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 最近、テレビや新聞などで安楽死や尊厳死について議論されているのを良く見かけます。また、これらを題材にした小説やドラマも珍しくなくなりました。


 安楽死・尊厳死とは一体何なのでしょうか?



■安楽死とは


 安楽死とは、期が迫っている病人の激しい肉体的苦痛を緩和、除去して、病人に安らかな死を迎えさせる行為のことをいいます。

 この考え方自体は紀元前よりありましたが、16世紀のヨーロッパで「不治の病を患った場合、死期を早める医療行為は許されるのか」という議論がなされるようになり、安楽死という言葉が生まれました。
 

 日本では、昭和37年に病気の父親に毒薬の入った牛乳を飲ませて死亡させたとして子が逮捕された「名古屋安楽死事件」、平成3年に家族の求めにより担当の医師が末期がんの患者に薬剤を投与して死に至らしめたとして逮捕された「東海大学安楽死事件」が起きました。

 いずれの事件でも、安楽死を行った人が殺人罪で逮捕され、有罪となりました。

 現在では、安楽死は法律では定められていませんが、これらの事件の裁判で出された判決などをもとに安楽死の判断基準が出来ています。

 安楽死は、4つの型に分類されます。


1.肉体的苦痛を除去・緩和する治療だけをするもの。
2.苦痛の除去・緩和のための薬物等の使用により、その副作用で死期を早めてしまうもの。
3.苦痛を長びかせないために、積極的な延命措置をせず、そのために死期を早めるもの。
4.生命を積極的に奪うことで死苦を終わらせるもの。

 
上記の1~3の場合は、医療行為として認められています。

安楽死が問題となるのは、上記の4の場合です。


この場合、要件として、


①患者が耐え難い肉体的苦痛で苦しんでいること。
②患者は死が避けられず、その死期が迫っていること。
③患者の肉体的苦痛を除去・緩和する為に方法を尽くし他に代替手段がないこと。
④生命の短縮を承諾する患者の意思表示があること。


の4つを満たせば、これを行った者が殺人罪に問われない、言い換えれば安楽死として認められるとされています。


 ただし、末期症状の患者には意識が無いこともしばしばあり、①および④の要件は得られないことが多いので、末期患者に対する安楽死をさせるべきではないという批判もあります。

 なお、将来自分が病気の末期症状となった時に④の意思表示が出来なくなる時に備えて、あらかじめ健常時に公正証書等で生命の短縮を承諾する意思表示をしておくことも出来ます。



■尊厳死とは


 尊厳死とは、回復の見込みのない末期症状の患者が、生命維持治療(延命措置)を中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えることをいいます。


 現在では法律で定められておらず、また安楽死のように司法の判断基準が定まっていないため、尊厳死を実行することは出来ません。(前述の安楽死の要件が満たされている場合を除きます。)


 人の死とは、脳、心臓、肺の機能が停止した場合をいいます。
 法的には、①自発呼吸の停止 ②脈(心臓)の停止 ③瞳孔反射機能等の停止です。
 医師が死亡確認の際に用いる、呼吸、脈拍、瞳孔反射の消失の確認は、これに由来しています。


 医療技術の発展により、脳の機能が完全に停止し自発呼吸が出来なくなっても、人工呼吸器により呼吸と循環が保たれた状態(脳死)となる場合が出てくるようになりました。


 一般的には、心臓機能の停止→脳機能の停止という過程をたどりますが、脳死は、脳機能の停止→心臓機能の停止という過程をたどる特殊なケースといえます。

 法的には自発呼吸が不可能になっても人工呼吸器をつけて生存していれば、死亡とは考えないとされています。


 近年、医療技術を支える機器が急速に進歩し、人工呼吸器などの生命維持装置が高度に発展した結果、自発呼吸の不可能な脳死状態においても、人為的にかなりの期間生命を維持することが可能になりました。

 このような状態となった場合、事前に公正証書等で生命の短縮を承諾する意思表示をしていたとしても、安楽死の要件である①「耐え難い肉体的苦痛で苦しんでいること」および②「患者は死が避けられず、その死期が迫っていること」が該当しないため、安楽死を適用させることは出来ません。


 つまり、脳死となった場合は、その状態を維持し続けるほかありません。


 しかし、脳機能が失われ、呼吸管理と経管栄養に完全に依存してしか生存できない脳死の状態では、はたして人間としての尊厳が保たれているといえるのかということが言われるようになりました。

 人為的に生かされているだけの状態の人はもはや「人」ということはできないのではないかという議論もあり、死の判定基準の再検討も叫ばれています。

 尊厳死は安楽死と比べて、苦痛除去という要素がないことや、患者の承諾が事前にしかとれないこと死期が切迫しているとは限らないこと自殺・殺人との線引きが難しいことなどから、法律的に正当化されるのは難しいと考えられています。


 また、尊厳死を法制化することは、病気と戦いながらも生きたいと考える人や高齢者に死の選択を迫る圧力になりかねず、また「あのようになってまで生きたくない」と、生きている人の状態を「あのように」と見る、自らの内にひそむ選別の思想こそ振り返る必要があるのではないかという批判もあります。


 尊厳死の問題の根本は、医療の発達に倫理・道徳や法律が追いついていないところにあるのかも知れません。尊厳死の議論に決着をつけるためには、さらなる議論が必要なようです。


※おことわり※
 安楽死および尊厳死という言葉は、現在法律によって明確に定義されておらず、その解釈と意味は場合によって本書と異なる場合があります。