この世界で永遠に変わらない確かなものって
なんだろう
人やモノ
心も物質もうつろいやすいこの世界
だからこそ
永遠に変わらない確かな何かを求めて
命たちは旅をする
いくつもの出会いと
いくつもの経験を重ねながら
いつか、きっと。
こんどこそ、きっと。
どこかに、きっと。
そうやって人生の大半の時を
しあわせ探しにつぎ込んで。
そうやって人は年老いていく。
もしも。
この世界に。
永遠に変わらない
たったひとつの光があるとしたら。
それは
自分自身の内側。
いくら探しても見つからないって思うのは。
それは磨きようが足りないから。
永遠に変わらない光は
探すのではなく。
磨くもの。
仏教に似た言葉があります。
~自灯明~
これは釈迦が入滅するときに
悲しがる阿難に言い残した遺言と伝えられています。
師よ。
あなたがいなくなってしまったら私たちはどうすればいいのですか。
自分自身を拠り所としなさい。
自分自身を拠り所として、それを灯明として世界を照らしていきなさい。
そして『自灯明』の後に『法灯明』と続きます。
法。
ダルマ~理法~を大切にしなさいと。
法といえば仏教でいう戒律や決め事のようだけど、
それは法や規定や教えを用いなかった老子の言う~タオ~にも似ています。
タオは超然たる無作為の世界。
それは世界との調和。
ダルマ~理法~は
宇宙の理。
宇宙~COSMOS~の意味は
美しい調和。
自分自身の光を拠り所として
この宇宙世界を照らしていくのですよ。
調和するあなたという宇宙の中心から
この世界を照らすのですよ。
自灯明
法灯明
釈迦の残したその言葉は
いまでもこの世界に響いています。
自分自身を拠り所にしてこの世界を照らす光になるためには
一瞬、一瞬、
磨いていくしかないのです。
自分自身を。
それが永遠に変わらない確かな光となるのですから。