みんな天職を探していたり
なにかになろうと頑張っているけれど
ほんとうの自分になれれば
それだけでいいんだよね
小学生の頃の作文のテーマ。
『将来なりたい職業』
これはすっごく困ったお題だった。
なりたいもの・・・お坊さんだったから(笑)
というか、出家したかったわけよね。
仙人みたいに山で隠遁生活したかった。
これはモンダイだ・・・。
小学生でもさすがにこれはマズイだろうと世間体を考えたりした(笑)
だからウソを書いた。
看護婦さんになりたいです。
学校のセンセイになりたいです。
進路を決めるときにも出家したい病は進路の妨害作戦をしてくれて。。
まるでおっきな岩のように輝かしい乙女の未来をを遮るんだもの・・・。
ただ葛藤する毎日だった。
でも、その葛藤の毎日を過ごしていたらある日ふと、
ほんとにふと、ヒラメイタの。 ← 平目がいたんじゃなくて『閃いた』ね・・・。
あれ?
おかしくね?
出家して仏道に励んだらそりゃ楽でしょうよ・・・。
他に妨げるものがなにもないんだから専念できるわけよね。
簡単じゃね?
もっとフツーに生きて、フツーの生活しながら
嫌なこともあって、腹立つこともあって、思い通りにならないこともあって
その中でもブレないように心を磨いていくほうがやりがいがあるだろ・・・。
そう腑に落ちた瞬間、
進路や職業なんてなんでもいいって思えるようになった。
好きな仕事や天職を探して実現するのはそれはそれで素晴らしいことだけど、
ほんとうに大切なものはその先に、
そこから何を受け取って、
そこから何を産み出し
そして分かち合うかってことだと思う。
好きな仕事していても、
天職見つけたって思っても、
お金が余りあるほどあっても、
好きなものに囲まれて生活していても、
ハートが豊かじゃないと
まだまだ足りないと感じてしまうもの。
あなたのハートは豊かかしら。
あなたは人生を喜んでいますか。
いまからでも遅くないよ。
いつだってどこからだって始められる。
いますぐに出会える。
ほんとうのわたし。
しかし、なんだな・・・。
どうして小学校の作文は『将来なりたい職業』だったんだろ?
『これから100年たいせつにしたいこと』とかの方がずっとわかりやすかったな。
センセイが尋ねるの。
キミたちはこれから100年間、生きていきます。
キミたちがお兄ちゃんやお姉ちゃんになって、パパやママぐらいの年になって
センセイぐらいの年になって、おじいちゃんやおばあちゃんになって
100年というなが~い時間を生きていきます。
その長い長い時間、キミたちはどんなことをたいせつにしたいですか?
たいせつなことはずっと守りたいってことなんだよ。
パパやママとゆびきりげんまんするでしょう?
そのげんまんよりもずっとずっとたいせつなものなんだ。
キミはなにをたいせつにしたいですか?
キミのたいせつをセンセイにはなしてくれるかな?
ほんとうに大切なこと
その中に見えるもの