、現在のところ、空中散布という方法が、害虫や病気の予防としていちばん合理的であるという結論から、今年も実施させていただいております。どうか、ご理解をいただきたいのですが・・・」


「そんなことは、どうでもいいんだよ。空から毒薬を撒くなんて、そんなこと、許されない。生き物も死ぬし、人も死ぬぞ。」


電話口の声が、少し過激になってきました。



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・・・すいません。

時間が少し足りないので、続きはまた次回、書きたいと思います。


この記事は再編集してこちら に記載しております。
http://www.i-souzoku.net/column/anrakushi/index.html



 最近、テレビや新聞などで安楽死や尊厳死について議論されているのを良く見かけます。また、これらを題材にした小説やドラマも珍しくなくなりました。


 安楽死・尊厳死とは一体何なのでしょうか?



■安楽死とは


 安楽死とは、期が迫っている病人の激しい肉体的苦痛を緩和、除去して、病人に安らかな死を迎えさせる行為のことをいいます。

 この考え方自体は紀元前よりありましたが、16世紀のヨーロッパで「不治の病を患った場合、死期を早める医療行為は許されるのか」という議論がなされるようになり、安楽死という言葉が生まれました。
 

 日本では、昭和37年に病気の父親に毒薬の入った牛乳を飲ませて死亡させたとして子が逮捕された「名古屋安楽死事件」、平成3年に家族の求めにより担当の医師が末期がんの患者に薬剤を投与して死に至らしめたとして逮捕された「東海大学安楽死事件」が起きました。

 いずれの事件でも、安楽死を行った人が殺人罪で逮捕され、有罪となりました。

 現在では、安楽死は法律では定められていませんが、これらの事件の裁判で出された判決などをもとに安楽死の判断基準が出来ています。

 安楽死は、4つの型に分類されます。


1.肉体的苦痛を除去・緩和する治療だけをするもの。
2.苦痛の除去・緩和のための薬物等の使用により、その副作用で死期を早めてしまうもの。
3.苦痛を長びかせないために、積極的な延命措置をせず、そのために死期を早めるもの。
4.生命を積極的に奪うことで死苦を終わらせるもの。

 
上記の1~3の場合は、医療行為として認められています。

安楽死が問題となるのは、上記の4の場合です。


この場合、要件として、


①患者が耐え難い肉体的苦痛で苦しんでいること。
②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること。
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和する為に方法を尽くし他に代替手段がないこと。
④生命の短縮を承諾する患者の意思表示があること。


の4つを満たせば、これを行った者が殺人罪に問われない、言い換えれば安楽死として認められるとされています。


 ただし、末期症状の患者には意識が無いこともしばしばあり、①および④の要件は得られないことが多いので、末期患者に対する安楽死をさせるべきではないという批判もあります。

 なお、将来自分が病気の末期症状となった時に④の意思表示が出来なくなる時に備えて、あらかじめ健常時に公正証書等で生命の短縮を承諾する意思表示をしておくことも出来ます。



■尊厳死とは


 尊厳死とは、回復の見込みのない末期症状の患者が、生命維持治療(延命措置)を中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えることをいいます。


 現在では法律で定められておらず、また安楽死のように司法の判断基準が定まっていないため、尊厳死を実行することは出来ません。(前述の安楽死の要件が満たされている場合を除きます。)


 人の死とは、脳、心臓、肺の機能が停止した場合をいいます。
 法的には、①自発呼吸の停止 ②脈(心臓)の停止 ③瞳孔反射機能等の停止です。
 医師が死亡確認の際に用いる、呼吸、脈拍、瞳孔反射の消失の確認は、これに由来しています。


 医療技術の発展により、脳の機能が完全に停止し自発呼吸が出来なくなっても、人工呼吸器により呼吸と循環が保たれた状態(脳死)となる場合が出てくるようになりました。


 一般的には、心臓機能の停止→脳機能の停止という過程をたどりますが、脳死は、脳機能の停止→心臓機能の停止という過程をたどる特殊なケースといえます。

 法的には自発呼吸が不可能になっても人工呼吸器をつけて生存していれば、死亡とは考えないとされています。


 近年、医療技術を支える機器が急速に進歩し、人工呼吸器などの生命維持装置が高度に発展した結果、自発呼吸の不可能な脳死状態においても、人為的にかなりの期間生命を維持することが可能になりました。

 このような状態となった場合、事前に公正証書等で生命の短縮を承諾する意思表示をしていたとしても、安楽死の要件である①「耐え難い肉体的苦痛で苦しんでいること」および②「患者は死が避けられず、その死期が迫っていること」が該当しないため、安楽死を適用させることは出来ません。


