思いやる心。 |  ソラいろのタネ ソラ〜宇宙〜のアトリエ

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ソラ〜宇宙〜のアトリエ 主宰
SPACE・SOLA〜宇宙〜 プロデューサー 
繪と写真と言葉という表現を通して、
誰もが幸せを感じて生きるための気づきやきっかけを届けています。
豊かな世界を共に創るためのスペースをプロデュース。

いただいたメッセージでのやり取りの中から。

『思いやり』




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昔の話。

小学校低学年の時、カンニングしていないのに、カンニングをしたと言われ、

クラスの全員の前で延々と先生になじられ、怒られた。

とても一方的だった。


その時、悲しいとか、恥ずかしいとか、悔しいよりも、

不思議だった。

もしも、私が、本当にカンニングをしたとしても、

先生のその叱り方が、人としてどうなのかな・・と。

もしも、私が先生だったら、こんな叱り方はしないのになぁ・・と。

そして、あぁ、私は大人になったらこんな風にならなければいいんだなぁ・・と。

そして、それと同時に、

先生にそう見えたということは、私の方にも何か落ち度があったのかもしれないな・・と。

もしかしたら、カンニングをしているように見える、そんな動作をしたのかもしれない。

そんな風に考えた。


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これは、取るにたらないような、分かりやすい例だから取り上げてみたのだけど、

世の中には、例えば、意地悪をするにしても、

たまたま機嫌が悪いことだってあるし、

その人の中に悲しいぐらいの寂しさが蓄積されて、

どうしても意地悪をしてしまう人もいる。

いろんな人がいるし、いじめや非難を受けるにしても、いろんな人がいて、

いろんなシチュエーションがある。


その全てに共通して言えることは、

自分が一方的に被害者になると、どうしても相手を加害者・・悪者にしてしまう。

そうやって、相手を一方的に加害者にしてしまうと、

人間の心は、相手を責めたり、悲しみを蓄積したり、

恨んで、仕返しをしてやろう・・不幸になればいい。

そんな風に呪いの思いを抱えてしまうことがある。


それこそ、不幸なこと。

なぜなら、相手を責め、呪う想いが、ずっとずっと何よりも誰よりも、

自分自身を責め続け、縛り続けるのですから。

一番苦しいのは、自分なのです。


それは、辛いこと。

ずっと気づかずに自分を苦しめているのですから。


そんな時。

もしも苦しいなと思ったら、

ふと、相手の存在を思いやってみてください。

もしかすると、たまたまイライラしていたのかも。

もしかすると、お家で怒られたのかも。

もしかすると、寂しくて妬ましかったのかも。

もしかすると、私にもいけなかったことがあるのかも。


加害者か被害者。

悪い人なのか良い人なのか。

意見の対立や見解の違い。

白黒をつけようとすると、苦しみを生むことになる。

この世界には、見えない部分が圧倒的に多いのだから。

 
見えない部分とは、感情であったり、境遇であったり、

その物事や、その人を包むバックグラウンドです。


そして人は、自分のことが何よりも見えなかったりする。

自分のこと、自分のバックグラウンドが。

だから、自分は正しい、自分は間違っていない。

自分だけどうしてこんな目に。

自分だけどうしてこんなに苦しいの。

そう思えてしまう。

人の目や、人の立場、人の境遇からみれば・・どうでしょう。
 
もっと大きな目で見たら。

もっと広い心で感じたら。


「相手を思いやる心」は、そんな一方的な思いのアクセルを踏む心に、

優しいブレーキをかけてくれます。

「相手を思いやる心」は、また「自分を思いやる心」です。

苦しくて辛かった心を、優しく包んでくれます。


感情の嵐に飲み込まれそうな時ほど、思いやりの心を思い出してみてください。

最初は出来ないでしょう。

何度も出来なくて、自己嫌悪に陥るかもしれません。


でも。

思い出して。

何度でもトライして。


私たちが何度過ちを繰り返し、何度失敗してもそれを全て包んでも有り余るほど、

宇宙の愛は広いのですから。


そんな宇宙の慈愛の中で私たちは、生きている。

そして、相手を思いやるそんな気持ちは・・・

その大いなる愛への入り口なのです。



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