 つまり、脳死となった場合は、その状態を維持し続けるほかありません。


 しかし、脳機能が失われ、呼吸管理と経管栄養に完全に依存してしか生存できない脳死の状態では、はたして人間としての尊厳が保たれているといえるのかということが言われるようになりました。

 人為的に生かされているだけの状態の人はもはや「人」ということはできないのではないかという議論もあり、死の判定基準の再検討も叫ばれています。

 尊厳死は安楽死と比べて、苦痛除去という要素がないことや、患者の承諾が事前にしかとれないこと死期が切迫しているとは限らないこと自殺・殺人との線引きが難しいことなどから、法律的に正当化されるのは難しいと考えられています。


 また、尊厳死を法制化することは、病気と戦いながらも生きたいと考える人や高齢者に死の選択を迫る圧力になりかねず、また「あのようになってまで生きたくない」と、生きている人の状態を「あのように」と見る、自らの内にひそむ選別の思想こそ振り返る必要があるのではないかという批判もあります。


 尊厳死の問題の根本は、医療の発達に倫理・道徳や法律が追いついていないところにあるのかも知れません。尊厳死の議論に決着をつけるためには、さらなる議論が必要なようです。


※おことわり※
 安楽死および尊厳死という言葉は、現在法律によって明確に定義されておらず、その解釈と意味は場合によって本書と異なる場合があります。

この記事は再編集してこちら に記載しております。
http://www.i-souzoku.net/column/shikei/index.html



 裁判員制度がスタートしました。
 これからは、選ばれた一般市民も、裁判に携わることになります。


 裁判員制度では、重大な犯罪の判決にも裁判員が関わることになり、「一般市民も死刑の判断を下すことになる」という関心と不安の声も聞かれます。

 今回は、日本ではどのような罪を犯した時に死刑となる可能性があるのか、考えてみたいと思います。



※下記でとりあげた罪名は、死刑となる可能性がある罪であり、これらの罪を犯した場合、必ず死刑となるわけではありません。



■内乱罪 (刑法77条1項)


 日本政府を破壊して、自分がかわりに日本の統治者として君臨するなどの、いわゆる革命・クーデターを起こした時の罪です。その首謀者は死刑又は無期禁固となります。



■外患誘致罪 (刑法81条)


 外国の政府に、日本を侵略・攻撃するよう依頼して、日本に対して武力を行使させた時の罪です。外国の軍隊による侵略だけでなく、ミサイル攻撃なども含まれます。
 死刑となる犯罪の中で唯一、死刑のみが適用される罪で、現在の法律の中では最も重い罪と考えられています。



■外患援助罪 (刑法82条)


 外国の軍隊が日本に侵略してきた時に、外国の軍隊に参加したり協力したりして、外国の軍隊と一緒に日本を攻撃した時の罪です。死刑又は無期懲役もしくは2年以上の懲役になります。
 ただし、人命救助や怪我の手当などの人道的な行為への協力や、強要されてやむを得ず協力した場合などは、罪に問われないと考えられています。



■現住建造物等放火罪 (刑法108条)

 内部に人がいることが明らかで、火をつければ中にいる人が死亡することが容易に想像できる、建物や乗り物に放火した時の罪です。死刑又は無期懲役もしくは5年以上の懲役になります。
 判例では、死刑は死亡者が発生した場合に適用できるとされています。その場合、殺意の有無は問いません。(殺意については、「殺人罪」の項を参照してください



■激発物破裂罪 (刑法117条)

 内部に人がいることが明らかである建物や乗り物の中で、爆弾やボイラーなどを爆発させた時の罪です。死刑又は無期懲役もしくは5年以上の懲役になります。
 判例では、死刑は死亡者が発生した場合に適用できるとされています。その場合、殺意の有無は問いません。



■現住建造物等浸害罪 (刑法119条)


 「浸害」とは、水による被害のことです。水をあふれ出させることによって建物や乗り物に損害を与えたり、中にいる人を溺れさせたりして、公共の危険を発生させた時の罪です。死刑又は無期懲役もしくは3年以上の懲役がとなります。
 判例では、死刑は死亡者が発生した場合に適用できるとされています。その場合、殺意の有無は問いません。



■汽車転覆等致死罪 (刑法126条3項)

 人が乗っている乗り物(電車、船など)を転覆させたり、破壊する行為をした結果、死亡者が発生した時の罪です。死刑又は無期懲役となります。



■水道毒物等混入致死罪 (刑法146条)

 水道水に毒物や健康を害する物を混入し、その水を使った結果、死亡者が発生した時の罪です。死刑又は無期懲役もしくは5年以上の懲役になります。
水道管を流れている水だけでなく、その水源において混入した場合にもこの罪に問われます。



■殺人罪 (刑法146条)     

 人を故意に殺害したときの罪です。死刑又は無期懲役もしくは3年以上の懲役となります。殺人罪は、実際に自分が手を下して殺害したときはもちろんですが、自分が何もせず放置することで人が死亡することが明らかに予想できる場合にも、適用されることがあります。例えば、溺れている人がいるのに通報や救助をせず放置し死亡させたり、乳児に食事を与えず餓死させたりした場合です。また、重傷者の死期を早める行為にも適用されます。


「殺人」と「致死」の違い

 「車の運転中に前方不注意で人をはねてしまい、死亡させてしまった」というような場合など、人を殺害する意思がなかったけれど、結果的に人を殺してしまった時には、「殺人」ではなく、「過失致死」という別の罪になります。


 また、「傷をおわせはしたが、殺そうとまでは思っていなかった」という場合も、殺人罪とはなりません。この場合には、「傷害致死」という別の罪になります。

 よって、殺人罪に問われた裁判では、「殺意があったか(はじめから殺そうと思っていたか)」ということが争点になります。どのような動機で犯行に及んだかや、殺傷の後に傷の手当てをしようとしたかなどから、殺意の有無を検証することになります。


どんな殺人事件の場合に死刑が適用されるのか

 1968年(昭和43年)に、盗んだ拳銃を使って全国各地で立て続けに4人を射殺するという「永山則夫連続射殺事件」が発生しました。

 この事件で殺人罪で逮捕され、死刑が確定した永山則夫の判決において、殺人罪において死刑を適用する基準が示されました。

 これ以降の殺人事件の死刑判決では、この裁判を基準とすることが多いようです。このことから、この裁判の判決は、「永山基準」とも呼ばれています。

 具体的には、①犯罪の性質 ②犯行の動機 ③犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性 ④結果の重大性、特に殺害された被害者の数 ⑤遺族の被害感情 ⑥社会的影響 ⑦犯人の年齢 ⑧前科 ⑨犯行後の情状 を総合的に考慮して死刑を適用するかを判断します。


 この事件以降の殺人罪の判決は、4名以上を殺害した場合は、犯行時の心神衰弱や自首の認定などによる減刑が認められない限り、原則として死刑が適用されています。


 ただし、近年の厳罰化の傾向により、1名殺害でもその殺害方法が計画的で残虐な事件では、死刑判決が出される例もあります。

 

 裁判員制度の導入の目的のひとつとして、「裁判の判決に、国民の日常感覚と常識を反映させる」という理由もあります。
 裁判員制度の開始によって、殺人罪においても死刑を適用する基準は、今後変わっていく可能性もあります。



■強盗致死罪・強盗殺人罪 (刑法240条後段)

 強盗に入った結果、人が死んでしまったり、人を殺害してしまった時の罪です。死刑又は無期懲役となります。殺意の有無は問いません。
 判例では、強盗の際に起きた暴行で死亡させた時だけでなく、強盗時に発生した死に関しても適用されます。たとえば、店に強盗に入り、店員を縛ろうとしたらその恐怖で心臓発作を起こして死亡してしまったような場合でも、この罪に問われます。

 
■強盗強姦致死罪 (刑法241条)

 強盗に入り強姦した結果、人が死んでしまった時の罪です。死刑又は無期懲役となります。強姦中の死亡以外は、他の罪(強盗致死罪+強姦罪)として考えられています。



■組織的な殺人罪 (組織的犯罪処罰法3条、刑法199条)

 オウム真理教が「地下鉄サリン事件」を起こしたことで、組織的な犯罪の増加が懸念されたことから議論され、新しく定められた罪です。組織的に殺人事件を起こした場合は、死刑または無期懲役、もしくは6年以上の懲役となります。



■人質殺害罪 (人質強要行為処罰法4条)

 身代金や逃走を要求するために誘拐した人質を殺害した時の罪で、死刑又は無期懲役になります。通常の殺人罪よりも罪が重くなります。



■航空機強取等致死罪 (ハイジャック防止法2条)

 暴力や脅迫で飛行機を乗っ取り(いわゆるハイジャック)、その行為によって人を死亡させた罪で、死刑又は無期懲役になります。



■爆発物使用罪 (爆発物取締罰則1条)

 治安や人の身体・財産を侵害する目的で、爆発物を使用したときの罪です。死刑又は無期懲役もしくは7年以上の有期懲役または禁固となります。



※ おことわり ※

 本文では、平易な説明をするために、細部の説明を省略しているため、正確な実態とは齟齬がある場合があります。
 また、当事務所の政治的見解や、死刑制度の是非などの意見を主張を示すものではありません。